燃ゆるローマ  ――夜光花――

文月 沙織

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 その言葉が憐憫れんびんなどでないことは、ナルキッソスが一番良く知っている。
「ナルキッソス様、見てはいけません。帰りましょう」
 控えていたアンキセウスが、あわてて言う。アンキセウスが動揺するのも、珍しいことだった。
 ナルキッソスは答えなかった。魅入られたように、なにかに憑りつかれたように、中央で痴態をさらしている義兄の、妖美的なまでに美しく淫らな姿を凝視している。その横顔をはどこか普通ではない。アンキセウスはぞっとしてきた。
(この少年は……、心が、魂が、壊れている……壊れはじめているのだ)
 彼が普通ではないことは以前から承知していた。そのことは亡くなった彼の両親やリィウスよりも、深く理解していたアンキセウスである。ナルキッソスは、麗しい容姿とは裏腹に、性格に裏表が激しく、好色で貪欲で性悪、自己中心的。なによりナルキッソスの異常性を物語っているのは、時折彼が垣間見せる言いようのない焦燥と奇妙な恐怖心である。
 最初はアンキセウスも気づかなかった。だが、最近、見えてきた。ナルキッソスの異常性の根底にあるのは焦りと恐れだ。
(だが……、なんに対してだろう?)
 没落名家の子として味わう貧困への怯えか、将来が見えないことに関する苛立ちか。当たっていそうで、違うようにも思える。
「ふふふふふ……」
 震えていたナルキッソスの唇から、笑い声がこぼれてきた。
 最初は少女のように大人しい笑い方だったが、やがて堰が切れたように大きな声になり、けたたましくなり、周囲の目を引いた。
 だが、そんなことは中央で踊り狂うような奇怪なケンタウロスの見世物にくらべれば些細なもので、すぐに周りの客たちはナルキッソスから目を逸らした。彼らにとってはどうでもいいことなのだ。どのみち、酒や芥子けしの麻薬に夢中になって笑ったり叫んだりする者も珍しくない、文字通り狂乱の宴のたけなわである。
 笑い狂うナルキッソスよりも、観客の目は、舞台のまんなかで咲き誇る巨大な妖花に向かう。それでも、ナルキッソスは身体を揺らし、笑いつづける。
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