106 / 360
三
しおりを挟む
どれぐらい時間がたったか。幼かったタルペイアは恐ろしさのあまり石のように固まって、室の片隅でふるえながら、見ているしかなかった。
母の悲鳴と、グナトンの絶叫、やがて流れる血の匂いが、タルペイアの見聞きしたすべてだった。
「連れていけ!」
暴行の果てに半死半生となっている彼を、てっきり彼らは戸外へ連れだすのだと思っていたが、男たちの向かった先は、厨房だった。
このあとのことは、後に事情を知った娼婦たちから聞かされた話で、タルペイア自身が見たわけではなく、すべてが夢の世界のように曖昧模糊としていた。
(ひどかったね、あいつら、ちょうど補修中だった地下倉庫の壁漆喰のなかに、死体を埋め込んだんだよ。呼ばれた工人たちが漆喰壁を泥で埋めるとき、たしかに男の泣き声をあたしゃ聞いた)
厨房の下働きの嫗の言葉から娼婦たちは推測した。おそらく、グナトンの遺体は――壁に埋められたときはまだ遺体とは呼べなかったが――壁のなかで朽ち果て、今もその骨は鼠にかじられながらも壁の奥に残っているのであろう、と。この館には、男の死体が埋まっているのだ。
だが、それは今のこの時代、めずらしい話ではなかった。ある程度大きな建物なら、どこの家でもかならず主人の不興を買った使用人や、なんらかの理由でひそかに密殺された家人の、あわれな骸のひとつやふたつは、家の地下か庭の片隅に埋められているものだ。そんな骸を糧として庭園の花は咲き、鼠や虫が列柱廊の隅を這いまわっているのがローマの常識だった。
幼いころ、その目でみただけにグナトンの死と、骨が埋まる地下倉庫はひどくおそろしく思えたが、数年前にも、客に嬲り殺された娼婦の死骸を、集合墓地へはこぶ手間を惜しんで、裏庭に埋めたこともあった。
(たいしたことじゃないわ……)
幾度となくタルペイアはおのれに言い聞かせてきた。
たいしたことではない。ローマでなくとも、どこの土地でもよくあること。どこでも土を掘り返せば骨のかけらが見つかるものだ。
母の悲鳴と、グナトンの絶叫、やがて流れる血の匂いが、タルペイアの見聞きしたすべてだった。
「連れていけ!」
暴行の果てに半死半生となっている彼を、てっきり彼らは戸外へ連れだすのだと思っていたが、男たちの向かった先は、厨房だった。
このあとのことは、後に事情を知った娼婦たちから聞かされた話で、タルペイア自身が見たわけではなく、すべてが夢の世界のように曖昧模糊としていた。
(ひどかったね、あいつら、ちょうど補修中だった地下倉庫の壁漆喰のなかに、死体を埋め込んだんだよ。呼ばれた工人たちが漆喰壁を泥で埋めるとき、たしかに男の泣き声をあたしゃ聞いた)
厨房の下働きの嫗の言葉から娼婦たちは推測した。おそらく、グナトンの遺体は――壁に埋められたときはまだ遺体とは呼べなかったが――壁のなかで朽ち果て、今もその骨は鼠にかじられながらも壁の奥に残っているのであろう、と。この館には、男の死体が埋まっているのだ。
だが、それは今のこの時代、めずらしい話ではなかった。ある程度大きな建物なら、どこの家でもかならず主人の不興を買った使用人や、なんらかの理由でひそかに密殺された家人の、あわれな骸のひとつやふたつは、家の地下か庭の片隅に埋められているものだ。そんな骸を糧として庭園の花は咲き、鼠や虫が列柱廊の隅を這いまわっているのがローマの常識だった。
幼いころ、その目でみただけにグナトンの死と、骨が埋まる地下倉庫はひどくおそろしく思えたが、数年前にも、客に嬲り殺された娼婦の死骸を、集合墓地へはこぶ手間を惜しんで、裏庭に埋めたこともあった。
(たいしたことじゃないわ……)
幾度となくタルペイアはおのれに言い聞かせてきた。
たいしたことではない。ローマでなくとも、どこの土地でもよくあること。どこでも土を掘り返せば骨のかけらが見つかるものだ。
0
お気に入りに追加
162
あなたにおすすめの小説



どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


こども病院の日常
moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。
18歳以下の子供が通う病院、
診療科はたくさんあります。
内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc…
ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。
恋愛要素などは一切ありません。
密着病院24時!的な感じです。
人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。
※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。
歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる