煉獄の歌 

文月 沙織

文字の大きさ
上 下
152 / 181

しおりを挟む
(あいつは本物の変態だよ)
 以前、照葉が吐き捨てるように言っていたのを思い出す。
 実を言うと、照葉が脱走を決心したのは、宇田の相手に呼ばれた数日後のことだった。よっぽど、逃げ出したくなるようなことをされたのだろう。
 敬があれほど魂が抜けたかのように憔悴しているのを見ても、宇田が関わった件で相当疲弊ひへいさせられたのだ。また似たようなことが起これば、それこそ敬の魂は本当に壊れてしまうかもしれない。
(どうにかして止めないと……)
 自分に何が出来るか。嶋は煩悶した。

 久しぶりに戻った安賀邸はこころなしか、ひどく寂れたように嶋の目に映った。
 掃除もゆきとどいておらず、全体に活気がなく薄汚れた気がする。かつては常時三十人近くの若衆や食客がたむろしていた屋敷は、今はなんと一人の老いた使用人と、行く当てのない三人の下っ端だけである。
 ここに若頭がまだ住んでいるのかと思うと、嶋は情けなくもどかしく、いたたまれない。あまりにも勇が哀れであり、自分のようなチンピラにまで哀れまれる勇がさらにまた哀れに思えてくる。
「もうこの家は木藤のものでね……」
 自分たちは居候いそうろうのようなものだ、と先代が若い頃から仕えていた小杉という名の老爺ろうやが情けさなそうに言う。
 生活費は瀬津が送ってくれているらしい。完全に木藤の傘下になったのだ。いや、瀬津からしたら、底辺のチンピラを食わせているようなものだろう。
「極道っていうのは、力をなくしたら本当に惨めなもんだよ」
 小杉老人の呟きが鼓膜に冷たく染みる。
 そんな惨めな極道者の末路の話は嫌というほど聞いてきたが、まさか安賀勇がそんな敗残者の一人になろうとは、誰が思ったろう。
「会っても、若頭は……、いや、こう呼んだら怒られるんで、……勇さんは誰とも話をしやしないよ」
 なんで、ああなっちまったのかねぇ……、そんな悲しい嘆きが老人の干からびた口から洩れる。 
 梅雨入りしたせいか、いっそう湿って見える邸内の廊下を進み目当ての室に着くと、嶋は去っていく老人の曲がった背を見送って、襖の取っ手に手をかけた。
「若頭、」
 言ってしまってから、言いなおそうと思ったが、室内の人物には聞こえていないようだ。
 たくましい身体を丸めて、男はなにかを睨んでいた。書画のようなもので、嶋は、それが先代が自室の壁に掛けて時折り懐かしむように見ていたのを思い出す。
 部屋の掃除をしていて、はたきをかけていたとき、ふと気になって手に取って見てみたことがある。
 ガラスの向こうの、墨で書かれたその漢文は難し過ぎて嶋に読めるわけもなく、意味などまるで解らなかったのを、たまたま父を捜して入ってきた勇が説明してくれた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤクザと捨て子

幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子 ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。 ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語

紅林
BL
『桜田門学院高等学校』 日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ヤクザに囚われて

BL
友達の借金のカタに売られてなんやかんやされちゃうお話です

私の事を調べないで!

さつき
BL
生徒会の副会長としての姿と 桜華の白龍としての姿をもつ 咲夜 バレないように過ごすが 転校生が来てから騒がしくなり みんなが私の事を調べだして… 表紙イラストは みそかさんの「みそかのメーカー2」で作成してお借りしています↓ https://picrew.me/image_maker/625951

助けの来ない状況で少年は壊れるまで嬲られる

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

処理中です...