仮初めの花嫁 義理で娶られた妻は夫に溺愛されてます!?

田沢みん

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俺は幸せだ 〜大志の最期〜 ラスト

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 翌朝は、まだ夜が明けきらないうちに目が覚めた。
 俺が身じろぎすると、ベッドにうつ伏せて眠っていた桜子が顔を上げる。

「お兄ちゃん、喉が渇いたの?氷を取って来ようか?」

「……そうだな……頼む」
「わかった。ちょっと待っててね」

 桜子はマグカップを手に、ロビーにある製氷機まで氷を取りに出た。
 ドアが閉まった途端に、俺は堪えていた咳をする。

「ゴホッ、ゴホッ……うっ……」

 痰絡みの咳をすると、胸と背中に鋭い痛みが走る。

「ヒュッ、ヒューッ……」

 喉が笛のような細い音を鳴らす。息が苦しい。吸っても吸っても肺が空っぽのままだ。

 ベッドの頭を起こしたくて、リモコンに手を伸ばそうとしたけれど、腕に力が入らなくて諦めた。
 そのまま白い天井を見上げる。
 焦点が定まらなくて、視界がぼやける。

ーー眠いな……

 なんだか、今ここで眠ってしまってはいけないという気がした。
 だけど無性に眠くて仕方がない。

 瞼が重くて徐々に閉じていく。
 手足の感覚が無くなってきた。
 あんなにあった痛みがスーッと引いていく。

 精神はそのままに、肉体だけが背中から深く深く沈んでいく感覚。

ーーああ、いよいよか……

 目尻から一筋の涙が頬を伝っていった。

「桜子、今度生まれ変わったら……」

ーー今度こそ、兄ではなく……。いや、やっぱりお前と一緒の時間を……

 ハハッ、それでもやっぱり桜子の兄の座を誰にも譲りたくはないなんて……俺って贅沢だな。

 神様、お願いです。
 今度生まれ変わったら、どんな形でもいいから、もう一度桜子と出会わせて下さい。

 そして願わくば……彼女もそう望んでくれますように……


 フッ……と身体が軽くなる。

 苦しくは無い。ただ全てから解放されるだけだ。

 もういいよな。俺は十分足掻いたんだ。
 半年間、耐えて耐えて、桜子にまた会えた。一緒に残りの日々を過ごせた。

 アイツに……冬馬に愛する者を託す事が出来た。
 これ以上の未練は贅沢だ。

『無の境地』では無いかも知れないけれど……住職、俺はその心持ちに、少しは近づけたような気がします。

 そしてそうなった時……魂はゆっくりとこの世から離れて行くのですね。


 ぼんやり薄れて行く意識の中で、最期に脳裏に浮かんだのは、桜子との思い出。

 母親の後ろからひょっこり顔を出した座敷童子みたいな可愛い女の子。
 俺の人差し指をちょこんと握る小さな手。
 キラキラ点滅するクリスマスツリーと花咲くような笑顔。

 あいつにせがまれた兄シャツ。
 左足の火傷の痕。
 東京タワーの恋人ごっこ。
 バーガンディカラーのマフラーと帽子。
 耳に光るエメラルドのピアス。
 ボストンでの1週間。

 たった2回だけの口づけ……

ーー柔らかかったな……
 
 思わず笑みが浮かぶ。


 フワリ。


「ああ、そうか……こういう感じなのか」

 こんな最期なら、悪くもないかな。

 胎児が母親の胎内で眠るように、枯れ葉が土に還るように、ただ目を閉じて身を任せればいい。

 もう悩みも苦しみも痛みもない……そこにあるのは『無』だ。


 廊下の方から桜子の足音。
 そうか、俺の最期は桜子が看取ってくれるのか。
 ありがとう。ごめんな。泣かせちゃうな。辛い想いをさせるな。

 冬馬、ザマアミロ。
 少なくとも今これから桜子が流す涙と哀しみは、全部俺だけのものだ。


 ガラリと開くドア。

「お兄ちゃん……お兄ちゃん?!」


 すぐ耳元で、愛する女の声がする。

「お兄ちゃん!」

 ああ、最期に聞く声が桜子で良かったな……

「さくら……こ……あい……て……」

「お兄ちゃん!……お兄ちゃん、私も愛してるよ!大好きだよ!……お兄ちゃん!」


ーー桜子、生まれ変わったら、やっぱり俺は……

「お兄ちゃん、愛してる!」


 そして世界は永遠の『無』になった。


ーーああ、俺は幸せだ……







Fin
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