燃ゆるローマ  ――夜光花――

文月 沙織

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「ああ……、行かないと……。お呼びだわ」
 エリニュスの口調はひどく頼りなげで、リィウスはびっくりした。
「行かないと……」
 誰が呼んでいるのか、と問うこともリィウスはできず、呆然と狂気をふかめていく女の姿を、ただ見ていた。
「行かないと……、早く行かないと、また怒られるわ……」
 意味不明の言葉をつぶやきながら、彼女はぼんやりとした顔つきで、ふらふらと足を動かし、血に濡れた衣の裾を引きずりながら廊下を進んでいった。芝居の一幕のようだ。悪女にして狂女の出番は終わったのだ、というふうに彼女は去っていく。その後ろ姿は別人のように弱々しかった。

 残されたリィウスとトュラクスは、床に落ちていたマヌグスの剣を苦労して拾い、どうにかして互いの戒めを切った。
「腕、痛むか?」
「平気だ。リィウス、おまえこそ、怪我していないか?」
「大丈夫だ」
「……悪いが、もらうぞ」
 トュラクスの言葉は床に横たわっているマヌグスに向けられたものだ。
 死体から、トュラクスは衣と防具を剥ぎ取った。今のトュラクスはかろうじて腰帯をまとっているだけだ。小さいが、ないよりはましと言わんばかりに奪った脛当を身につける。そして何より剣を大事そうに握りしめる。
 修羅場しゅらばに慣れているのか、次に迷いもせずトュラクスはウリュクセスの死体をさぐり、衣の内から革袋をひっぱりだす。
「あいつは常に金を持っているのだ。おまえの取り分だ」
 差し出された掌の金貨を一瞥いちべつして、リィウスは首を振った。
「これも、俺がもらっていいか?」
 ウリュクセスのめていた金の指輪を見ても、リィウスは不要だ、というふうに首を振った。痩せても枯れても貴族である。死者の金品をうばうことなどできない。それがいかに憎い男であってもだ。
「とにかく、ここから逃げないと。行くぞ」
 その場を立ち去ろうとした最後の瞬間、トュラクスの黒い瞳は横たわっているマヌグスの骸に向けられた。死んでいることを確かめるように、一瞬だけ凝視した。
 リィウスの気のせいか、剣闘士の目に、ほのかに哀切な光が弾けた、気がした。マヌグスをいたんでいるのではなく、こんなふうにあっさりと消えてしまう人の命というものの宿命になにかを感じている……のでは、とリィウスは見当をつけた。
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