13 / 25
13日目
人間
しおりを挟む* * *
ふっと目を覚ました。自分がどこにいるのか分からないようなクラクラした感覚に襲われ、思わず手の甲を額に当てる。
随分久しぶりの夢だった。
あの時の夢。
みなしごなんて言われたからだろうか。それとも、年甲斐も無く泣き喚いてじじいに当たったからだろうか。
今だけは、誰が悪いとかいう追及をするのを止めてしまいたい、許されるなら。自明なことで、誰のためにもならないことなのだ。
奇妙に気怠い気分で、腫れぼったい目を触りつつ起き上がった。
(いつの間に、ベッドに入っていたのだろう)
汚れを落とすため湖に浸かった所で、記憶がぷっつり途切れている。もう少し時間が経てば、思い出すこともあるかもしれないが。それ程重要な事とは思われなかった。
素足でぺたぺたと窓際に移動し、日に焼けたカーテンを緩慢な仕草で開ける。瑠璃色の空にちらほらと星が瞬き始めていた。日が暮れたばかりであったのか。
(いつもなら、燭台を出すところだけれど)
今日はやめておきたい気分だった。火を灯してしまえば、また何かが明らかになってしまう。
前世では体感したことのない闇夜に、身体の小さな頃は怯えた事もあったなと朧げに思い出す。そういう時はいつも、じじいがあやしてくれていた。
(思えば、あの時からじじいは私を大事にしてくれていたのに、私は警戒し通しだった)
我ながら、終始不義理なやつであった。そうどこか遠くで思いつつ、私はじじいの長椅子を探り当て、柔らかな肘置きに頭をもたれて床にずるずると座り込んだ。長椅子を占領する荷物は、丸めた表彰状も分厚い専門書も全て四年前のままだ。
遺品整理なんて、したくもなかったから。
こんな所で寝たら風邪を引くよ、とベッドへ私を運ぶじじいももういない。四年も経っているのに、もう私も人に抱えられるような姿をしていないのに、まだそんなことが頭を過ぎる。
意識が落ちる一瞬、まるで抱え上げられたような浮遊感を感じて、そのしめやかな優しさに、夢だと分かっていても涙が一筋零れ落ちた。
小さな物音に、意識が浮上した。見ると、枕元のローテーブルにある燭台にあかあかと蝋燭の火が灯されたところだった。
(……誰?)
やけに現実感の薄い光景だった。生真面目そうに蝋燭を見つめる長い銀髪の持ち主を、ぼうっとした頭のまま眺めた。
先程私は長椅子にもたれて意識を手放したはずなのにどうしてまたベッドに戻っているのか、と不思議に思っていたが、夜半に彼がここにいる訳はないのだ。私はどうやら夢を見ているらしいことに、漸く思い至った。
(今日はやけに明晰夢を見る日だ)
今頃現実の私は体を冷やしているだろうか。風邪まで森がなんとかしてくれるとは思っていない。体調のために早く起きるべきなのだろうが、私はこの夢のような(実際夢なのだが)充足感を手放すのが惜しまれて、どうにも気が進まないのであった。
そうこうしているうちに彼が私に目を向ける。
二色の瞳は、光源の位置に影響されて、藍色の方が黒曜石のような黒色に見えた。
「寒くないか」
現実の私のことを教えようとしているのだろうか。
なんと答えるべきか判らず、私は黙って彼を見つめ返した。
私が返事をする気がないと見た彼は「寒くなったら言え」などと言う。毛布の収納場所も知らないだろうに。
益々おかしな夢だった。
一方、まるで理想的な時間でもあった。星月夜のような、うねって重奏的な時間が、亀のような歩みで、緩やかに、しかし確実に流れていた。
とうに日が暮れているのに、我か人かも曖昧になりそうな。ここには私を含め誰もいないような気もするし、自分ともう一人の気配でこの空間が成立してもいるような。
だからだろうか。
気付いた時には吐露していた。
「……私、大事な人を、作っちゃあいけなかった……」
吐息を吐く程の声量で紡がれた言葉はひどく掠れ、まるで私のものではないかのようだ。
「……どうしてそんなことを」
動揺を、押し隠したような声。尋ねられるままに答える。
「大事に、出来なかった……大事にしてもらったのに、返せなかった……私なんて、居なければ、始めから、よかっ、たのに」
じじいを、じじいが大好きだった森で死なせてあげられなかった。
それは私の、過失。
じじいは私のことを考えていてくれたのに、私はじじいのことなんて、ちっとも考えてはいなかったのだ。私の存在で、じじいは、自分の天命を狂わせたのだ。
「分かってたの……でも、怖かった……。変わるのが怖くて、気付いてないふりして……それすらも、気づかれていたことに、気付いてあげられなかった」
年々体を動かすのが億劫そうになって、森番の仕事もほとんどできなくなっていたのを知っていた。なのに、また失うのが怖くて、私が現実を見ないようにしていたから、じじいに全て決断させてしまった。
私はどれだけじじいを傷つけただろうか。どれだけ、苦悩させたのだろうか。
「挙げ句、私のせいって思いたくなくて、相談してくれればよかったのにって、もう居ないのにじじいに当たって、嫌いになってしまおうって……」
「……なったのか? 嫌いに」
目から温い滴が伝った。首を横に振る。
「大好きよ。ずっと」
言葉にすれば、百の言い訳も千の否定も敵わない。
「だからずっと、一人が寂しい」
ふっと目を覚ました。自分がどこにいるのか分からないようなクラクラした感覚に襲われ、思わず手の甲を額に当てる。
随分久しぶりの夢だった。
あの時の夢。
みなしごなんて言われたからだろうか。それとも、年甲斐も無く泣き喚いてじじいに当たったからだろうか。
今だけは、誰が悪いとかいう追及をするのを止めてしまいたい、許されるなら。自明なことで、誰のためにもならないことなのだ。
奇妙に気怠い気分で、腫れぼったい目を触りつつ起き上がった。
(いつの間に、ベッドに入っていたのだろう)
汚れを落とすため湖に浸かった所で、記憶がぷっつり途切れている。もう少し時間が経てば、思い出すこともあるかもしれないが。それ程重要な事とは思われなかった。
素足でぺたぺたと窓際に移動し、日に焼けたカーテンを緩慢な仕草で開ける。瑠璃色の空にちらほらと星が瞬き始めていた。日が暮れたばかりであったのか。
(いつもなら、燭台を出すところだけれど)
今日はやめておきたい気分だった。火を灯してしまえば、また何かが明らかになってしまう。
前世では体感したことのない闇夜に、身体の小さな頃は怯えた事もあったなと朧げに思い出す。そういう時はいつも、じじいがあやしてくれていた。
(思えば、あの時からじじいは私を大事にしてくれていたのに、私は警戒し通しだった)
我ながら、終始不義理なやつであった。そうどこか遠くで思いつつ、私はじじいの長椅子を探り当て、柔らかな肘置きに頭をもたれて床にずるずると座り込んだ。長椅子を占領する荷物は、丸めた表彰状も分厚い専門書も全て四年前のままだ。
遺品整理なんて、したくもなかったから。
こんな所で寝たら風邪を引くよ、とベッドへ私を運ぶじじいももういない。四年も経っているのに、もう私も人に抱えられるような姿をしていないのに、まだそんなことが頭を過ぎる。
意識が落ちる一瞬、まるで抱え上げられたような浮遊感を感じて、そのしめやかな優しさに、夢だと分かっていても涙が一筋零れ落ちた。
小さな物音に、意識が浮上した。見ると、枕元のローテーブルにある燭台にあかあかと蝋燭の火が灯されたところだった。
(……誰?)
やけに現実感の薄い光景だった。生真面目そうに蝋燭を見つめる長い銀髪の持ち主を、ぼうっとした頭のまま眺めた。
先程私は長椅子にもたれて意識を手放したはずなのにどうしてまたベッドに戻っているのか、と不思議に思っていたが、夜半に彼がここにいる訳はないのだ。私はどうやら夢を見ているらしいことに、漸く思い至った。
(今日はやけに明晰夢を見る日だ)
今頃現実の私は体を冷やしているだろうか。風邪まで森がなんとかしてくれるとは思っていない。体調のために早く起きるべきなのだろうが、私はこの夢のような(実際夢なのだが)充足感を手放すのが惜しまれて、どうにも気が進まないのであった。
そうこうしているうちに彼が私に目を向ける。
二色の瞳は、光源の位置に影響されて、藍色の方が黒曜石のような黒色に見えた。
「寒くないか」
現実の私のことを教えようとしているのだろうか。
なんと答えるべきか判らず、私は黙って彼を見つめ返した。
私が返事をする気がないと見た彼は「寒くなったら言え」などと言う。毛布の収納場所も知らないだろうに。
益々おかしな夢だった。
一方、まるで理想的な時間でもあった。星月夜のような、うねって重奏的な時間が、亀のような歩みで、緩やかに、しかし確実に流れていた。
とうに日が暮れているのに、我か人かも曖昧になりそうな。ここには私を含め誰もいないような気もするし、自分ともう一人の気配でこの空間が成立してもいるような。
だからだろうか。
気付いた時には吐露していた。
「……私、大事な人を、作っちゃあいけなかった……」
吐息を吐く程の声量で紡がれた言葉はひどく掠れ、まるで私のものではないかのようだ。
「……どうしてそんなことを」
動揺を、押し隠したような声。尋ねられるままに答える。
「大事に、出来なかった……大事にしてもらったのに、返せなかった……私なんて、居なければ、始めから、よかっ、たのに」
じじいを、じじいが大好きだった森で死なせてあげられなかった。
それは私の、過失。
じじいは私のことを考えていてくれたのに、私はじじいのことなんて、ちっとも考えてはいなかったのだ。私の存在で、じじいは、自分の天命を狂わせたのだ。
「分かってたの……でも、怖かった……。変わるのが怖くて、気付いてないふりして……それすらも、気づかれていたことに、気付いてあげられなかった」
年々体を動かすのが億劫そうになって、森番の仕事もほとんどできなくなっていたのを知っていた。なのに、また失うのが怖くて、私が現実を見ないようにしていたから、じじいに全て決断させてしまった。
私はどれだけじじいを傷つけただろうか。どれだけ、苦悩させたのだろうか。
「挙げ句、私のせいって思いたくなくて、相談してくれればよかったのにって、もう居ないのにじじいに当たって、嫌いになってしまおうって……」
「……なったのか? 嫌いに」
目から温い滴が伝った。首を横に振る。
「大好きよ。ずっと」
言葉にすれば、百の言い訳も千の否定も敵わない。
「だからずっと、一人が寂しい」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―
優木悠
歴史・時代
―男装の助け人、江戸を駈ける!―
栗栖小源太が女であることを隠し、兄の消息を追って江戸に出てきたのは慶安二年の暮れのこと。
それから三カ月、助っ人稼業で糊口をしのぎながら兄をさがす小源太であったが、やがて由井正雪一党の陰謀に巻き込まれてゆく。
月の後半のみ、毎日10時頃更新しています。
勇者の如く倒れよ ~ ドイツZ計画 巨大戦艦たちの宴
もろこし
歴史・時代
とある豪華客船の氷山事故をきっかけにして、第一次世界大戦前にレーダーとソナーが開発された世界のお話です。
潜水艦や航空機の脅威が激減したため、列強各国は超弩級戦艦の建造に走ります。史実では実現しなかったドイツのZ計画で生み出された巨艦たちの戦いと行く末をご覧ください。

『影武者・粟井義道』
粟井義道
歴史・時代
📜 ジャンル:歴史時代小説 / 戦国 / 武士の生き様
📜 主人公:粟井義道(明智光秀の家臣)
📜 テーマ:忠義と裏切り、武士の誇り、戦乱を生き抜く者の選択
プロローグ:裏切られた忠義
天正十年——本能寺の変。
明智光秀が主君・織田信長を討ち果たしたとき、京の片隅で一人の男が剣を握りしめていた。
粟井義道。
彼は、光秀の家臣でありながら、その野望には賛同しなかった。
「殿……なぜ、信長公を討ったのですか?」
光秀の野望に忠義を尽くすか、それとも己の信念を貫くか——
彼の運命を決める戦いが、今始まろうとしていた。


奇妙丸
0002
歴史・時代
信忠が本能寺の変から甲州征伐の前に戻り歴史を変えていく。登場人物の名前は通称、時には新しい名前、また年月日は現代のものに。if満載、本能寺の変は黒幕説、作者のご都合主義のお話。
蘭癖高家
八島唯
歴史・時代
一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。
遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。
時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。
大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを――
※挿絵はAI作成です。
ワルシャワ蜂起に身を投じた唯一の日本人。わずかな記録しか残らず、彼の存在はほとんど知られてはいない。
上郷 葵
歴史・時代
ワルシャワ蜂起に参加した日本人がいたことをご存知だろうか。
これは、歴史に埋もれ、わずかな記録しか残っていない一人の日本人の話である。
1944年、ドイツ占領下のフランス、パリ。
平凡な一人の日本人青年が、戦争という大きな時代の波に呑み込まれていく。
彼はただ、この曇り空の時代が静かに終わることだけを待ち望むような男だった。
しかし、愛国心あふれる者たちとの交流を深めるうちに、自身の隠れていた部分に気づき始める。
斜に構えた皮肉屋でしかなかったはずの男が、スウェーデン、ポーランド、ソ連、シベリアでの流転や苦難の中でも祖国日本を目指し、長い旅を生き抜こうとする。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる