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新たなる朝 三
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門の外には貴人のための天蓋付きの四頭だて馬車が配備され、数人の従者たちが待っていた。
馬で付き従おうとするサルドバにともに馬車に乗るよう命じたアイジャルは、腕にラオシンをかかえたまま黒繻子をはった椅子にすわる。向かいあう形でサルドバが腰かけ、アラムは床に控える。広い馬車なので四人が乗っても余裕があるぐらいだ。
馬車が走り出すや、アイジャルはアラムやサルドバの目も気にせず、ラオシンの唇をもとめてきた。
「へ、陛下……」
ラオシンはこれから先のことを考えるだけで眩暈がしてきた。自分は本当にアイジャルの側室にされるのだろうか。王子の自分が……。周りはどう見、どう思うか。想像しただけで血が引いていく。
「陛下、お願いです。考えなおしてください。私が邪魔だというのなら、いっそ殺してください」
「ラオシンは死ぬのだ」
「え?」
訝しむラオシンにアイジャルは得意げに説明する。
「母上はもう数日ともたないだろう。先祖の陵墓に詣でていたラオシン=シャーディー王子は王太后の死に感じるものあって、神官となり、その地で数年後に病で死ぬことになっておる」
「そ、そんな……。王太后陛下はまだ……」
「母上は父上に毒を盛った」
その言葉に馬車内の空気は凍りついた。
たしかにそういう噂も流れた。そして、王太后にそれをすすめたのはジャハンではないか、という噂も宮廷で知らない者はいないほどだ。だが、それはあくまでも噂であった。王者や権力者が死ぬときは、よほど高齢での老衰でもないかぎり必ず謀殺説がはびこるのが世のつねである。しかしアイジャルの口調には確信がこもっている。
「父を殺されれば、仇を討つのも仕方あるまい。過去にも先例があった」
さすがにアイジャルの目は暗くなる。王家にかかわる黒い歴史話には、父王を母王妃に殺された王子の逸話があり、親殺しは許されぬが、夫を殺した妻をゆるすこともできず、その王子は王になってすぐ自分の生みの母を断罪したという。世間も国論もそれを認めた。
「そんな……」
ラオシンにとってはいくら恨みある王太后とはいえ、アイジャルにとっては母である。自分を生んだ母親を死なせていいのか――。ラオシンは悩んだが訊くことはできなかった。
「それに……」
アイジャルは呟くように言う。
「母上は生きているかぎりラオを憎みつづけ、殺そうとする。母上が生きていらしたら、余はラオを側に置いておくことはできぬ」
その横顔はまた子どもに戻ってきている。
子どもの心を持ったまま最高権力者になってしまった彼は、このさきどんな運命を生きるのか。ラオシンは今更ながら背が震えてきた。
さらにラオシンを震えさせるのは、アイジャルの言葉に、自分は生母よりもおまえを選んだのだ、という含みが察せられ、その重圧に圧倒されてしまいそうになる。
「そ、そのようなこと……私は」
望んでいない、という言葉を紡ぐよりさきにアイジャルが言いつのる。
「ラオの気持ちなどどうでもよい。余がラオを欲しいのじゃ。ラオを側において、朝も夕もラオを愛でてやりたい。ずっとラオといっしょにいたい。ラオを苛めて、泣かして、悦ばせてやりたいのじゃ」
「そ、そんな、そんな……」
館で幾度となく奈落の底に落ちていく想いを経験したが、今もまた新たな墜落の恐怖がラオシンをおそってくる。
だが、ラオシンはすでに知ってしまっていた。落ちた先にあるのが灼熱の地獄火ではなく、甘美な秘密の花園であることを。
アイジャルを愛しているのか、と問われれば、違うと答えるしかないだろう。今はまだ。
だが、触れてくるアイジャルの手は、否応なしに秘めていた官能の疼きをラオシンから引きずりだす。すでに身体はアイジャルにゆずり渡してしまっていた。
サルドバたちの目のまえで黒布をはぎとられ、ふたたび裸体をさらけだされる羞恥にラオシンは怯えた。あれほど責められても、ラオシンの奥ゆかしくも初々しい羞恥の情感はうばわれることなく、白い霞のように彼の身体にまといつき、見る者の胸をゆさぶる。
「ああ、アイジャル、もう……」
激しい愛撫に動揺したラオシンが、幼い頃のように名前で呼んでしまった瞬間、アイジャルの手が動きを止める。しばしの沈黙のあと、馬車内に、ぴしゃり、と音が響いた。臀部をはげしく打たれたのだ。
馬で付き従おうとするサルドバにともに馬車に乗るよう命じたアイジャルは、腕にラオシンをかかえたまま黒繻子をはった椅子にすわる。向かいあう形でサルドバが腰かけ、アラムは床に控える。広い馬車なので四人が乗っても余裕があるぐらいだ。
馬車が走り出すや、アイジャルはアラムやサルドバの目も気にせず、ラオシンの唇をもとめてきた。
「へ、陛下……」
ラオシンはこれから先のことを考えるだけで眩暈がしてきた。自分は本当にアイジャルの側室にされるのだろうか。王子の自分が……。周りはどう見、どう思うか。想像しただけで血が引いていく。
「陛下、お願いです。考えなおしてください。私が邪魔だというのなら、いっそ殺してください」
「ラオシンは死ぬのだ」
「え?」
訝しむラオシンにアイジャルは得意げに説明する。
「母上はもう数日ともたないだろう。先祖の陵墓に詣でていたラオシン=シャーディー王子は王太后の死に感じるものあって、神官となり、その地で数年後に病で死ぬことになっておる」
「そ、そんな……。王太后陛下はまだ……」
「母上は父上に毒を盛った」
その言葉に馬車内の空気は凍りついた。
たしかにそういう噂も流れた。そして、王太后にそれをすすめたのはジャハンではないか、という噂も宮廷で知らない者はいないほどだ。だが、それはあくまでも噂であった。王者や権力者が死ぬときは、よほど高齢での老衰でもないかぎり必ず謀殺説がはびこるのが世のつねである。しかしアイジャルの口調には確信がこもっている。
「父を殺されれば、仇を討つのも仕方あるまい。過去にも先例があった」
さすがにアイジャルの目は暗くなる。王家にかかわる黒い歴史話には、父王を母王妃に殺された王子の逸話があり、親殺しは許されぬが、夫を殺した妻をゆるすこともできず、その王子は王になってすぐ自分の生みの母を断罪したという。世間も国論もそれを認めた。
「そんな……」
ラオシンにとってはいくら恨みある王太后とはいえ、アイジャルにとっては母である。自分を生んだ母親を死なせていいのか――。ラオシンは悩んだが訊くことはできなかった。
「それに……」
アイジャルは呟くように言う。
「母上は生きているかぎりラオを憎みつづけ、殺そうとする。母上が生きていらしたら、余はラオを側に置いておくことはできぬ」
その横顔はまた子どもに戻ってきている。
子どもの心を持ったまま最高権力者になってしまった彼は、このさきどんな運命を生きるのか。ラオシンは今更ながら背が震えてきた。
さらにラオシンを震えさせるのは、アイジャルの言葉に、自分は生母よりもおまえを選んだのだ、という含みが察せられ、その重圧に圧倒されてしまいそうになる。
「そ、そのようなこと……私は」
望んでいない、という言葉を紡ぐよりさきにアイジャルが言いつのる。
「ラオの気持ちなどどうでもよい。余がラオを欲しいのじゃ。ラオを側において、朝も夕もラオを愛でてやりたい。ずっとラオといっしょにいたい。ラオを苛めて、泣かして、悦ばせてやりたいのじゃ」
「そ、そんな、そんな……」
館で幾度となく奈落の底に落ちていく想いを経験したが、今もまた新たな墜落の恐怖がラオシンをおそってくる。
だが、ラオシンはすでに知ってしまっていた。落ちた先にあるのが灼熱の地獄火ではなく、甘美な秘密の花園であることを。
アイジャルを愛しているのか、と問われれば、違うと答えるしかないだろう。今はまだ。
だが、触れてくるアイジャルの手は、否応なしに秘めていた官能の疼きをラオシンから引きずりだす。すでに身体はアイジャルにゆずり渡してしまっていた。
サルドバたちの目のまえで黒布をはぎとられ、ふたたび裸体をさらけだされる羞恥にラオシンは怯えた。あれほど責められても、ラオシンの奥ゆかしくも初々しい羞恥の情感はうばわれることなく、白い霞のように彼の身体にまといつき、見る者の胸をゆさぶる。
「ああ、アイジャル、もう……」
激しい愛撫に動揺したラオシンが、幼い頃のように名前で呼んでしまった瞬間、アイジャルの手が動きを止める。しばしの沈黙のあと、馬車内に、ぴしゃり、と音が響いた。臀部をはげしく打たれたのだ。
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