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再開花 九
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「でも、陛下はアベル様のためにすべてを捨てられました。お忘れですか? 陛下は……、陛下はご自身の立場よりも、アベル様のことを……。あの方が誰かのためにご自分を犠牲にされるなど、きっと一生に一度だけです」
アベルは否定の言葉が出せない。
そのことは、実を言うとアベルだとてに気になっていたのだ。
まさか、あの傲慢きわまりない暴君が、アベルの命と安全のために、おのれの節を曲げるとは信じられなかった。今でも信じられない。だが、アベルは目を逸らして、想いとは別のことを口にする。
「彼にとっては、私は欲望処理の道具か、戯れの伽の相手だ」
エリスの黒い双眼は濡れてきた。
「そ、それだけでないことはアベル様だとてお気づきのはずです。陛下は、……陛下は、まちがいなくアベル様を愛していらっしゃいます。あの方なりのやり方で」
怒るよりも、アベルは呆れた。
「たわけたことを……。あれは愛などではない。欲望……執着のようなものだ」
「そ、それでも、それも真実です。まぎれもない、陛下のお心です。アベル様が欲しい、アベル様を側に置きたいという想いは真実、本物です」
それはどこまでいっても、自己中心的で、傲岸不遜、そして天衣無縫の王者の接し方ではあった。だが、たしかにまったく情がないとはいえない……かもしれない。
アベルが何か言おうと口を開くまえに、エリスが言葉をつづけた。
「ぼ、僕だったら、お、おなじ飼われるのなら、本当に自分を好きだと思ってくれる人の側にいたい」
ずきん、とアベルの胸にエリスの言葉の矢が突き刺さる。
そうだ。アベルはどのみち飼われることになるのだ。この先、エゴイによって永遠に。
エゴイもアベルにとっては凌辱者であることは変わらない。だが……アベルは迷う。
エリスの言うとおり、少なくともディオ王はアベルという愛玩物のために犠牲を払ってくれた。それなりの代償は払ってくれた。
アベルはしばし立ちつくしていた。
このあと、アベル=アルベニス伯爵はふたたび失踪した。
「すぐさま追いかけろ! 追いかけてつかまえて、引きずり出せ!」
エゴイ=バルトラ公爵は当然、追手をはなった。
(舐めた真似をしおって。アベル、俺から逃げれると思うな。みつけたら、たんと仕置きをしてやるからな!)
公爵は舌なめずりした。
どんなお仕置きをしてやろうか……。加虐にたかぶりながら考えた。
(祖国に連れかえったら、すぐ罰にお馬乗りをさせてやろうか。客を大勢呼んでやろう。いや、その前にも、旅のあいだ、ずっと貞操帯を嵌めさせてやるのもいいな。嫌がってアベルは泣くだろう。泣いたら、その涙をすすってやる……)
そんな狂った欲望にエゴイは恍惚となった。
が、事は彼の思うようにいかなくなる。
「公爵、大変です、女王陛下より急ぎの使いが」
従者が真っ青な顔になって室に入ってきた。その従者は、かつてドミンゴをそそのかした男でもある。
「何事だ?」
彼の話を聞いたあと、公爵はすぐグラリオンを立たねばならなくなった。
エゴイとっては間の悪いことに、そのころ帝国は隣国と戦争に入った。公爵はすぐさま女王に呼びもどされ、戦争に全面尽力しなければならなくなり、アルベニス伯爵の捜索もうやむやになってしまう。
数ヶ月におよぶ戦争が終結したとき、バルトラ公爵は戦場で負った傷がもとで足が不自由になり、爵位を異母弟にゆずって三十前に引退せざるを得なくなった。くだんの従者は戦死した。
その後、エゴイ=バルトラ公爵は鬱屈のせいか、放蕩放尽にひたり、三十八の若さで病死する。死因は酒毒と梅毒である。
アベルは否定の言葉が出せない。
そのことは、実を言うとアベルだとてに気になっていたのだ。
まさか、あの傲慢きわまりない暴君が、アベルの命と安全のために、おのれの節を曲げるとは信じられなかった。今でも信じられない。だが、アベルは目を逸らして、想いとは別のことを口にする。
「彼にとっては、私は欲望処理の道具か、戯れの伽の相手だ」
エリスの黒い双眼は濡れてきた。
「そ、それだけでないことはアベル様だとてお気づきのはずです。陛下は、……陛下は、まちがいなくアベル様を愛していらっしゃいます。あの方なりのやり方で」
怒るよりも、アベルは呆れた。
「たわけたことを……。あれは愛などではない。欲望……執着のようなものだ」
「そ、それでも、それも真実です。まぎれもない、陛下のお心です。アベル様が欲しい、アベル様を側に置きたいという想いは真実、本物です」
それはどこまでいっても、自己中心的で、傲岸不遜、そして天衣無縫の王者の接し方ではあった。だが、たしかにまったく情がないとはいえない……かもしれない。
アベルが何か言おうと口を開くまえに、エリスが言葉をつづけた。
「ぼ、僕だったら、お、おなじ飼われるのなら、本当に自分を好きだと思ってくれる人の側にいたい」
ずきん、とアベルの胸にエリスの言葉の矢が突き刺さる。
そうだ。アベルはどのみち飼われることになるのだ。この先、エゴイによって永遠に。
エゴイもアベルにとっては凌辱者であることは変わらない。だが……アベルは迷う。
エリスの言うとおり、少なくともディオ王はアベルという愛玩物のために犠牲を払ってくれた。それなりの代償は払ってくれた。
アベルはしばし立ちつくしていた。
このあと、アベル=アルベニス伯爵はふたたび失踪した。
「すぐさま追いかけろ! 追いかけてつかまえて、引きずり出せ!」
エゴイ=バルトラ公爵は当然、追手をはなった。
(舐めた真似をしおって。アベル、俺から逃げれると思うな。みつけたら、たんと仕置きをしてやるからな!)
公爵は舌なめずりした。
どんなお仕置きをしてやろうか……。加虐にたかぶりながら考えた。
(祖国に連れかえったら、すぐ罰にお馬乗りをさせてやろうか。客を大勢呼んでやろう。いや、その前にも、旅のあいだ、ずっと貞操帯を嵌めさせてやるのもいいな。嫌がってアベルは泣くだろう。泣いたら、その涙をすすってやる……)
そんな狂った欲望にエゴイは恍惚となった。
が、事は彼の思うようにいかなくなる。
「公爵、大変です、女王陛下より急ぎの使いが」
従者が真っ青な顔になって室に入ってきた。その従者は、かつてドミンゴをそそのかした男でもある。
「何事だ?」
彼の話を聞いたあと、公爵はすぐグラリオンを立たねばならなくなった。
エゴイとっては間の悪いことに、そのころ帝国は隣国と戦争に入った。公爵はすぐさま女王に呼びもどされ、戦争に全面尽力しなければならなくなり、アルベニス伯爵の捜索もうやむやになってしまう。
数ヶ月におよぶ戦争が終結したとき、バルトラ公爵は戦場で負った傷がもとで足が不自由になり、爵位を異母弟にゆずって三十前に引退せざるを得なくなった。くだんの従者は戦死した。
その後、エゴイ=バルトラ公爵は鬱屈のせいか、放蕩放尽にひたり、三十八の若さで病死する。死因は酒毒と梅毒である。
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