鈴の鳴る夜に

文月 沙織

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薄闇の屋敷 二

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「うちの下男の小島でございます」
 老女がそっと小声で説明するのに、須藤は、彼に向かって会釈する。相手も、それに合わせるかのように客人にむかって一礼する。顔立ちはどことなく品があり細い目にも知性が感じられて、ただの下男というより、鈴希の秘書のような役割をしているのかもしれない。
「申し訳ありません。急用が出来まして。話はお糸さんからお聞きください」
 それだけ言うと刈り上げている頭を下げて、主のあとを追うように小走りで廊下を去っていった。
「申し訳ございません。慌ただしくて……。きっと房木ふさき様たちに呼ばれのでございましょう」
 そう言うお糸の口調は寂しげであった。
「さ、お部屋へご案内します。すぐお茶をお持ちしますので」

 案内された部屋からは雛倉ひなくら家の庭園がよく見え、こういった家屋の造りで風がよく通り、いたって心地良く、須藤も竜樹も香ばしい茶を出してもらい、すっかりくつろいだ。縁側の向こうには夏の午後の光を受けて池の水面みなもがきらめいており、遅咲きの杜若かきつばたの青紫の花弁が目に染みる。
「ことの始めは、この近くの瀧で人が亡くなりまして……。雨の日の夜のことですから、警察が言うには、足を滑らせたのだろう、ということですが」
「男の人ですか?」
「はい。田所たどころという、いえ、田所さんという方なのでございますが……」
 お糸は皺のおおい顔を伏せがちにして、言いづらそうにしゃべった。
「この雛倉家は、かつてはこの地方一帯の地主でございましたが、ご存知戦後の土地改革でほとんどの土地をうしないました。それにひきかえ、田所さんというのは、もとは水飲み百姓の出だったのでございますが、大阪に出て起業してかなりの財をたくわえられまして……」
 このころは、従来の価値観の転換期であった。すさまじい勢いで世のなかが変わっていき、それに合わせて人の立場も地位も急激な転変を余儀なくされた。
 かつては地主としてこの地に君臨していた雛倉家も、戦後の時勢で土地や財をうしない、今はかなり苦しい状況だという。そういうときに田所氏が融資をしてくれて事業を起こすことになったのだが、いろいろ問題が起こったらしい。
「その日も、田所さんはこちらへお寄りになって、坊ちゃま、いえ、鈴希様といろいろお話されて。そのお話があまりうまくいかないままお帰りになられ、その際、事故にあわれたようで」
 須藤は事情がのみこめてきた。
「つまり、鈴希さんがどうかしたのではないか、という疑いがあるのですね?」
 お糸は、老いた目を光らせた。
「鈴希様の潔白はわたくしが知っております。なんというのでございましたか? ア、アリ、なんとか」
「アリバイですね」
 横から竜樹が口をはさむのに頷いて、つづけた。
「ええ、さようでございます。そのときまちがいなくこのお屋敷にいらしたのですから。わたくしが見ております」
「そうですか」
 とは、言いつつも、内心須藤は肯けないものを感じていた。
(といっても、この婆さんが主のために嘘を言っていないとも言えないぞ)
 血縁関係者、家族の証言は採用されないが、彼女の場合は家族も同然だろう。アリバイとしては不充分なものがある。しかもこの頃は、古い家に仕える使用人のなかには、主家のためならなんでもするという忠義者は、当たり前のようにいる。地方なら、なおさらその傾向は強い。
「世間では、鈴希様が田所さんをどうにかしたのではないか、と噂する者が出まして。おまけに、最近、奇妙な噂が流れはじめまして」
「噂ですか?」
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