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<< バレンタイン番外編>>

ハート型クッキーの行方 (1) side大志

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 木曜日の夕方、俺が図書館での勉強を終えて帰ってくると、家中が甘い匂いに包まれていた。

 玄関には見慣れぬ女性ものの靴が2足。
 俺は「はは~ん、なるほど」とうなずいて、キッチンへと足を向けた。

「桜子、ただいま」

 俺が声をかけるとキッチンカウンターから振り向いた顔は4つ。
 母さんと桜子、そして桜子の中学校の親友2人組。

「2人ともいらっしゃい、いつも桜子と仲良くしてくれてありがとうね」

 俺がニッコリと微笑むと、2人とも頬を赤らめながら「こんにちは」と返してくる。

 この桜子の親友2人はとても良い子だ。
 夏に桜子が電車で痴漢に遭ってからというもの、学校の行き帰りは桜子を両側から挟みこんでガードしてくれている。

ーーまあ、俺がそう頼んだんだけど。

 2人とIDを交換してメッセージで情報を送ってもらっているから、桜子の動向は俺に筒抜けだ。
 そういえば今度うちでバレンタイン用のクッキーを焼くとか言ってたな。

 中学校のクラスメイトの男子にバレンタインデイの義理チョコならぬ義理クッキーを配るのだそうだ。
 中1では本格的なチョコは難しいので、母さんに教わりながら型抜きクッキーを焼くらしい。

 さりげなく探りを入れた結果、桜子は特に好きな男子がいるわけではなく、まわりの空気と流れで『3人の連盟でクラスメイトに何かを配ろう』ということになっただけ。
 それを聞いて心底ホッとした俺は、筋金入りのシスコンなのだろう。


 ひょいと作業台を覗きこめば、まな板の上には星やヒヨコやお花など、様々な型で抜かれたクッキー生地が並べられている。
 その中にハート型があるのを見て、俺は「んっ?」と顔をしかめた。

「桜子、ハート型のも焼くのか」
「うん、たくさん種類があったほうが楽しいでしょ?」
「う~ん……ハート型は、良くないな。男子に勘違いさせる」
「「「ええっ!?」」」

 母さん含め女性陣みんなから非難の声があがる。

 だけど間違っちゃいないだろう? ハートだぞ、ハート。
 ハートといえばラブじゃないか、好きって意味じゃないか。
 そんなものをもらったら、ヤリたい盛りの中坊なんて余計にサカって食いついてくるだろう。
 少しでも勘違いさせるような真似はしないほうがいい、だからハート型はダメだと懇々と語る俺に、桜子はうらめしそうな目を向ける。

「だって第一弾はもう焼いちゃったし、頑張って型抜きしたのに……」

 うぐっ、桜子にそんな顔をされると俺だってつらい。
 桜子を悲しませたくないし、恨まれるなんて絶対に嫌だ。
 だけどクラスの男子に気のある素振りをされるのも嫌なんだ!

「あらまあ、お兄ちゃんは本当に桜子が心配なのね。だったら桜子、ハート型のは全部お兄ちゃんにあげちゃいなさいよ」
「それだっ!」

 母さんは天才だな。さすが桜子の母親だけあって、顔も頭もいい。

「よし、桜子、ハート型はお兄ちゃんのだ、たくさん焼いてくれ」
「え~っ、お兄ちゃん、言ってることがめちゃくちゃ~!」

 そう言いながらも桜子はクスクス笑っている。
 うん、俺の座敷童子は本当に可愛いな。いつだって俺にしあわせを運んでくれるんだ。


「……そういうわけで、ごめんね。俺がハートのクッキー、もらっちゃっていいかな?」

 顔の前で手のひらを合わせながら桜子の親友に微笑むと、2人はどうぞどうぞと了承してくれた。

ーーやった! 思わぬ流れで桜子のラブを独り占めだ!

 だけど俺がそうやって浮かれていられたのは、その日だけだった。


 翌日の金曜日、キッチンのカウンターに置かれている物を見て、俺はハテナと首をかしげ、桜子を呼ぶ。

「なあ桜子、このクッキーって……」
「あっ、それはさわっちゃダメ! 冬馬さんのぶんだから」

 ソファーに座ってテレビを見ていた桜子が、バッと立ち上がり、駆け寄ってくる。

「バレンタインだし、冬馬さんにも取っておいたの」

ーーはぁあ!?

 それは昨日焼いていたクッキーで、レース柄の透明な袋に入って赤いリボンで結ばれている。

 それはまあいい、バレンタインの義理チョコはお約束だ。
 せっかく焼いたクッキーを渡したいならそれもいいだろう。

 だけど……

「ハートが入ってるじゃないか」

 そう、俺に全部くれたはずのハート型が、桜子のラブが、星やヒヨコに紛れて3枚も入っている。

「えっ……ダメ?」

 しょぼんとした様子に俺まで悲しくなる。
 そうだよな、冬馬は桜子の憧れの君だもんな。
 ハートの1枚や2枚は入れておきたいよな。
 だけどなぁ~。

 俺が難しい顔をしていると、桜子は「そうだね、お兄ちゃんと約束してたんだし」と言って袋のリボンをほどく。

 白いお皿に取り出しされたハート型クッキー3枚を見て、俺の良心がチクチクと痛んだ。

ーー俺って小っちぇーな……

「……1枚だな」
「えっ?」
「3枚もあると冬馬を調子づかせてしまう。1枚ならギリセーフだ。たまたま紛れ込んだっぽい感じでいこう」

 俺は「うん、そうしよう」と言ってハート型クッキーを1枚つまむと、レース柄の袋にポイッと放りこむ。

「ほら、リボンをかけて」
「……うん、お兄ちゃん、ありがとう」

 フワッと微笑んで俺の手からリボンを受け取ると、桜子は左右の長さを整えながら丁寧に、とても丁寧にリボンを結んだ。

ーー桜子の初恋の君……か。


 今夜、冬馬はバイトが終わってから家に夕飯を食べにくる。
 桜子は夕食後にクッキーを渡すつもりなのだろう。

ーー冬馬は喜ぶだろうな……。

 きっと桜子からのバレンタインプレゼントに顔を綻ばせて、あいつらしくもない食レポでめちゃくちゃ褒めちぎるんだ。

 そしてそれを見た桜子は頬を赤らめて恥じらいながら、うっとりした目で冬馬を見るのだろう。

ーー嫌だな……。

「ハハッ、俺って本当に小っせーな」
「えっ、なに?」
「ん、なんでもない」

 俺は桜子の艶やかな黒髪をゆっくり撫でながら、笑顔をつくる。

「桜子、今日もポテトサラダはある?」
「うん、お母さんと一緒に作るつもり」
「そっか、俺、桜子のポテトサラダ、大好物」
「うん、そう思って、お母さんにジャガイモを買ってきてもらった」 

ーーうん、楽しいな。

 桜子がいて、父さんと母さんがいて、そして親友の冬馬がいて。

 今夜の食卓も賑やかで楽しいものになるだろう。
 そしてきっと母さんは冬馬が好きな揚げ物を作って、いつもより品数が多くなるんだ。

 俺は皆で食事をしながら笑い合う風景を思い浮かべる。
 そして同時に桜子からクッキーをもらって喜ぶ冬馬の姿も想像して、胸がチクンとして、ちょっとだけ切なくなって。

 だけどその後で嬉しそうに顔を綻ばせる桜子の笑顔を考えると、やっぱりしあわせだな……って思えるんだ。

ーーうん、俺はしあわせだな……。

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