燃ゆるローマ  ――夜光花――

文月 沙織

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 哀れさと、痛ましさ。そして激しい感嘆の想いにかられ、走り寄って行って、彼のいましめを解き、彼を自由の身にしてやりたかった。
 そんなことを思っていると、近くで客の一人が囁いた。
「おい、あの男、トュラクスに似ていないか?」
 トュラクス……。その名はリィウスも聞いた覚えがある。
「訊かれた男が答える。言われてみれば……、いや、似ているんじゃなくて、本人なのではないか?」
「まぁ、本当だわ……信じられない、トュラクスだわ。闘技場で見たことがあるわ」
 観客たちの会話にリィウスも記憶にかすかにあった名と人物を思い出した。
 トュラクス――。それは、数ヶ月ほど前、ちょうどリィウスが柘榴荘に囚われる少し前まで、ローマ最強の男と呼ばれた男の名だ。
 トラキア出身の剣闘士であり、剣闘士として世に出てから三年ちかくにわたって幾多の戦いで不敗を誇った闘技場の帝王であり華である。
 リィウスは今時のローマの青年にしては剣闘にはあまり興味がなく、学友たちのように闘技場にもほとんど出入りしたことがないが、そんなリィウスであってさえトュラクスの勇名は耳にしており、一度だけナルキッソスにせがまれて彼の試合を見に行ったことがあった。
 相手戦士は彼よりかなり大きな獣のような大男だったが、息を飲むような死闘の果てに、最後に勝ったのはトュラクスだった。
 当代一番の剣の使い手とも言われているが、彼が有名なのはその圧倒的な強さもさることながら、アポロンやマルスもかくやというような、素晴らしい容姿と体格に恵まれた、かなりの美男子だったからだ。
 名の売れた剣闘士は女性にもよくもてるし、金持ちの貴婦人の相手として求められることもあり、役者や男娼のような扱いを受けることもよくある。それで得た金品も彼らの貴重な収入となる。
 だがトュラクスは潔癖で、金や力で自分を買おうとする女にはけっして身をゆるすことはなかっという。この時代には本当に珍しいことに男の貞操を大事にする男であった。そういう点でも女性の――特に庶民の女たちの人気を勝ち得た。
 そんな彼が女優との仲を囁かれたことがあり、世事にうといリィウスも学友らの噂話で、その艶種つやだねを耳にしたことがる。
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