120 / 190
再生の日 三
しおりを挟む
紺色の着物は地味なものだが、質は良さそうだ。どう見ても、近在の農家の嫁には見えない。とはいっても、娘と呼ぶには歳がいっている。この辺りでは女は二十歳前に嫁に行く。
それにしても望が驚いたのは、本道から外れたこんな田舎の奥地で、着物姿の女を見たことだ。ここまで歩いてきたのだろうか。本道までは車できたとしても、こんな野道までどうやって来たのか。ここら辺では田夫しか見かけたことがない望は、不思議なものを見るような想いで女を見ていた。
「まぁ、どうなさったんでございますか? そんな狐に化かされたような顔をなさって。ほほほほほ」
言葉には、どことなく関西弁の響きが感じられた。
「え……と、あの、あなたは?」
向こうは望のことを知っているようだ。
女は豊かそうな黒髪を結いあげており、雰囲気や物腰からどことなく堅気の女ではないことが匂ってくる。父か祖父の贔屓の芸者だろうか。それにしてもこんなところを芸者が一人で歩いているなどおかしい。
「あの、どちら様ですか?」
女は切れ長の魅力的な瞳に恨みをほのかに燃やした。人から忘れられることなど、この女には滅多にないのだろう。
「あら? 寂しいわ。私のことはすっかりお忘れで? ほら、以前お会いしたことがあったではございませんか?」
言われてみれば、どこかで会ったような……。誰かに似ている気もする。
望は、まじまじと相手を見つめていた。
女は、紅く濃く塗ってある唇の両端を釣りあげた。
「玉琴でございますよ、坊ちゃま」
玉琴――。
一瞬、望は呼吸をとめていた。
たしかに聞いたことがある。
その名を耳にした瞬間、洪水のように、かつての記憶が頭にあふれでてきた。
その名を呼んでいたのは祖父だった。
祖父は、幾度となくその名を口にしていた。
「まぁ、どうなさったんでございますか? そんな、驚いた顔をなされて……。嫌でございますよ」
「え……、あ、いえ、あの……すいません。びっくりしたもので」
それにしても望が驚いたのは、本道から外れたこんな田舎の奥地で、着物姿の女を見たことだ。ここまで歩いてきたのだろうか。本道までは車できたとしても、こんな野道までどうやって来たのか。ここら辺では田夫しか見かけたことがない望は、不思議なものを見るような想いで女を見ていた。
「まぁ、どうなさったんでございますか? そんな狐に化かされたような顔をなさって。ほほほほほ」
言葉には、どことなく関西弁の響きが感じられた。
「え……と、あの、あなたは?」
向こうは望のことを知っているようだ。
女は豊かそうな黒髪を結いあげており、雰囲気や物腰からどことなく堅気の女ではないことが匂ってくる。父か祖父の贔屓の芸者だろうか。それにしてもこんなところを芸者が一人で歩いているなどおかしい。
「あの、どちら様ですか?」
女は切れ長の魅力的な瞳に恨みをほのかに燃やした。人から忘れられることなど、この女には滅多にないのだろう。
「あら? 寂しいわ。私のことはすっかりお忘れで? ほら、以前お会いしたことがあったではございませんか?」
言われてみれば、どこかで会ったような……。誰かに似ている気もする。
望は、まじまじと相手を見つめていた。
女は、紅く濃く塗ってある唇の両端を釣りあげた。
「玉琴でございますよ、坊ちゃま」
玉琴――。
一瞬、望は呼吸をとめていた。
たしかに聞いたことがある。
その名を耳にした瞬間、洪水のように、かつての記憶が頭にあふれでてきた。
その名を呼んでいたのは祖父だった。
祖父は、幾度となくその名を口にしていた。
「まぁ、どうなさったんでございますか? そんな、驚いた顔をなされて……。嫌でございますよ」
「え……、あ、いえ、あの……すいません。びっくりしたもので」
0
あなたにおすすめの小説
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる