煉獄の歌 

文月 沙織

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「起こしてしまったか、すまん、すまん。漢和辞典を借りようと思ってな」
「そ、それなら、本棚に……」
 布団を首まで引っぱっている仕草に、敬がなにをしていたかあっさり悟られてしまったようだ。勇の目は子どもの悪戯を見抜いた教師のようだった。
「ははーん。敬、おまえ、やっていたな?」
「ち、違うって!」
「隠すなよ、ほら」
「やっ!」
 いきなり、ぶあつい手が布団のなかに侵入し、パジャマの中心をつかむ。
「ちょ、兄さん、やだって!」
「じっとしてろ。手伝ってやろう」
「じょ、冗談!」
 じたばたとあがいても、力ではかなわない。
 酒の臭いをばらまきながら、悪のりした兄は、いともたやすく敬の中心をとらえ、手なずけてしまう。
 酒と煙草の匂い、危険な男の匂い、成熟した大人の匂い、獰猛な雄の匂いが敬をとらえ、酔わせる。
 もともと、勇によって萌芽にみちびかれたそこは、たやすく勇に降伏する。
 いや、身体だけでなく、心も勇にすぐなびく。敬の心身は勇のものなのだ。
「兄さん……、やだって」
 抗議の声にもどこか蜜をふくんだように甘く色気を帯びていくのを、敬はどこか夢の世界のことのように聞いていた。
 やめて、と訴えながらも、実は、もっとして、と淫乱女のようにせがんでいる敬自身がいる。
「あ、やぁ、兄さ……」
 兄の手によって、敬はその春の夜も淫らに咲かされ、淫らに散らされてしまう。

 以来、敬が高校に入っても、卒業して、大学生となった今でも、二人は時折こっそりと禁断の痴戯ちぎをくりかえし、血のつながった兄弟にあるまじき行為をくりかえしていた。
 だが、それは決して最後の一線は越えないもので、敬がどれほど求めても、それこそ、涙を浮かべて勇のシャツを破らんばかりに引っぱって切願しても、勇は兄として最後のはんを超えるような行為にはおよばなかった。
 苦笑しながら、敬をなだめ、最後は額に接吻を落とし、寝かしつける。まどろみ落ちていく敬の耳に、ほのかな囁き声が聞こえた。
 おまえが、弟でなければなぁ……。
 敬のなかに流れる血は、半分は勇とおなじものだ。かつてはそれがり所であり、誇りであったが、ときにその血が恨めしくもある。切っても切れない縁と絆。それは歓喜であると同時に、苦悩をも敬のもたらした。
 そして、今もその事実は敬に幸福と不幸をもたらす。
「ねぇ……、兄さん」
 敬は猫のように勇の胸に顔をすりつけ、甘え悶える。
「兄さんたら……!」
「どうした?」
 意地悪、と叫びたいのをこらえ、兄の手を、おのれの背後に導いた。
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