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満月と三日月 二
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イルビア王女は、哀れなことにまとっている薄紫の衣を剥ぎとられようとしていたらしく、帯のほどけた衣をひっしに身体にまきつけている。そんな惨めな様子であっても、いや、惨めそうであればあればこそ、いっそう生来の気品と高貴な美貌はたかまって見えた。
(なんて見事な金髪。それに翡翠を溶かしたような瞳。肌は雪花石膏―ー。こんな潤んだ目で見つめられたら、男はひとたまりもないわねぇ……)
この娘を買っていたら、「悦楽の園」でリリと双璧をなしただろう。しかも身分は元王女で、気性は清廉で健気なほどに誇りたかい。マーメイは興奮してきた。マーメイのなかの〝内なる男〟が悶えはじめたのだ。
(この娘とサイラスを人前でつがわせてやったら、どれほど素晴らしい絵になるかしらね。それは残酷で、淫らで、美しくて……、ああ、たまらない)
マーメイがそんなおぞましいことを考えていることにまったく気づいていないイルビア王女は、マーメイを裕福な客だと思いこみ、彼女にしがみついていた。
「お、お願い! 助けて」
「あら、あら」
マーメイはイルビア王女に抱きつかれて悪い気もせず、鷹揚にその肩を抱きしめかえしてやった。
「おい、逃げるなよ」
王女を追いかけてきたのは娼館の雑兵と、世話役らしい中年女である。どぎつい化粧から、娼婦あがりであることが一目で知れる。
「まったく、困ったお姫様だわ。すみませんねぇ、ご迷惑をかけて。ほら、こっちへ来て、とっとと支度をしな」
「いや、いやよ! あんなもの、絶対着ないわ!」
どうやら舞台に出るための煽情的な衣をまとわせられようとしているらしい。
「なに、言ってんだよ。もうお客も集まっているんだよ。ほら、いい子にして」
「いや、いや、いやよ! 私はアルディオリアの王女よ、死んでもいやよ!」
いや、いや、と叫びつづければ、天がその声に耳を貸し、運命が変わると信じているようだ。そんな世間知らずの甘えた態度が、娼婦あがりの世話係の女の神経をひっかいたようだ。
「なに言ってんだよ! もとは王女様だろうがお姫様だろうが、今のあんたは『三日月館』の娼婦、奴隷なんだよ。主が着ろと言ったものを着るんだよ。そして、男たちのまえで踊るんだ」
「いやー!」
泣きじゃくって耳を貸そうともしない王女に、女は作戦を変えたのか、少しやわらかい声で説得にかかった。
「ほら、ね。いい子だから、いうことをお聞き。うまくやったら、いいお客さんがついて、元のように贅沢な暮らしができるんだよ」
それは事実だ。奴隷であることは変わらないが、買った男が寛容で裕福な人間であれば、かなり快適な暮らしが約束される。子ども、それも男子の一人でも生めば人生は安泰だ。
逆に、いくら身分高く血筋ただしい王族貴族の令嬢であっても、夫となる男の寵うすく、子宝にめぐまれなければ、婚家での立場はかなりきびしいものになる。この時代、奴隷であろうが、王侯貴族の妻女であろうが、結局女の幸せは保護者の男と、さらに言うなら男子を生めるかどうかで決まる。
「ほら、こっちへおいで」
「いやよ! 私には婚約者がいるのよ。他の男に買われるなんていや!」
「我が儘言うんじゃないよ」
女は強引にイルビアをマーメイから引き離そうとするが、イルビアは強情だった。その強情さは、マーメイの関心をますます引く。
(気性のはげしいお姫様ね。本当におもしろいわ)
「いや、ああ、いや! 助けて、サイラス、助けに来て」
「助けに来てくれるわよ」
マーメイは泣きじゃくるイルビアの耳に小声で囁いた。イルビアが息をとめて、マーメイを見上げる。
「あ、あなた、サ、サイラスを知っているの?」
「ええ。……サイラスは王女様のことをとても心配していたわ」
事実である。マーメイはさらにイルビアをなだめるために、ほっそりとした肩を優しくたたいた。姉が妹をいたわるようだが、マーメイの黒曜石の瞳には底知れぬ闇が光っていた。
「王女様のことは私にまかせて。さ、こちらへ」
と言うと、マーリアは王女をつれだって控えの室へすすむ。
(なんて見事な金髪。それに翡翠を溶かしたような瞳。肌は雪花石膏―ー。こんな潤んだ目で見つめられたら、男はひとたまりもないわねぇ……)
この娘を買っていたら、「悦楽の園」でリリと双璧をなしただろう。しかも身分は元王女で、気性は清廉で健気なほどに誇りたかい。マーメイは興奮してきた。マーメイのなかの〝内なる男〟が悶えはじめたのだ。
(この娘とサイラスを人前でつがわせてやったら、どれほど素晴らしい絵になるかしらね。それは残酷で、淫らで、美しくて……、ああ、たまらない)
マーメイがそんなおぞましいことを考えていることにまったく気づいていないイルビア王女は、マーメイを裕福な客だと思いこみ、彼女にしがみついていた。
「お、お願い! 助けて」
「あら、あら」
マーメイはイルビア王女に抱きつかれて悪い気もせず、鷹揚にその肩を抱きしめかえしてやった。
「おい、逃げるなよ」
王女を追いかけてきたのは娼館の雑兵と、世話役らしい中年女である。どぎつい化粧から、娼婦あがりであることが一目で知れる。
「まったく、困ったお姫様だわ。すみませんねぇ、ご迷惑をかけて。ほら、こっちへ来て、とっとと支度をしな」
「いや、いやよ! あんなもの、絶対着ないわ!」
どうやら舞台に出るための煽情的な衣をまとわせられようとしているらしい。
「なに、言ってんだよ。もうお客も集まっているんだよ。ほら、いい子にして」
「いや、いや、いやよ! 私はアルディオリアの王女よ、死んでもいやよ!」
いや、いや、と叫びつづければ、天がその声に耳を貸し、運命が変わると信じているようだ。そんな世間知らずの甘えた態度が、娼婦あがりの世話係の女の神経をひっかいたようだ。
「なに言ってんだよ! もとは王女様だろうがお姫様だろうが、今のあんたは『三日月館』の娼婦、奴隷なんだよ。主が着ろと言ったものを着るんだよ。そして、男たちのまえで踊るんだ」
「いやー!」
泣きじゃくって耳を貸そうともしない王女に、女は作戦を変えたのか、少しやわらかい声で説得にかかった。
「ほら、ね。いい子だから、いうことをお聞き。うまくやったら、いいお客さんがついて、元のように贅沢な暮らしができるんだよ」
それは事実だ。奴隷であることは変わらないが、買った男が寛容で裕福な人間であれば、かなり快適な暮らしが約束される。子ども、それも男子の一人でも生めば人生は安泰だ。
逆に、いくら身分高く血筋ただしい王族貴族の令嬢であっても、夫となる男の寵うすく、子宝にめぐまれなければ、婚家での立場はかなりきびしいものになる。この時代、奴隷であろうが、王侯貴族の妻女であろうが、結局女の幸せは保護者の男と、さらに言うなら男子を生めるかどうかで決まる。
「ほら、こっちへおいで」
「いやよ! 私には婚約者がいるのよ。他の男に買われるなんていや!」
「我が儘言うんじゃないよ」
女は強引にイルビアをマーメイから引き離そうとするが、イルビアは強情だった。その強情さは、マーメイの関心をますます引く。
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「いや、ああ、いや! 助けて、サイラス、助けに来て」
「助けに来てくれるわよ」
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「あ、あなた、サ、サイラスを知っているの?」
「ええ。……サイラスは王女様のことをとても心配していたわ」
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