サファヴィア秘話 ―月下の虜囚―

文月 沙織

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太陽と月を 七

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 時はとまることもなく、女神バリアナとバリアは空をかけまわり、太陽と月が三度入れ替わったころ、ダリクはサイラスを連れて二頭だての馬車にのった。馬車は見た目は質素だが、内部は凝ったつくりで椅子には黒布が敷かれ、清掃もゆきとどいているらしく清潔さがたもたれている。

 ならんで座ったサイラスとダリクと向かいあう形で、マーメイとリリが座った。ドルディスとディリオスはそれぞれ馬でついて来ている。ジャハギルは直接「三日月館」に行ったそうだ。ダリクが馬車に乗ることをゆるされたのは、サイラスの世話人だからだ。サーリィーは今夜は来ないが、いつものように厨房でこっそり話をしたあと、彼を見た目は何か言いたげだった。

(今ならまだ間にあうわよ)
 それが最後の言葉だったが、なんのことだ、と追究する時間はダリクにはない。

 サイラスは多くは知らされておらず、ただ、今宵競りにかけられることは覚悟しており、さすがに顔色は悪いが、その横顔には覚悟が見える。

 噛みしめた唇はすこし腫れて、どこか危うげな色香をたちのぼらせており、向かいあって座っているマーメイやリリの妖艶で魔性めいた色気とはまたべつの魅力をかもしだし、それがダリクの胸きしませる。今夜のサイラスの装いは純白の衣で、ひっそりと座っている様は聖職者のようだ。到底ここしばらく娼館の水を飲んだとは思えぬほど清廉な風を全身にまといつかせている。

 この絵のように美しい貴公子が、これから貪欲な金持ちたちの餌食にされるのかと思うとダリクは気が気でない。そんな彼の想いを読んだかのようにマーメイが孔雀の羽の扇をわざとらしげに振った。

「サルドバ将軍がサイラスを買ってくださればいいのだけれどねぇ」

 リリがムッとした顔になる。彼女はどうやら商売気ぬきでサルドバを好いているようだ。

「サイラス、おまえだって、あの方だったら、と願っているのでしょう」

 サイラスは無言だ。その横顔からは、彼がなにを思っているかは読みとれない。

「無理しなくてもわかるのよ。あのお方は今や国家の支柱。財も地位もあおり。憧れている女や男はごまんといるのよ。ああいう形で目に留まったおまえは運がいいのよ」

 サイラスの碧の瞳がきらめいたのは怒りのせいだろう。

「私のどこか運がいいのだ?」

「あら? おまえ、まさか、自分は運が悪いと思っているの? おまえは奴隷にしては、恵まれている方なのよ。うちへ来てからだって、ひもじい思いや痛い思いはほとんどさせなかったはずよ。五体満足のその綺麗なからだで初めての客を受け入れられるのだから」 

 マーメイは本気で言っているようだ。事実、たしかにこの時代の奴隷の境遇を思えば、サイラスは幸運な方だったのだ。元貴族は売られても厚遇されやすいし、若く美しければいっそう重宝される。今宵、サイラスを買う男も、けっしてこの美しい身体に重労働を強いるような真似はしないだろう。勿論、閨での奉仕は求められるだろうが。

 だが、それよりも、これから彼を待ち受けるのは、イルビア王女との残酷な邂逅である。

 それを想像するとダリクは気が重くなってくる。サイラスはイルビア王女はまだすくなくとも無垢で平和な状況にあると信じているのだ。まさか、今宵、衆人環視のなか、彼女とつがわせられるとは夢にも思っていないようだ。その事実をサイラスに告げることは禁じられている。マーメイに言わせると、下手に知らせて、サイラスに思い切ったことをさせないようにという心づもりだが、本番まえに真実を知れば、どれほどサイラスが驚愕し、傷つくか。王女にもまたなにも知らされていないのだ。

 誇り高い王女と貴族が、男たちのまえでこれから繰り広げさせられる痴態を想像すると、ダリクの胸は痛む。だが、同時に、そこにはある種のひそやかな疼きがまじる。ふと、目をやるとマーメイも色白の頬を、ほんのり赤く染めている。あらぬことを想像して興奮しているのだ。

 馬車は規則ただしく動きつづけ、「三日月館」へと進みつづけた。そこでは何も知らぬ王女イルビアが、今宵も愛する人のことを思って、憂いの溜息をはいているのだろう。すぐ隣では当のサイラスが憂鬱そうに眉をひそめている。これから、この不幸な恋人同士がどうなるのか。

 夜空を支配する月神バリアは下界でうごめく哀れな人の群を見てなにを思うか。ダリクは奇妙なもの思いにとらわれながら、馬車の揺れに身体をまかせていた。



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