煉獄の歌 

文月 沙織

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 兄と、向かい側には幹部の立林たてばやし、そして……もう一人の男を見て、敬は息を飲んだ。
 そこにいたのは陸奥である。
 つい先ほど、あれほど憎悪を燃やした男、瀬津の部下である。敬が屈辱的な仕置きを受けていたとき、その一部始終を見ていた男である。一瞬、あのときの不様で恥ずかしい姿が頭に浮かび、敬は動揺し、激しい怒りに襲われた。
「な、なんでお前がここにいるんだよ!」
 ぶりかえしてきた羞恥と恥辱に、顔が熱く火照る。
「敬、失礼だぞ」
 勇が口で敬をたしなめ、目でなじる。
「兄さん、なんでこいつがここにいるんだ? こいつは、瀬津の手下だぜ」
 しかも、今敵対関係にある木藤組の人間である。今日、兄を襲ったという男も木藤組が手配した殺し屋にちがいない。
「……敬、外に出ていろ」
「で、でも」
「今、大事な話をしているんだ。外へ出ろ」
 勇は言うことは厳しくとも、敬にはいつもおおおらかで甘い。その勇が、今日はいつになく愛する弟にひややかな目を向けてくる。敬は一瞬、背が寒くなった。
(兄さん、まるで別人みたいだ……)
 今までは凛々しくも情愛に満ちた横顔が、今日はひどく冷淡に見える。見えるだけではなく、全身から拒絶の気配をただよわせて敬を圧倒する。
「坊ちゃん、出てましょう」
 廊下から組員が手招きする。敬はしぶしぶ室を出た。
「なんなんだよ、あれ?」
「しー、聞こえますよ」
「聞こえたっていいさ。なんで木藤組の奴がうちにいるんだよ」
 三十代の組員は眉を寄せた。
「わかりませんが、なんだか、深刻な顔でずっと組長と話し込んでいるみたいで。とにかく話の邪魔しちゃいけないですよ」
 そこで一瞬、唇を噛むと、彼は呟いた。
「組の今後に関わることを相談しているみたいで……」
 敬はますます混乱してくる。
「な、なんで、そんな重大な話を、あいつと? あいつは、瀬津の部下じゃないか」
「瀬津の代理というか……、使者として組長と話しあうために来たみたいで」
「だから、なんで兄貴と瀬津の代理が話し合うんだよ? あいつは敵だろう?」
 相手は困ったように笑う。
 敵味方、白黒と分けきれないのが大人の世界というものなのだろうが、その苦笑が、敬の神経を引っかく。結局、おまえには解らないことだ、と暗に告げられている気がするのだ。
(よってたかって餓鬼扱いしやがって)
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