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裏 あしながおじさまは元婚約者でした
クリスマスデートと未来の約束 side雛子
しおりを挟むその年は、雛子が生まれてはじめて恋人と過ごすクリスマスイブとなった。
いつも一緒にケーキとチキンを食べてくれていた父親には申し訳ないけれど、今年は彼氏優先なのをゆるしてほしい。
だってこういうのに憧れていた。
聖なる夜に王子様が迎えにきてくれる、まさしく『恋人はサンタクロース』のシチュエーション。
お昼少し前に家まで迎えに来た朝哉は、宗介に向かって「雛子さんをお預かりします」と丁寧に挨拶し、雛子の手をとった。
さすが親公認の恋人だけあって信用されている。宗介と家政婦の木村さんが玄関先まで出てきて、「楽しんでおいで」と車を見送ってくれた。
今夜だけは門限が夜中の0時。まるでシンデレラになった気分だ。
だけどシンデレラと違うところは、今日が終わってもしあわせの魔法がとけないところ。
ガラスの靴を落とさなくても、彼はまたいつでも迎えにきてくれるから……。
昼間はランチと映画を楽しみ、暗くなってからは街を歩いてクリスマスのイルミネーションを堪能する。
青いLEDの灯りでライトアップされたケヤキ並木は、光が点滅したり奥から波打つように動く演出がされていて、とても幻想的だった。
恋人つなぎの指をしっかり絡めて離さない隣の恋人を見上げると、彼もこちらを見下ろしていた。
目が合うといつもの柔らかい微笑みが惜しみなく注がれる。蕩けてしまうからほどほどにしてほしい。
「朝哉、ちゃんとイルミネーションを見てる?」
「ん、ちゃんと見てるよ。彼女の顔を見る合間に」
「それって逆じゃない?」
「ちゃんと合ってるよ、メインはヒナで、その他はオマケ」
これだからイケメンは困る。こういう台詞をサラッと言ってもサマになるから文句がつけられない。
今日の雛子は黒のミモレ丈フレアワンピを着てきた。
黒色を選んだのは、少しでも大人っぽく見せたかったから。
朝哉は何を着ても可愛いと褒めてくれるけれど、その言葉に甘えず努力しなくては……と思う。
朝哉のコーデは白シャツにボルドーのVネックセーター、そして上着が黒いチェスターコート。スリムなブラックパンツは細くて長い足をさらにスラッと見せている。完璧だ。
クリスマスに着るドレスの色を聞かれたから黒と答えておいたけれど、なるほど、わざわざコーディネートを合わせてくれたのだ。
見かけだけでなく中身までイケメンだなんてズルい。
四歳の歳の差をどうにか埋めたくて大人っぽくしてきたのに、ダメだ、やっぱり追いつけない。
朝哉が予約してくれた夜景の見えるレストランでフレンチのフルコースを食べ、ゆっくり歩いて車に戻る。
時刻は午後8時前。
このまま家まで送られるのかな? と思ったので、その前にプレゼントを渡すことにした。
「朝哉、メリークリスマス」
雛子からのプレゼントは手編みのマフラー。朝哉からのリクエストだ。
まだ高校生の雛子がプレゼントで悩まなくて済むよう、先手を打ってくれたのだろう。
御曹司は紳士のたしなみとしてこういう気配りを教えられるのだろうか。
ううん、たぶんこういうのは根っこに優しさがなければ身につかない。
つまり彼は他人に気配りができる優しい人なのだ。
マフラーはベビーアルパカの毛糸を使った基本のリブ編み。彼の好きなネイビーブルーだ。
首に巻いてあげたら目尻にシワを寄せて、クシャッと笑って抱きついてきた。
「彼女の手編み……感動……泣きそう……」
本当に声が震えている。この人なら高級マフラーの2本や3本くらい余裕で買えるのに、素人の手編みにこんなにも喜んでくれている。こちらまで泣きそうになる。
「それじゃ、俺からも。ヒナ、メリークリスマス」
朝哉が恥ずかしそうに差し出してきたのは、ニューヨークブランドの小さな紙袋。
水色のそれがあまりにも有名なので、アクセサリーなのだとすぐにわかった。
細長いケースに入っていたのは、女の子なら一度は身につけたいであろう定番のオープンハート。
「貸して、つけてあげる」朝哉がそう言って首にかけてくれた。
「素敵……ありがとう」
「女子高生への贈り物に何がいいかって、大学でまわりの女子に聞きまくった」
まわりの女子……
大学で女の人に囲まれているハーレム状態の朝哉を瞬時に思い浮かべる。
胸がモヤッとした。
ーーなにをモヤッとしてるの!? 私へのプレゼントを考えてくれたんじゃないの!
自分はこんなことで嫉妬するような女だったのかと愕然とする。
ーーそうか……これが嫉妬なのね。そして私って嫉妬深い女だったんだ……。言動に現れないように気をつけよう。
だけどそんな動揺が朝哉には丸わかりだったらしく。
「ごめん、気にした? ほかの女子に相談って無神経だったかな。ごめんな、俺、彼女に贈り物ってはじめてだから浮かれてて……」
「ううん、そんな、大丈夫だから……」
だって『彼女に贈り物ってはじめて』という言葉でぜんぶ吹き飛んだ。浮かれているのはこちらのほうだ。
「あっ、でも、自分で考えたプレゼントもちゃんとあるよ」
箱の底を見てみてよ……ともう一度ネックレスの箱を差し出され、ベルベットの台を取りはずす。
「えっ、これって……」
台座の下に隠れていたのはシルバーの鍵。
「俺のアパートの鍵。しょっちゅうは来れないだろうけど、俺のプライベートはヒナのものだぞって証……っていうか、彼女に部屋の鍵を渡すのもやってみたかったっていうか……」
朝哉は鍵をヒョイとつまむと、雛子の手のひらに置いた。
頭の後ろを掻きながら、頬を赤く染めて照れくさそうにしている。
「夢みたい……」
本当に夢なのかもしれない。
だって、こんなことがあっていいものだろうか。ほんの一ヶ月ほど前まで雛子には男友達さえいなかったのだ。
それが今は、誰もがうらやむような恋人ができて、こんなに大事にされている。
――しかもこうする相手は私がはじめてだなんて……。
手のひらにちょこんと乗ったシルバーの鍵を強く握りしめると、そこから全身に感動が広がっていく。
優しく見つめる朝哉の顔が、涙の膜でゆらゆら揺れた。
頬を伝う雫を朝哉の指がぬぐってくれる。
「ヒナ、笑って。俺、ヒナにはいつも笑っていてほしい。いや、俺が笑顔にしたい」
「私……こんなにしあわせでいいのかな。もうすぐ死んじゃうのかもしれない」
「やだよ、まだヒナとしたいこといっぱいあるのに死なれたら困る。生きてよ」
「フフッ……うん、一緒に長生きしてね。私も朝哉としたいことがいっぱいあるもの」
まだまだデートしたいし、今度は手編みのセーターにもチャレンジしてみたい。それにまだ、婚約だって、結婚だって……。
「ねえヒナ、とりあえず今、やりたいことを一つ済ませておいてもいい?」
「えっ、なに?」
「キス」
「え? でも……」
キスならもう何度だって……と不思議そうにする雛子を見て、朝哉は「予想どおりだな」とクスリと笑う。
「今までみたいのじゃないよ。恋人同士の熱いキス」
いい? ……と聞かれて返事をする前に、柔らかい唇で言葉を奪われた。
――あっ!
朝哉が告げた『恋人同士の熱いキス』は、宣言通り、今までとはまったく違う熱を持っていた。
いつもより長く強く唇が重なったと思ったら、下唇を甘噛みされて。
あっ! と唇が薄く開いたその隙間から、ぬるりと舌が入りこむ。
口内を一舐めされたその瞬間に、ゾクリとした感覚が背中を伝い、腰が砕けそうになった。
ここが車の中でよかった。外で立っているときだったら、きっと地面に座りこんでいただろう。
歯列を、そして上顎を撫でたあとで、招くように舌先を突かれて……恐る恐る自分の舌を差しだせば、待っていたかのように捕らえられ、絡まりあった。
「んっ……」
鼻にかかった甘い声が、自分のものではないみたい。
誰に教わったわけでもないのに、舌も唇も自然に動いていた。
朝哉が唇を重ねたまま顔の角度を変えれば、申し合わせたように雛子も動く。
お互いの漏らす吐息も唾液も全部合わさって混ざり合って、一つになっていく。
会話がなくても心が通じあっているのがわかる。
全身を甘い痺れが侵食していく。
下半身が疼き、唇以外ももっと触れ合いたいと思う。
ーー嫌だ、私ってば、いやらしい……
そんなふうに考えたのは一瞬だけ。
後頭部をグイッと抱えこまれて更に激しく舌を絡めとられると、思考が麻痺して何も考えられなくなった。
雛子の髪と背中を愛しげに撫でる朝哉の指先に、徐々に力が籠もっていく。
自分の気持ちも伝えたい。
朝哉の背中にまわした腕に、ギュッと力をこめる。
どれくらい経ったのだろう。
深く情熱的な口づけと、小鳥が啄むような優しいキスを何度も交互に繰り返したあとで、ようやく雛子の唇が解放された。
そっと身体を離すと朝哉がコツンと額を合わせ、至近距離からアーモンド型の瞳で見つめてくる。
恥ずかしくて、思わず視線を逸らしてしまった。
「ごめん……ガッつきすぎた。自分でも止まんなくて……」
朝哉はフッと微笑みながら親指で雛子の唇を撫で、「ごめん、ちょっと腫れちゃったな」と目を細める。
口調は申し訳なさそうだけど、柔らかく弧を描く口元はとても嬉しそうだ。
「まいったな……」
ボソリと呟かれて、「えっ」と聞き返す。
「ヒナとやりたかったことが1つ叶ったはずなのに、余計に欲求不満だ。全然足りない」
ギュウッときつく抱き締められる。
「ほんっとヤバい、好きすぎる……」
耳元で感極まる口調で言われると、雛子も胸が苦しくなって、『好き』をもっと伝えたくて。
朝哉の首に手をまわし身を乗り出すと、薄い唇に口づけた。
生まれてはじめての自分からのキス。
恥ずかしいけれど満足だ。
ーー伝わったかな、この気持ち。
「私も好き……朝哉に出会えて良かった」
朝哉がしばし呆然として……喉仏がゴクリと動いた。
「……ヒナ、俺の部屋に来る?」
「えっ」
「今日は門限0時なんだろ? ギリギリまで一緒にいたい」
恋人同士でキスもして、クリスマスイブに彼の部屋……
ーーそれって、もしかして……
知りあってまだ1ヶ月くらいしか経ってないのに。自分はまだ高校生なのに……まだ早くないかな、いいのかな。
だけど……
「……うん、いいよ」
答えた自分の声が掠れていた。心臓が早鐘を打っている。
躊躇していないといえば嘘になる。だけど彼とだったらそうなってもいいと思えた。
なのに真剣な表情の雛子を見て、朝哉がクスッと笑う。
「ヒナがめっちゃ緊張してる」
「えっ!?」
「何もしないよ」
「えっ、何も?」
ハハッと笑いながらオデコを人差し指でツンと突いて、「まだ……今日はシない」と呟くように言われた。
「ヒナはまだ15歳だし、大事にしたい。お互い初めて同士だし、ゆっくり進めていこうよ」
今日はただ合鍵を使ってほしかっただけ……と言われ、自分の早とちりと妄想力の逞しさにいたたまれなくなる。
「あっ……何もしないっていうのはナシだな。撤回させて」
「えっ?」
「アパートに着いたらすぐにキスしたい……いい?」
「……うん」
「まあ、いずれはヒナの全部をもらうけどね」
「えっ、ちょっ!」
朝哉は雛子の頬にチュッと唇を当てると、すぐに車を発進させる。
横浜のアパートに着くまでずっと、コンソールボックスの上で手を握ってくれていた。
アパートに入り玄関のドアを閉めると、宣言通りすぐにキスの嵐が降ってくる。
情熱的で優しいそれは、永遠に終わりがこないのかと思うくらい長かった。終わらなければいいのに……と思う。
「来年の春、ヒナが16歳、俺が21歳になったら婚約しよう」
「ちゃんと婚約者になったら、もっと先に進んでもいい?」
「ヒナ、ずっと俺といて。俺だけだって約束して」
「愛してる……ヒナ……俺の……」
キスの合間にひたすら愛の言葉を囁かれ、2人の未来を約束して……夢見心地で恍惚となる。
出会って間がないのにこんなに好きになってしまっていいのだろうか。
急速に燃え上がった気持ちに戸惑いながらも、自分がこんな感情を持てたことが嬉しいとも思う。
雛子の周囲には同じように若くして婚約者がいる子がいるし、中学まで共学に通っていた子の中には、すでにその頃からの彼氏がいる子もいる。
彼女たちの話を聞いて、いつか自分も恋をするのかな……なんて漠然と考えてはいたけれど……
羨ましいとか焦るとかという気持ちはまったくなく、なんだか別の世界の話のように感じていたのだ。
ーーそうか……恋をするってこういうことなのね。
出会った日に朝哉が言っていた、『身体中がピンク色に染まったみたい』の意味が今ならよくわかる。
心も体もフワフワと浮かれっぱなしだ。
好きと言ったら好きだと返され、求めたら求められて。しあわせが急上昇していく。
……けれど、恋愛は楽しいことばかりじゃない。
苦しくて痛くて苦い、ビタースイートな恋もあるということを雛子が知るのは、もう少し先の話になる……
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