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<< 特別番外編 >>
俺は幸せだ 〜大志の最期〜 (2)
しおりを挟む5月5日の桜子の誕生日は、俺と冬馬と3人で祝うことにした。
本当は夜景の見えるお洒落なレストランにでも連れて行ってやりたかったけど……こんな薬臭いホスピスの病室でごめんな。
だけど、俺が祝ってやれる最後の誕生日だから、今年だけはここで勘弁してくれ。
桜子が小さい頃は、 自分が男の子のお祝いの日に生まれたというのを凄く嫌がっていた。
『桜子、 5月5日は子供の健やかな成長を祝う日なんだぞ。 そんな日に生まれたんだから、 桜子はきっと健康で長生きするぞ!』
俺がそう言ってやったら、顔をパアッと明るくして、『私、長生き出来るんだ!』って喜んでいたのを覚えている。
そうだよ、桜子。
お前は絶対に健康で長生きするんだ。
百歳を過ぎても可愛いおばあちゃんになって、子供や孫や沢山の家族に囲まれて愛されて、幸福な老後を過ごすんだ。
そう、俺の分まで……
その日の夕方、約束していたとおり、冬馬が誕生日ケーキを持って病室に現れた。
昔からの馴染みの店に俺が注文しておいた苺ショートケーキ。
白い生クリームの上に、『桜子ちゃん、おたんじょうびおめでとう』と書かれたチョコプレートと、うさぎやクマのマジパン。
子供じみているけれど、昔から桜子の誕生日ケーキはこれと決まっている。
父さんや母さんが生きていた頃からの習慣だ。俺が病気であろうとも変えるつもりは無い。
俺がいなくなってからも……だ。
来年からは……冬馬、ケーキの注文はお前の役目だぞ。
最初の一切れは、まず桜子に。アイツの分は少し大きめに切り分けてやってくれ。甘い物が大好きだからな。名前の書かれたチョコプレートは、もちろん桜子のものだ。
「桜子、誕生日おめでとう」
「桜子ちゃん、誕生日おめでとう!」
「2人とも、ありがとう」
4号サイズのケーキを前に、桜子が目を輝かせる。
「おい冬馬、歌えよ」
「ええっ?!」
「キャンドルを吹き消す前に手拍子と共にお祝いの歌を歌うのはお約束だろ。残念ながら、俺はもう歌えるだけの肺活量が残ってないし、こんなしゃがれ声じゃ浪曲になっちまう」
俺がそう言った途端、桜子と冬馬が気まずそうに顔を見合わせた。
そんなに困った顔をするなよ。ここは笑い飛ばすとこだろ。
仕方ないじゃないか。息が切れて、痰が絡んで、本当にもう、空気が漏れたような掠れた声しか出せないんだからさ。
暗くなった場を盛り上げようと思ったのか、冬馬がゴホンと咳払いしてから「ハッピーバースデー……」とお馴染みの歌を歌い出した。
低くて色気のあるバリトンボイス。
そういえばコイツは歌が上手いんだった。
バイトが忙しくてあまり遊びに行かないヤツだったけど、俺が無理矢理引っ張って仲間内のカラオケに連れてった時には、皆が冬馬の歌声に聞き惚れていたっけ。
あの場にいた女子全員の目にハートマークが浮かんでたんだよな……
ーーそしてここにも……
チラリと桜子を見れば、案の定胸の前で指を組んで美声に聴き入っている。恋する乙女そのものだ。
ーーくそっ、冬馬に歌えなんて言うんじゃなかった。
そう思ったけれど、反面、俺はいい仕事をしたよな……って自分を褒めてあげたくもなった。
これで桜子はますます冬馬に惚れ直すだろう。
俺がいなくなった後は、このイケメンボイスでいくらでも愛の言葉を囁いてもらえ。
ーー冬馬が囁くのか……愛の言葉を。
この期に及んで『嫌だな』なんて思ってしまう俺は、何処までも欲深い。
何年にも渡ってこの2人の間を邪魔して、年頃の桜子を独占して、そのうえ冬馬との友情も失いたくないなんて。
だけど、それもあと少し。
ーー桜子、冬馬、望んだ人生の半分も生きられなかった男を哀れだと思って、もう少しだけ俺の我儘に付き合ってくれ……
ケーキを切り分ける段になって、桜子が困惑顔で俺をチラッと見た。
その頃の俺はもう食事が摂れなくなって点滴だけで命を繋いでいたから、どうしようかと思ったんだろう。
「俺にも一切れ食べさせてよ。但しペラッペラの薄いのな」
そう言ってやったら、桜子は漸くホッとした笑顔を浮かべて、本当に紙みたいに薄い一切れだけを紙皿に乗せてくれた。
2人が心配そうに見守るなか、フォークで生クリームを掬って一口舐める。
舌が馬鹿になってるから味が良く分からない。粘土を口に含んでるみたいだ。
だけど思いっきり顔をしかめて「甘っ!」と言ってやったら、桜子と冬馬が顔を見合わせてクスッと笑ってくれた。
それが嬉しくて、残りのスポンジも吐き気を堪えながら無理やり飲み込んだ。
「久し振りに口から食べたよ。結構食べれるもんだな。美味かった」
そう言ったら、桜子が「良かった……」と涙を流して喜んでくれた。
ーー良かった。桜子の23歳の誕生日の思い出を、少しでも明るいものにしてやれた。
俺にしてやれる事なんて、もうこれくらいなもんだ。
桜子が俺に尽くしてくれた時間や俺にくれた幸せに比べたら、全然恩返し出来てないけれど……それでもせめて、こいつの心を軽くしてやるくらいは出来たかな。
そのうち耐えきれなくなったのか、桜子が「ごめんなさい、これは嬉し泣きだから……」と、顔を覆って泣き出したから、俺も冬馬も目を合わせて、そのまま黙って思う存分泣かせてやる事にした。
桜子がひとしきり泣いてティッシュで涙を拭くのを待って、俺は今日言おうと決めていた言葉を伝える。
「桜子 ……後のことは、 全部冬馬に任せてある。 相続のこと、 事務所のこと、 葬儀の手配…… それと、 お前のことも……だ。 これからは何かあったら冬馬に頼れ。 分かったな? 」
「お兄ちゃん、 そんなことを言わないで…… 」
またも顔をクシャッと歪めて、俺のいるベッドにしがみつく。その細い手をギュッと握りしめながら、俺は次に冬馬を見上げた。
「冬馬、 何度も言うようだけど…… 後のこと、 桜子の事を…… よろしく頼む」
「……ああ、 任せておけ。 心配するな」
目と目で合図を送り、 頷きあう。
病気になってから、何度も何度も話し合い、しつこいくらい念押ししてきた事だ。
もう大丈夫だ、後のことは何一つ心配ない。
最後にもう一度、桜子を見つめる。
祈るように、何かを乞うように、濡れた瞳でジッと俺を見上げている大事な妹。
「桜子、 俺はお前を心から愛してる。 幸せになってくれ。 ずっと見守ってるからな」
ーー愛してるよ。世界中の誰よりも、何よりも大切で愛しい存在。
「お兄ちゃん…… 私もお兄ちゃんが大好きだよ! 愛してるよ! だからどこにも行かないで! ずっとそばにいてよ! 」
泣きながら布団にすがりつき、肩を震わせる。
ーーありがとな。俺も愛してる……兄として、家族として……1人の男として……
残った力の全てを振り絞るつもりで、桜子の背中を強く抱き締めた。
この感触を、抱きしめる腕の力を、俺の息遣いを……どうか覚えていて。
桜子の23歳の誕生日に、俺はこうしてここにいた。
お前と一緒に生きていた事を、どうか、どうか忘れないで。
「……ああ、そうだ。俺の棺にはこのマグカップを一緒に入れてくれ。あと、桜子が編んでくれたもの全部」
水の入ったマグカップを見つめながら呟いたら、桜子の背中が更に大きく揺れた。
ーーうん、これでもう、言い忘れは無いかな……無いな。
気持ちと一緒に、魂もフワリと軽くなった気がした。
自分の身体から漂う死の臭いを振り払うように、この世界にしがみつくように……ひたすら桜子を抱きしめ続けた。
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