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103、よろしくお願いします。
しおりを挟む「えっ、病院?」
「そう。昨日一度も顔を出してなかったから、午前中にカルテだけでも見ておこうと思って」
朝からイチャイチャしてから改めてシャワーを浴び直した天馬が、これから病院に行くと言う。
「ごめん、昨日は私を天馬のご両親に会わせたり、私の家族に挨拶したりで忙しかったもんね」
「なんで謝ってるんだよ。俺がそうしたいって言ったんだろ」
「でも……」
「一緒に来る?」
「えっ?」
驚く楓花を気にする様子もなく、天馬はネクタイを結びながら、もう一度サラリと言う。
「楓花も一緒に来いよ」
ーーいやいやいや!
そういう部分は病院の職員じゃなくても察することが出来る。
いくら天馬が病院の偉い人であっても、一緒に彼女がウロウロしてたら周囲がいい印象を持つはずが無い。
「職場に行くのはちょっと……邪魔したくないし」
「邪魔じゃないし、お前も見ておいた方がいいだろう?」
ーーえっ、見る?
天馬はおもむろにどこかに電話をかけ始めた。
「……あっ、天馬です。金森先生ですか?今日預かってるお子さんは……はい、1名ですね。前にお話した月白さんですが、今日これからお連れしても……はい、よろしくお願いします」
電話を切ると振り向いて、
「一緒に見学しようよ……託児室」
ジャケットをサッとカッコよく羽織って、楓花の手を掴んだ。
「はじめまして、保育士の金森澄子です」
「はじめまして、月白楓花と申します」
「まあ、楓花って可愛らしいお名前ね。楓花先生とお呼びすればいいかしら?」
「いえ、私は先生では……」
天馬に連れられて『託児室』に来ると、そこには保育士の金森先生と、5歳の男児がいた。
「金森先生、このお姉さんは新しい先生なの?」
男の子が金森先生のエプロンの裾を引っ張りながら問いかける。
「そうよ、楓花先生って言うの。守くん、自分で自己紹介出来るかな?」
『守くん』と呼ばれたその男の子は、楓花を真っ直ぐに見上げて溌剌とした口調で挨拶をした。
「遠野守です。5歳です。よろしくお願いします」
ペコリとお辞儀をされて、楓花も反射的にお辞儀を返していた。
「月白楓花です。23歳です。よろしくお願いします……守くん、上手にご挨拶出来て偉いねぇ~。先生、ビックリしちゃった」
膝をかがめて守と同じ目線になると、にっこり微笑みかけた。
「金森先生がおばあちゃん先生で、楓花先生がお姉さん先生だね」
屈託なくそう言う守を見て、楓花と金森先生は同時に顔を見合わせてクスッと笑う。
金森先生は2年前に定年退職で保育園を退職した62歳の保育士で、同じくこの託児室で働いている元病棟主任の飯島恵子先生の友人なのだという。
「飯島さんが病院を定年退職された後、この天馬先生にお声掛けいただいて、『託児室で働くことになったから一緒にどうだ』って私も誘われたのよ」
横を見ると、畳の上で守の相手をしながら天馬が頷いている。
この託児室は、『柊胃腸科病院』に勤務している従業員の子供を預かっている。
元従業員が妊娠出産後に職場復帰したくても子供を預けることが出来なくて困っている……という話を聞いた天馬が、病院内で子供を預かる事が出来ないだろうかと考え2年前に立ち上げたのだという。
「登録者には、毎月病院の勤務表が出ると同時に、自分の子供を預けたい日と時間を1ヶ月分まとめて申請してもらうんだ。こちらはそれに合わせて3人で割り当てを決める」
「それなら親の都合に最大限に配慮できますね」
天馬の説明に楓花が感心する。
普通の幼稚園や保育園と違って自己申請だから、自分の仕事が無い日は預ける必要がない。勤務のある日は自分が出勤する時に一緒に連れて来て、帰るときはこの託児室に寄るだけでいい。送迎の手間が省けるし無駄がない。
それを捕捉するように金森先生が付け加える。
「子供の親がここで働いているわけだから、何かあったらすぐに呼び出せるし、熱っぽいかな……と思ったら、ここは病院だからすぐに診ていただけるでしょう? 七夕の時にはここの子供達が病棟に行って、入院中のお年寄りと一緒に笹の葉に七夕飾りをぶら下げたりして喜ばれているのよ」
「それは素敵ですね。だけど私は……」
金森先生が楓花の両手を柔らかく握って微笑みかける。
「天馬先生からお話は伺っています。以前勤めてらした所では辛い目に遭われましたね。まだ不安ですか?」
楓花は正直に頷いた。
「はい。まだ自信の無い半人前の私が大切なお子さんのお世話をしてもいいのかな……って」
「あなたの心配はごもっとも。良く分かるわよ」
楓花の気持ちに理解を示した上で、
「だけど、ここにお子さんを預けているお母さん方にはそんな意地悪な方は1人もいないのよ。みんな子育てしながら患者さんのお世話をしている立派な人ばかり。それに、あなたに何かあれば私と……」
畳の上から見守っている天馬にチラリと目をやり、
「そこにいる天馬先生が盾になります。あなた1人だけで悩むことはないの。仲間なんだから」
「どうかしら?」と聞かれて楓花の心は決まった。
「はい、私で良ければ……よろしくお願いします」
「よっしゃー!やったな!」
天馬が思わず大声を上げると、一緒にいた守も「よっしゃー!」
天馬の口真似をして大声を張り上げた。
「よし、守くん、楓花先生と一緒に絵本を読もうか」
「うん!『かちかち山』を読んで!」
「分かった」
畳に座って絵本の読み聞かせを始めた楓花を、金森先生が遠くからニコニコと眺めている。
「金森先生、どうもありがとうございました。よろしくお願いします」
「あらあら、私は天馬先生のために彼女をお誘いしたんじゃありませんよ。子供の相手は体力勝負ですから、若い方に来ていただきたいと思っていたんです。先生の彼女だからって特別扱いはしませんからね」
「彼女って……やっぱりバレてましたか」
天馬が苦笑いしながら頭を掻く。
「そりゃあね、『知り合いの子』なんて言ってましたけど、クールで冷静沈着と言われてる天馬先生が、そんな優しい目で見つめてらしたらねぇ」
「……はい、大切な彼女です」
そう言いながら天馬は口元を緩めて、金森先生が言うところの『優しい目』で、楓花をジッと見守っているのだった。
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