黄金郷の夢

文月 沙織

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毒菫 三

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「当たり前だろう!」
 首や手の枷の重みも忘れて、アベルは身体を揺さぶっていた。
「やれやれ……それでは仕方あるまい。カイよ、今より地下牢へ行って、ドミンゴという虜囚を鞭で打ってまいれ」
「はい」
 忠勤な従者の名を出されて、アベルはさすがにうろたえた。
「ま、待て! ドミンゴは関係ないだろう!」
「主に代わって罰を受けてもらうのじゃ。そなたの身体に傷を付けるわけにはいかぬのでな」
「何度ほど打ちましょう?」
 カイの問いにハルムはうそぶくように告げる。
「十回、いや、二十回ぐらいか。三十回でもよいぞ。馬用の鞭で思いっきり打つがよい」
「死んでしまうかもしれませぬ」
 カイの言葉にハルムは首を振る。
「仕方あるまい。伯爵が言うことをきかぬのじゃから、従者に罪をあがなってもらわねばな」
「よ、よせ! やめろ! ドミンゴには手を出すな!」
 善良で心優しいアベルは、忠実な従者が自分のために酷い目にあわされることに耐えられない。下々のことを思ってやるのが上に立つ者の使命だとも教えられた。
「ほう。では、いうことを聞くのかな?」
 下卑た笑みに唾を吐きかけてやりたいのをアベルはこらえた。
「ひ、卑怯者ども……!」
 そう言うのが精一杯だった。
「ワハハハハ。そんな言葉など、痛くも痒くもないわ。宦官が卑怯なのは当たり前じゃ。そうでもせぬと生きてゆけぬからな」
 後宮は女たちと宦官にとっては生き残りをかけた熾烈な戦場だ。十七を過ぎれば外界に出ることのできる健常な侍童とちがって、男性性器を切除された宦官たちは、この白亜の獄舎でしか生きる術がない。ここで生き抜くためには、ときに道徳も正義も良心も打ち捨てなくてはならないこともある。まして、千人の宦官の頂点に立つという宦官長であるハラムは、出世のためなら平気で先輩や朋輩、ときには友人ですら蹴落とし、裏切り、罠に嵌めてここまで来た。
「やっと聞き分けよくなったようじゃな。では、二日目の調教に入るとするか」
「はい。エリス、そこの象嵌ぞうがんの棚から、薔薇香を持ってきておくれ」
「はいはい」
 エリスは見た目にも美しい紅玻璃べにはりの小瓶を手にもどってきた。
「最高級の精油からつくったものですよ」
 それは、昨夜アベルがむりやりに塗られた香油と同じものらしく、エリスが栓を抜いた瞬間、あたりに、得も言われぬ香がただよう。あまく、爛れた、どこか人を酔わせる香である。おぞましい毒薬のように思え、思わずアベルは寝台のうえで身を退いていた。
「アルベニス伯爵、これから三日かけて、伯爵の身体を徹底的にほぐします」
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