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<<デビュー3周年&文庫化記念番外編>>

あの日の約束 side大志 (1)

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『桜子、そして冬馬へ』
 病室のベッドで二人への手紙を書きながら、ふと懐かしい出来事を思い出した。あれは今から四年前の十二月、俺が二十八歳、桜子が二十歳のときのことだ。

 ある日、俺が仕事から帰ると、家のリビングでパソコン画面を見ながら家族がきゃっきゃとはしゃいでいる。何ごとかと近寄って画面を見たら、そこには温泉旅館の写真が並んでいた。

「旅行に行くの?」
 俺の声かけで、カーペットに直座りしている三人が一斉に俺を見上げてきた。
「おお、大志、お帰り」
「ああ、大志、お帰りなさい。お仕事お疲れ様だったわね」
「お兄ちゃん、お帰りなさい!」
 ――ハハッ、仲良しだな。

 当時の俺は二十八歳で、大手弁護士事務所で若手弁護士として働いていた。
 桜子は大学二年生で翌年には成人式を控えている。つまり桜子と母親が我が家に来てから十四年経ったということだ。

 ――月日が経つのは早いものだな……。

 俺がぼんやりと感慨に浸っていると、
「お母さんたちが温泉に行くんだって。お兄ちゃんはどこがいいと思う? 私はこの露天風呂が素敵だと思うんだけど」
 桜子が画面を指差しながら笑顔で話しかけてきた。

 どうやら父が現在担当している案件の資料を揃えるために群馬県まで行くことになり、せっかくだから一緒にと母にも声をかけたらしい。そこで一泊するための宿を物色中というわけだ。

 ――そういえば父さんたちが二人で出かけたことが無かったな。

 俺の記憶によれば、この二人は新婚旅行はおろか二人だけでの遠出もなかったはずだ。お互い子連れ同士の再婚ということもあったけれど、桜子がまだ小さくて人見知りが激しく、そのうえ夜泣きも酷かったので家に置いていくわけにいかなかったのだろう。
 そのあと桜子の症状は徐々に落ち着いて今では普通に友達もいるが、なんだかんだと忙しくしているうちにタイミングを逃して今に至る……というところか。

「二人だけで留守番をさせちゃうけれど大丈夫かしら。桜子、あなたがお兄ちゃんの分も食事を作るのよ」
「大丈夫だよ。お兄ちゃんは私が作る卵焼きとポテトサラダが大好きだって言ってくれてるんだから。ねっ、お兄ちゃん」
「ふはっ、今からおかずが卵焼きとポテサラで確定か」
「えっ、嫌だった? カレーがいい?」
「いや、桜子が作ってくれるなら何でもいいよ。ポテサラも大好きだ」

 こんなときにも俺の食事の心配をしてくれるこの母親が大好きだ。こんなに笑顔の似合う、とても思いやりのある人だから、桜子みたいな心優しい娘が生まれたのだろう。
 俺も父の再婚相手がこの人でよかったと思っているし、この人だから素直に母親として受け入れることができたのだ。

 ――そして桜子を俺に任せて出かけるということは、それだけ俺が信用されているということで……。

 すでに桜子に対して邪な気持ちを抱いている俺としては、信用を裏切るみたいで申し訳ないような気がする。しかし母さん、安心してほしい。俺はこの気持ちを押し殺すことに関しては年季が入っているし、兄として接することに慣れているので絶対に手を出さないと誓うよ。

「温泉か~、いいね、俺も一緒に選んでやるよ。こういうのは口コミを見たほうがいいんだよ」
 俺も一緒にガラステーブルを囲み、観光地の話題で盛り上がった。

 両親が出かけるのは十二月二十七日の朝に決まった。所轄の警察や地元の保険会社に寄って話を聞いたあとで群馬の温泉旅館に一泊して翌日の夜に帰ってくるという。
 母と話をしたのは出発の前夜だ。夜中に喉が渇いてキッチンに降りて行くと、ダイニングテーブルで母が書きものをしているところに居合わせた。

「あら大志、まだお仕事しているの? あまりこんを詰めすぎないようにね」
「母さんこそ、こんな夜中に何してるの?」
「ああ、桜子にメモを残しておこうと思ってね」
「メモ?」

 見れば手元の紙には晩御飯の支度やお風呂掃除、寝る前の戸締りなど、桜子が大学から帰ってからするべきこと一覧とその手順が翌日の夜の分まで事細かく記してある。

「すごいね、こんなことまで」
「過保護だって思うわよね。あなたや桜子を信用していないわけじゃないのよ。ただ、あの子と離れるのがはじめてなものだから、つい……」
「うん、わかるよ」

 桜子と母は前の夫にひどい暴力を受けてきた。その影響で桜子は今でも身内以外の男性が苦手だし、甘え下手で気持ちを押し殺してしまいがちだ。
 そんな娘が心配でたまらない気持ちは理解できるし、一泊旅行ともなればこうして手紙を残して行きたくもなるだろう。
 びっしり書かれたアドバイスは桜子に向けた母親からのラブレターなのだ。

 かと言ってこの母親は娘を甘やかしてばかりいたわけじゃない。しっかり家のことを手伝わせていたし、叱るときは毅然とした態度でピシャリと注意してくる。
 お陰で桜子は家事を一通りできるし料理も上手だ。一度褒めるとそればかりを作るのも愛嬌があっていいと思う。

 俺は桜子が作ってくれる料理なら毎日同じでも飽きない自信があるし、特にポテサラは学生時代から桜子の得意料理で……。
 と脱線したが、とにかく俺は、父の再婚相手がこの人でよかったと心から思っているのだ。そしてその娘が桜子だったことも。

「――まぁ、大丈夫だよ、俺もいるんだし」
 ――下手すりゃ俺のほうが母さん以上に桜子に過保護だしな。

「そうね、こうして夫婦だけで出かけられるようになったんだなって、なんだかとても感慨深い。ああ、あなたちはもう立派な大人なんだな、もう私がいなくても大丈夫なんだな……って。私は本当にしあわせものだなって思えて、それが嬉しいの」

 ありがとう……と改めて頭を下げられて、胸の奥が熱くなる。

「あの頃のあなたは中三で、普通なら親の再婚なんて反発したっておかしくない年頃だったのに、私と桜子を受け入れてくれてありがとうね。本当に感謝をしているのよ」
「俺のほうこそ……八神家に来てくれてありがとう。俺はもう、本当の家族だと思ってるから」

 うちに来てくれてありがとう、俺の母親になってくれてありがとう、桜子と出会わせてくれてありがとう、彼女を産んでくれてありがとう。

 桜子への恋心を自覚してからというもの、この巡り合わせを『つらいな』と思うことは何度もあった。けれど不思議と『嫌だ』とか『辞めたい』とは思ったことがなくて。

 俺はとても欲張りだから、桜子の家族でいたいし、二人で留守番する権利も手放したくないんだ。桜子の兄の座も、未来の恋人の座も誰にも譲りたくはないんだ……。

 ――言ってしまおうか。
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