燃ゆるローマ  ――夜光花――

文月 沙織

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「とにかく、ここから逃げないと」
 気をとりなおしたようにトュラクスが告げた。
「あっちへ向かうと、裏庭へ出れる」
 彼の方がこの邸に詳しい。
「隙があれば、なんとか逃げれないかといろいろ目に止めるようにしていたのだ」
 あれほどの苦痛のなかにあっても、トュラクスはできうるかぎりのやり方で戦っていたのだ。あらためてリィウスは感心した。
「なんだ? 俺の顔に何かついているか?」
「驚いているのだ。おまえのその強さに……たんに腕が立つというだけではなく、心の強さに感服しているのだ」
 トュラクスは一瞬、不思議そうな顔になった。
「驚き、感服するのは俺の方だ。おまえこそ、よくあの色地獄に耐えぬいたな。しかも、すこしも擦れていない」
 言われてリィウスは苦く笑った。逆だと思っている。擦れきってしまったから、あれほどの仕打ちを受けても死なずに生きているのだ。自分はすっかり変わってしまった。だが、今はそのことで悩んでいる暇はない。
 足音をたてながら二人進んでいくと、廊下はやがて細くなり、くねくねと曲がる。外敵に備えての、万が一のときの抜け道なのだそうだ。
「ウリュクセスという男は、いつも狙われることを予想して生きてきたようだな」
 反論しない。莫大な金や力を得ても、いや、それだからこそ、彼の人生には安住のみかというものがなかった。
「おお、見えてきたぞ、あそこだ」
 突き当りには、梯子があった。
「ここから出れるぞ」
 トュラクスはリィウスに先に登るようにうながし、リィウスもまた素直に先に梯子をあがった。

 冥界から人間の世界にもどってきたようだ。だが、人の世界もまた闇のなかだった。邸が遠くに見えるあたりに二人は立っていた。草の匂いがする。
 邸に目を向けると、ほのかに明るく見える。火の手があがっていたからだ。邸は今や炎につつまれていた。ローマの護衛団が消化に駆けつけ来たのが遠くに見える。
「……俺はミュラをさがしに行く」
 確固たる意志をこめて、トュラクスがつぶやいた。するべきことがある彼が羨ましい。ここから逃れたとしても、リィウスには次にやるべきことが思いつかない。
 借金で縛られている身としては、やはり柘榴荘にもどらなければならないだろう。だが、これから先も身を売るのかと思うと、たまらない嫌気がさしてくる。




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