煉獄の歌 

文月 沙織

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 損得勘定を超えて、その思いつきには魅かれるものがある。
 そんなことを思っている自分に気づけば、驚いたかもしれないが、気づくことすらできず、その横顔を、大林が心配そうに見ていることにも、このときの瀬津は気づけないでいた。
「若頭、お客人です」
 大林の淹れてくれた茶を一口すすったとき、廊下から声が響いてきた。
「客? 誰だ?」
「あの、それが、」
 舎弟が言いにくそうにしたとき、すでに足音が響いてきた。
「おお、瀬津、久しぶりだな」
 ちっ……!
 内心で瀬津は舌打ちしていた。
 大柄な丸顔の、狸のように太った男が、どかどかと遠慮もなしに入ってくる。
 齢は六十を過ぎたくらいか。右のこめかみ辺りに疣か黒子ほくろのような、黒ずんだでき物が見える。
「これは、宇田うださん、ご無沙汰しています」
「おお、相変わらずの色男だな」
 宇田浩造こうぞうは、いつものようににやにや笑いながら、瀬津の胸をなれなれしく叩く。
 宇田はこのころよくいた戦後成金の一人で、政界や財界に繋がりがあり、木藤組としても、縁を繋いでおきたい男ではあるが、正直、瀬津はこの男が苦手だった。
 いや、単に苦手というのではなく、憎悪していた。
 金にも色にも貪欲な宇田は、女色だけでなく、男色も好み、ときに瀬津を妙な目で見ることがあるのだ。
 幼くして両親を亡くした瀬津は、戦後の混乱期を生きるために、世のなかの泥を嫌というほどかぶって生きてきた。ヤクザ社会に入ってまだ間もないころは、そこで生きていくために、力のある男に身を売ったこともある。宇田はそんな男の一人だった。
 ある料亭での幹部や上役たちの宴の夜、庭で警護にあたっていた瀬津に目を留めたのだ。兄貴分に言われて、ねやに呼ばれたときは、舌を噛み切って死にたいほどの屈辱と絶望を味あわされた。
 だが、瀬津は死ぬわけにはいかない。
 瀬津には、なんとしてもこの世界でのし上がって、果たさなければならない野望があったのだ。
「今や、たいした若頭ぶりだな」
 にやにやと、目が見えなくなるほど細めて、宇田は、ますます馴れ馴れしく、瀬津の胸や肩に触れてくる。
 背に虫図が走るのをこらえ、瀬津は口だけで笑みを作ってみせた。内心、目からこぼれる殺意を抑えるので必死だった。
「なぁ、いつになったら、安賀な次男坊を抱かせてくれるんだ? 噂を聞いた連中はうずうずして待ってるんだぞ」
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