煉獄の歌

七

　この状況で相手を怒らせるのは不利だとわかっていても、木藤はいつものように悪智恵をめぐらせて、自分はやっていない、部下が勝手にやったことだと言いつのることは、なぜかしようと思わなかった。どうしてだろう？　なんとなく、この〝美女〟の手にかかって死ぬのなら、それでいいか、と思ってしまっている自分がいる。
（そうだ、俺は安賀の倅に殺されるんじゃない。鬼乃の息子に殺されるんだ……）
　リリスが不敵に笑うと、手に持っている銀刃を振り上げた。まさに魔王の妻、魔界の女帝。
「駄目だ、坊ちゃん！」
　声が、刃先と木藤のあいだに割り込んでくる。
「うるさい！　来るな！」
　言うよりも、男の手に持っている武器が火を吹く方が早かった。
　木藤の最後の願いもむなしく、彼は名もないチンピラ店員の拳銃によって命を亡くした。
　意識を完全にうしなう最後に、絵里の悲鳴が聞こえたのは、せめてもの手向けかもしれない。

　最初の銃声を聞いた人間が通報したのだろう。警官の足音にまじって、あつまってきた近所の店の女たちの不安な囁き声や、酔客たちの好奇心に満ちた話し声で、夜の飲食街は騒然となった。

　このとき、集まった野次馬の一人は、後にこう記者に語っている。

　そりゃ、びっくりしたさ。屋根から白いドレスの女が裸足で飛びおりてきてよぉ、そのあとを、男が追いかけてんだ。ありゃ、多分、ヤクザだろうな。
　一人は殺されたけれど、もう一人は生きてて……、仲間のボーイは殺されたらしいからな。白いドレスが真っ赤に染まっていたのが、夜目にもはっきりわかったよ。
　それで、白いドレスの女っていうのか、そのオカマが逃げるのを、黒い服の男が追いかけてよ。狭い路地を、そりゃ、すばしっこく走りぬけて。皆、見ていて呆然としてたな。
　まるで映画を見ているような気分だったぜ。
　追いかけてきたヤクザに左腕をつかまれた女、というか、オカマは、見かけによらず、かなり強くてな、手にしていた刃物で黒服の男を切り付けて、辺りに血が走ったぜ。
　とはいうものの、男は拳銃持ってたからよぉ、警官が来るのがもう少し遅かったら、やられてたろうな。
　お巡りにしょっぴかれていくときの悔しそうな顔ったら……、ありゃ、どんな女優よりも綺麗だったねぇ。
　あれが男とは、いまだに信じられねぇよ。


　有名なヤクザの組長が場末ばすえの酒場で男娼に殺されたこの事件は、しばらく世間を騒がせ、そしてまた季節がめぐると、花が散るように静まり、人の口にのぼることも少なくなった。