燃ゆるローマ  ――夜光花――

文月 沙織

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 だが……、

「……おまえは?」
 メロペの目は、ナルキッソスではなく、廊下の先に立っていた人物に向けられている。
「おまえは……たしか……」
 メロペの記憶にある人物のようだ。つられてナルキッソスも彼女を凝視していた。
「たしか、おまえ……サガナだったか? ディオメデスの邸で会ったことがあったな」
 その名に、ふと引かれるものをナルキッソスは感じた。顔は覚えていないが、名には聞き覚えがある。かつて、神殿を訪れたマルキアことエリニュスがつれていた侍女が、たしかそんな名だったろうか。
 サガナと呼ばれた女は、かぶりもので顔半分かくしたまま頷いた。かすかに見えた唇は笑っている。そのことにナルキッソスはぎょっとした。かすかに記憶にとどめていたサガナという女には、いつも黒や灰色の衣をまとってうつむいている陰気な印象しかなかったからだ。顔もほとんど覚えていなかった。
「どけよ、俺たちは先を急いでいるんだ」
 ちょうど、彼女は廊下の真ん中で、二人の行く手をはばむように立っている。
「どけと言っているだろう」
 メロペがぞんざいに手で押した。
 毒気を抜かれて、やや呆然となっていたナルキッソスはただ無言で見ていた。
 次に息を飲んだ。
 サガナのまとっている黒い衣が揺れたかと思うと、銀色の光が宙を切ったのだ。
 ナルキッソスは、つい先ほど自分がしようとしていたことも忘れて目を疑った。
 彼女の手にあるのは、鋭い刃物だった。
(なぜ……?)
 最後に思ったのは、そんな言葉だった。
 なぜ、自分がここでこんな目に遭わなければならないのか。そんな疑問や不満が胸に吹きこぼれる。
 相手に対して、いや、運命の女神に対して抗議の声をあげそうになったが、その声をあげることはできなかった。
 視界に紅い闇がひろがり、聞こえてきたメロペの声をうるさいな、と思いつつ、ナルキッソスは己が闇に沈んでいくのを感じた。それは、彼にとって、けっして心地悪いものではなかった。むしろ安心感すら覚えて、ナルキッソスはやっと訪れてくれた闇にすべてをゆだねた。

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