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1巻
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すると冬馬さんはハッとした顔をして、申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「そうだよな……君はここに籠ってばかりで退屈だもんな。気が利かなくて申し訳なかった。今日の午後は出掛けよう」
「いえ、そういうんじゃないんです! 冬馬さんがずっと働き詰めだから……その……妻として、身体が心配で……」
そこまで私が言うと、冬馬さんはテーブルに両肘をついて顔を覆う。
「妻……って……」
――あっ!
図々しすぎたかもしれない。
冬馬さんにお世話になってばかりの身で差し出がましいことを言った。そのうえ余計な気まで遣わせて……
冬馬さんは暫くジッと考え込んでいたけれど、何か思いついたようにパッと顔を上げた。
「このままじゃ駄目だよな……うん、今日は一緒に外出しよう。何処がいいかな。映画はどう?」
「そうじゃなくって! 私は冬馬さんに休んでほしいんです!」
けれど、被せ気味に答えた私に一瞬たじろいだ彼は、ニカッと白い歯を見せる。
「桜子ちゃんはいい奥さんだな。気遣ってくれるのはありがたいけど、新妻と過ごす時間だって俺にとっては貴重な息抜きなんだ、付き合ってよ」
――にっ……新妻!
「俺達の初デートだな」
――デート⁉
甘い笑顔で言われ、私はもう頷く以外に選択肢はなかった。
* * *
「――ただいま~……おっ、オシャレしてるね。素敵だよ、とても似合ってる」
その日の午後。仕事から帰ってきた冬馬さんは、私が着ている膝下丈のワンピースを上から下まで遠目に見て、三日月みたいに目を細めた。
アメリカから帰国して以降、オシャレをする気持ちも余裕も全くなかったから、こういう華やかな色合いの服装は久し振りだ。
クリーム色のシフォン生地に紫のライラックを散らしたロングワンピは、地味すぎず派手すぎず、兄も似合うと褒めてくれていたお気に入りの一着。肩に羽織った濃紺のカーディガンが、ガーリーっぽさを抑えて、少しは大人っぽく見せてくれている……はず。
それを見て、サラッと『素敵だよ』なんて台詞を吐けてしまうあたり、やはり冬馬さんは女性慣れしていると思う。
「今すぐシャワーを浴びて準備してくるから待ってて」
「あっ、いいんです!」
「えっ?」
呼び止めた私を振り返り怪訝そうな顔をする冬馬さんに、今日ずっと考えていたことを伝える。
「今日はやっぱり、このお部屋で過ごしませんか? 冬馬さんはああ言ってくれたけれど、私はあなたに無理をさせたくありません」
「だから、俺は君と息抜きを……」
「息抜きだったらここでもできますよね? 今日はおうちデートです」
「えっ?」
私はガラステーブルの上にある袋を手に取って、中からDVDを取り出す。
「家で映画鑑賞しようと思ってレンタルしてきました。どれがいいですか? アクション、コメディー、ホラーにロマンス。四種類の中から好きなのをお選びいただけますよ。途中で居眠りするのも御自由に」
パッケージを見せていたずらっ子みたいに笑ってみせると、冬馬さんは呆気にとられた顔をした。それから足早に近付いてくる。
「きゃっ!」
ガシッと抱き締められて、DVDがバラバラとクリーム色のカーペットに落ちた。
「全く……君っていう子は……」
頭の上から髪の毛越しに唇が落とされる。
私の耳元で「待ってて、すぐ戻るから」と囁くと、冬馬さんはバスルームへ消えていく。
「うっ……わ~」
――耳元で、あの色気のある低音ボイスは反則!
今キスされたばかりの頭に手を当てて、私はぼ~っと立ち尽くしていた。
そして――
ヴァーーーーーッ! キャーーーーッ! ガッ! ブシュッ!
「……あの……もうスプラッターなシーンは終了しましたか?」
「うん、多分ね」
「多分って、そんないい加減な!」
「それじゃ、きっともう大丈夫」
「それじゃ……って! なんだか怪しいからもう少しこのままでいます!」
私はソファーでクッションに顔を埋めながら、くぐもった声で宣言する。すると、隣でハハハッと笑われた。
「桜子ちゃんさ、なんでゾンビもののDVDなんて借りてきちゃったの? 昔から苦手だったじゃない」
「えっ、知ってたんですかっ⁉」
ガバッとクッションから顔を上げると、白い歯を見せて愉快そうにしている冬馬さんの顔がある。
「だってさ、俺が八神家に入り浸ってた時に、リビングで大志とホラー映画を見てたらギャーギャー叫んで逃げ出してただろ」
「おっ、覚えてたのに、わざとコレを選んだんですかっ⁉」
「うん。選択肢にあったから」
「イジワルっ!」
「だって、女の子とのデートならホラー系がデフォでしょ」
「えっ、そうなんですか?」
「そうだよ。怖いシーンになればしがみついてもらえて自然にボディタッチができるし、吊り橋効果でドキドキさせられる」
その彼の言葉で脳裏に水口さんの顔が思い浮かび、胸がモヤッとした。
――冬馬さん、せっかくのおうちデートで、過去の女性とのデートを匂わせるような言動はNGですよ。切ないです……
「さっ、さすが冬馬さん、恋愛上級者ですね。女の子を落とすテクニックを熟知してる感じ」
「そんなことないよ」
「だって……」
私は膝に置いたクッションに視線を落とす。冬馬さんは前を向いたまま片手を伸ばしてきて、クッションの上の私の手を包み込んだ。
「桜子ちゃんが乙女の妄想を働かせてるのを邪魔して悪いけど……今話したのは一般論で、実際に実践したのは今日が初めてだ。一緒にホラー映画を見るのも、ベタな口説きテクを使ってみようと思う相手も桜子ちゃんだけだよ」
「えっ⁉」
私がバッと冬馬さんに顔を向けると、同じくこちらを向いた彼と視線が重なる。
「第一、女の子と二人きりでデートなんて高校の時以来だし……正直ちょっと緊張してる」
「嘘っ!」
「嘘じゃないよ」
それが本当だと伝えるかのように、上から握る手にギュッと力が加わった。
――大学の大人っぽい先輩は? 水口さんは? 付き合ってもデートしてないってこと?
冬馬さんの顔を見つめたまま考え込む私に、冬馬さんがテレビのほうへ顎をしゃくる。
「あっ、桜子ちゃん、見てみなよ」
「えっ?」
バタンッ! ヴガーーーーーーッ!
「イヤ~~っ!」
「ハハハッ」
思わず冬馬さんに抱きつくと、「ほらね、こうして自然にボディタッチ……」と言った彼の言葉が途切れ、急に沈黙が訪れた。
ドクン、ドクン、ドクン……
勢いで抱きついたものの引き際が分からなくて、大木にとまるセミの如く、冬馬さんの胸にしがみついて固まる。
――今、冬馬さんはどんな顔をしているの? 冬馬さん、私は吊り橋なんか渡らなくても、ホラー映画を見なくても、あなたといると常にドキドキしてますよ。
その時、グイッと両肩を掴んで胸から離され、次の瞬間には柔らかい唇を押し付けられる。
――あっ!
頬にサラリと触れる彼の黒髪から漂うのは、この六日間で覚えた、冬馬さんのシャンプーの香り。
外出の時にはオーストラリアブランドの香水を付けている彼の、このシトラスハーブの香りを嗅げるのは、一緒に家にいる私だけだ。
長めの口づけのせいなのか、ハーブの香りに酔ったのか……気持ち良くて頭がぼ~っとする。
唇から全身に伝わる快感に身を委ねていると、ゆっくり顔を離される。私はトロンと目を開けた。
「……ごめん」
「えっ?」
冬馬さんは気まずそうに顔を背ける。
「やっぱりホラーはやめておこうか。コメディーにする?」
そう言って別のDVDに入れ替え始めた。
――どうして謝るの? キスしたことは……間違いだっていう意味ですか?
ファンファーレと共に軽快な音楽が流れ始め、次の映画が始まる。
だけど、とても楽しめそうにない。
――駄目だ、なんだか泣きそう……
「私……夕食の準備をしてきますね」
「あっ、桜子ちゃん!」
冬馬さんは私の名前を呼んだものの、立ち上がりはしなかった。
私は顔を伏せたまま急いでキッチンに向かい、シンクに両手をつく。
――こんなのって……
始まりが同情からであっても、二人の時間を重ねていくうちに夫婦らしくなれると思っていた。
アパートでキスされて、少しは好意を持ってくれているんじゃ……なんて期待して、だけど寝室は別々でガッカリして……
――どうして、今またキスしたの?
どうしてそんなに辛そうな顔をするの?
さっきのは……ただの吊り橋効果による勢いですか?
私は大きく深呼吸して、涙が出るのをかろうじて堪えた。
その夜のディナーは、とても味気ないものだった。
プチトマトとクルトンを添えたシーザーサラダも、オードブルのサーモンマリネもエッグファルシも、午前中からコトコトと煮込んであった牛タンシチューも全部、腕によりをかけて作ったはずなのに、舌が麻痺したみたいに味が分からない。
冬馬さんが気を遣って料理を褒めてくれて、私が笑顔で返す。だけどその会話はぎこちなく、酷く上滑りしていた。
「あっ、後片付けは俺が」
私がお皿を持って立ち上がると、冬馬さんがそれを奪ってシンクへ運ぶ。
「でも、今日は冬馬さんに休んでもらうために……」
「十分休ませてもらったよ。料理も美味しかった。ありがとう。俺は洗い物を食洗機に放り込んだら少し書斎で調べ物をして寝るから、君もお風呂に入って休むといい」
「……はい、ありがとうございます」
袖まくりして食器を予洗いし始めた彼の後ろ姿を暫く眺めて、私は自分の部屋に着替えを取りに向かった。バスルームでシャワーを浴びつつ、自分がこれからどうすればいいのか、どうすべきかを考えてみる。
冬馬さんは優しいし義理堅い人だ。きっと自分からは、この結婚の解消を言い出せないだろう。
――だとしたら、私から言う以外、冬馬さんを自由にしてあげることはできない……
私はそれに耐えられるのだろうか。
兄の遺言で強制的とは言え、幼い頃からずっと好きだった相手と結婚することができた。
一緒に住んで、すぐ近くで声を聞き、見つめ合い……キスもした。
好きなのは自分だけで、そこに冬馬さんの気持ちはないのだと分かっていても、嬉しくなってしまっている。
……と同時に、虚しさも感じていて……
「せめて最後に……」
駄目元で、気持ちをぶつけてみようか?
それで拒否されたなら、いっそ諦めがつくというものだ。
――これは最後の賭けだ。
冬馬さんに受け入れられなかったその時は、潔くこの結婚生活も冬馬さんも諦めて、彼を自由にしてあげよう。
冬馬さんにはもう十分に救ってもらったのだから……
一度そう決心してしまうと何だか気持ちがスッキリして、勇気が湧いてくる。
私はいつもより念入りに隅々まで身体を洗うと、湯船に入ってお湯にバシャンと顔をつけた。
冬馬さんの寝室で彼を待つ。時計の針は午後十一時半。
ドアをゆっくり開けて部屋に入ってきた冬馬さんが、彼のベッドの上に正座している私を見つけて足を止めた。
そのギョッとした表情から、彼の困惑がありありと伝わってくる。
それはそうだろう。
女性から夜這いだなんて、はしたない女だと思ったに違いない。
だって、これは彼にとって、親友の遺言に従っただけの愛のない結婚。
独りぼっちになった親友の妹への同情……
だけど私は……
「冬馬さん……どうか私を、本当のあなたの妻にしてください」
――どうか私を……抱いてください。
3 初めての夜
白いバスローブ一枚だけを身につけ、ベッドの上で正座して三つ指をつきゆっくりと頭を下げると、部屋の中に沈黙が訪れた。
恥ずかしくて顔を上げられない。
息をするのも憚られるほど静かな空間に、パタンという音が響く。
たぶん冬馬さんが部屋のドアを閉めたんだろう。
続いて床を進む足音、そしてキッと椅子が軋む音。
「桜子ちゃん……顔を上げて」
静かに言われてゆっくり顔を上げると、目に飛び込んできたのは黒いガウンの背中だ。
冬馬さんは自分のデスクに向かって座り、パソコンの画面を開いていた。
――えっ? そんな……こっちを向いてもくれないなんて……
拒絶するように向けられた背中に、自分はそこまで嫌がられたのかといたたまれなくなり、今すぐここから逃げ出したくなった。
だけど、振り絞った勇気はもう残量ゼロだ。ここで諦めたらその次はない。
どうせ駄目になるのなら、何も言わずに逃げるよりも当たって砕けるほうがいい。
そう考えていると、冬馬さんが話しかけてきた。
その顔はパソコンの画面を見つめたままだ。
「桜子ちゃん、こんな時間に男の部屋の……それもベッドの上にいるって、どういう意味か分かってやってるの?」
「……はい、分かってここに来ました」
低い声音が微かに怒りを孕んでいて、答える私の声は思わず小さくなる。
――軽蔑……された?
カッと顔が熱くなる。
自分の声が力なく震えているのが分かった。
「自分の部屋に帰ったほうがいい。今ならまだなかったことにできるから」
「嫌です!」
思わず正座を崩して前に身を乗り出す。
「桜子ちゃん、だから……っ!」
バッと振り返った冬馬さんが、私を見てすぐに顔を逸らした。
えっ? と思って自分を見ると、ベッドに両手をついて前屈みになっていた私のバスローブがはだけて、胸元や太腿が露わになっている……
――わ~っ! 何やってるの、私!
慌ててバッと前を合わせ、着崩れを直す。
「あの……お見苦しいものをお見せしまして……失礼しました」
けれど、冬馬さんは私の言葉に目をキョトンとさせた後、「ハハッ、お見苦しいもの……って……ハハハッ!」と、背中をククッと震わせ椅子の背もたれに後頭部を乗せて大笑いする。
――わっ、笑われた! 胸を見られて笑われたっ!
一世一代の勝負をするはずが、自分の大失態のせいで空気が変わってしまった。
――最低……大失敗だ。
ガックリ肩を落としていると、冬馬さんが椅子をクルッと回して立ち上がり、こちらに歩いてくる。ギシッとベッドに腰掛け、私の頭を優しく撫でた。
「桜子ちゃん、無理しなくたっていいんだ。俺は君と結婚できただけで十分だし、そういう行為をしなくたって、君を嫌いになったりしない」
「違います!」
叫ぶように言うと、冬馬さんがビクッとして手を止めた。
「私はただ、冬馬さんともっと近付きたくて……。冬馬さんが兄に義理立てして結婚してくれたというのは分かっています。これ以上を望むのは贅沢だっていうことも……。でも、きっかけは遺言で仕方なくでも、結婚した以上は心を通わせて、本当の夫婦になれたらって……」
「義理立てって……俺はっ!」
「どうしても私じゃ駄目ですか? ほんの少しでも、私に愛情を持つことはできませんか? 今が駄目なら、今後その可能性は……あっ!」
最後まで言い切る前に、冬馬さんの胸にグイッと顔を押し付けられる。
息が苦しいのは、冬馬さんの厚い胸板に顔を押し付けられているせいだけじゃない。
とうとう気持ちをぶつけてしまった恥ずかしさと、それに対する冬馬さんの反応が怖くて不安で……物音一つ立ててはいけない気がして、私は彼の腕の中で縮こまり、浅い呼吸を繰り返す。
「……君はズルいよ」
「えっ?」
急に頭上から降ってきた声は少し掠れていて、そしてなんだか辛そうだ。
「湯上りの上気した肌でそんなことをするなんて……襲ってくれと言っているようなもんだ」
「……襲ってほしくて来たんです」
「…………っ!」
不意に両肩をグッと掴まれた。顔を上げると、冬馬さんの熱を帯びた瞳が思いのほか近くにあってドキッとする。
「嫌なら言ってくれ……今ならまだ理性で抑えられるから」
「そんなことは言いません。だって……私達は夫婦になったんですよね?」
私のその言葉に、冬馬さんの瞳の奥がユラッと揺れた気がした。
だけど私がその理由を確かめる前に、彼の手のひらが優しく頬を撫で……もう何も聞けなくなった。
「本当に……後悔しない?」
「しません! 絶対に!」
後悔なんてするはずがない。
目の前にいるのは私の初恋の人で恩人で、ずっとずっと大好きで……そして私の夫なのだから。
「あの……冬馬さん、何も知らないふつつかものですが……どうかよろしくお願いします!」
「……ったく、君はっ!」
勢い良く背中を抱き寄せられ、次の瞬間には唇が重なっていた。
ビックリしてギュッと目を閉じると、片手で後頭部をグイッと押し付けられて口づけがより深くなる。
「ふ……はっ……」
息継ぎができなくて、一瞬口が離れた隙に急いで息を吸う。そこに再びキスが降ってきた。
――あっ……
開いた唇から舌が入り込み、口の中を這い回る。
今までのキスとは全く違う、官能的で生々しい口づけ。
口蓋を舌先でなぞられ、ゾクゾクッとした感覚が全身を駆け巡って足先がビクッと跳ねた。
「ん……ふっ……」
冬馬さんの形のいい唇は、角度を変え執拗に私の口を喰み、覆い尽くして離れようとしない。
その動きに応えるように恐る恐る舌を絡めると、冬馬さんの手が一瞬ピクッと止まった。その後はますます力が入り、痛いほど強く抱き寄せられる。
キスが首筋へ移り、彼の右手が私の襟元をグイッとつかむ。次の瞬間にはバスローブが再びはだけ、私の肩と背中が露わになった。
肌が直接空気に触れ、自然と身体が強張る。
前の結び目を解かれると白い布地がスルッと落ち、とうとう私は一糸纏わぬ姿になった。
「あっ……」
思わず小さく声を上げた私を、鎖骨のあたりから冬馬さんがチラッと見上げる。
その瞳はゾクッとするほど色っぽく、今まで見たどの冬馬さんの顔とも違っていて……
――怖い……だけど嫌ではない。むしろ……
未知なるものへの恐怖よりも、愛する人に身を委ねたい衝動のほうが勝った。
覚悟を決めてそっと目を閉じると、瞼に短いキスが落とされる。そのまま二人一緒にゆっくりとベッドに倒れ込んだ。
こんなに心臓の存在を意識したことなんて生まれて初めてだ。まるで全身が心臓そのものになったみたいに、ドクンドクンと激しく脈打っている。
痛くて苦しい。苦しくて、怖くて……期待している。
頭のてっぺんから足先までカッと熱い。たぶん今の私は真っ赤になっていることだろう。
恥ずかしさと緊張でギュッと固く目を閉じると、瞼の上に唇が一瞬だけ触れた。次に耳朶を軽く喰まれペロリと舐められる。
「あっ……ん……」
不意に漏れた自分の声の甘ったるさに驚く。慌てて両手で口を覆ったけれど、すぐに手首を掴んで口元から引き離される。
思わず目を開けたそこには、至近距離で私を見つめるアーモンド型の瞳。
薄くて形のいい唇が、「怖い?」と聞いてきた。
その表情には期待と不安と欲望の色がない混ぜになって浮かんでいて、私は慌てて首を横に振る。
「いいんです……冬馬さんだから、大丈夫……」
怖くないと言ったら嘘になるけれど、そんなことを言えば途端に冬馬さんが背を向けて部屋を出ていく気がした。
私は顔の両側に押さえ付けられている腕から力を抜き、精一杯微笑んでみせる。
「どうか……私を冬馬さんのモノにしてください」
「桜子ちゃん……君はっ……!」
何故か冬馬さんがグニャッと泣き笑いしたように見えたけれど、気のせいかもしれない。
彼がゆっくりと瞬きして長い睫毛をバサリと上げた時には、その瞳に男の色気と欲情が色濃く浮かんでいるだけだった。
チュッと短いキスが落とされたのと同時に、私の手首から彼の手が離れていく。
離れた大きな手のひらはそのまま私の腕を伝い、肩を丸く撫で、鎖骨のあたりで一旦止まる。
だけど躊躇したのはほんの一瞬で、すぐにスルリと胸へ滑り落ち、形を確かめるかのように膨らみを包み込み、揉みしだく。
「は……んっ……」
私が吐息を漏らすのを確認すると、左手はそのままに、右手は胸の先端を指で挟み込んでクリクリと弄り始めた。
「あっ……やっ!」
先端を指先でキュッと摘まれた時にはもう耐えきれなくて、鼻にかかった声が出る。
それを合図に冬馬さんが胸に顔を埋め、鼻先を擦り付けた。右手はずっと動き続けている。
彼は胸の膨らみの頂上にある小さな突起を口に含み、舌でレロレロと転がす。吸って、また舐められた。
次々と与えられる快感の波状攻撃に、胸だけでなく子宮のあたりもキュッとなる。思わずモゾリと両膝を擦り合わせた。
気づくと彼の右手が太腿をさわさわと撫でていて、そこから内股に滑り込んだと思うと、恥ずかしい場所を下から上へ中指でスッと擦り上げる。
「そうだよな……君はここに籠ってばかりで退屈だもんな。気が利かなくて申し訳なかった。今日の午後は出掛けよう」
「いえ、そういうんじゃないんです! 冬馬さんがずっと働き詰めだから……その……妻として、身体が心配で……」
そこまで私が言うと、冬馬さんはテーブルに両肘をついて顔を覆う。
「妻……って……」
――あっ!
図々しすぎたかもしれない。
冬馬さんにお世話になってばかりの身で差し出がましいことを言った。そのうえ余計な気まで遣わせて……
冬馬さんは暫くジッと考え込んでいたけれど、何か思いついたようにパッと顔を上げた。
「このままじゃ駄目だよな……うん、今日は一緒に外出しよう。何処がいいかな。映画はどう?」
「そうじゃなくって! 私は冬馬さんに休んでほしいんです!」
けれど、被せ気味に答えた私に一瞬たじろいだ彼は、ニカッと白い歯を見せる。
「桜子ちゃんはいい奥さんだな。気遣ってくれるのはありがたいけど、新妻と過ごす時間だって俺にとっては貴重な息抜きなんだ、付き合ってよ」
――にっ……新妻!
「俺達の初デートだな」
――デート⁉
甘い笑顔で言われ、私はもう頷く以外に選択肢はなかった。
* * *
「――ただいま~……おっ、オシャレしてるね。素敵だよ、とても似合ってる」
その日の午後。仕事から帰ってきた冬馬さんは、私が着ている膝下丈のワンピースを上から下まで遠目に見て、三日月みたいに目を細めた。
アメリカから帰国して以降、オシャレをする気持ちも余裕も全くなかったから、こういう華やかな色合いの服装は久し振りだ。
クリーム色のシフォン生地に紫のライラックを散らしたロングワンピは、地味すぎず派手すぎず、兄も似合うと褒めてくれていたお気に入りの一着。肩に羽織った濃紺のカーディガンが、ガーリーっぽさを抑えて、少しは大人っぽく見せてくれている……はず。
それを見て、サラッと『素敵だよ』なんて台詞を吐けてしまうあたり、やはり冬馬さんは女性慣れしていると思う。
「今すぐシャワーを浴びて準備してくるから待ってて」
「あっ、いいんです!」
「えっ?」
呼び止めた私を振り返り怪訝そうな顔をする冬馬さんに、今日ずっと考えていたことを伝える。
「今日はやっぱり、このお部屋で過ごしませんか? 冬馬さんはああ言ってくれたけれど、私はあなたに無理をさせたくありません」
「だから、俺は君と息抜きを……」
「息抜きだったらここでもできますよね? 今日はおうちデートです」
「えっ?」
私はガラステーブルの上にある袋を手に取って、中からDVDを取り出す。
「家で映画鑑賞しようと思ってレンタルしてきました。どれがいいですか? アクション、コメディー、ホラーにロマンス。四種類の中から好きなのをお選びいただけますよ。途中で居眠りするのも御自由に」
パッケージを見せていたずらっ子みたいに笑ってみせると、冬馬さんは呆気にとられた顔をした。それから足早に近付いてくる。
「きゃっ!」
ガシッと抱き締められて、DVDがバラバラとクリーム色のカーペットに落ちた。
「全く……君っていう子は……」
頭の上から髪の毛越しに唇が落とされる。
私の耳元で「待ってて、すぐ戻るから」と囁くと、冬馬さんはバスルームへ消えていく。
「うっ……わ~」
――耳元で、あの色気のある低音ボイスは反則!
今キスされたばかりの頭に手を当てて、私はぼ~っと立ち尽くしていた。
そして――
ヴァーーーーーッ! キャーーーーッ! ガッ! ブシュッ!
「……あの……もうスプラッターなシーンは終了しましたか?」
「うん、多分ね」
「多分って、そんないい加減な!」
「それじゃ、きっともう大丈夫」
「それじゃ……って! なんだか怪しいからもう少しこのままでいます!」
私はソファーでクッションに顔を埋めながら、くぐもった声で宣言する。すると、隣でハハハッと笑われた。
「桜子ちゃんさ、なんでゾンビもののDVDなんて借りてきちゃったの? 昔から苦手だったじゃない」
「えっ、知ってたんですかっ⁉」
ガバッとクッションから顔を上げると、白い歯を見せて愉快そうにしている冬馬さんの顔がある。
「だってさ、俺が八神家に入り浸ってた時に、リビングで大志とホラー映画を見てたらギャーギャー叫んで逃げ出してただろ」
「おっ、覚えてたのに、わざとコレを選んだんですかっ⁉」
「うん。選択肢にあったから」
「イジワルっ!」
「だって、女の子とのデートならホラー系がデフォでしょ」
「えっ、そうなんですか?」
「そうだよ。怖いシーンになればしがみついてもらえて自然にボディタッチができるし、吊り橋効果でドキドキさせられる」
その彼の言葉で脳裏に水口さんの顔が思い浮かび、胸がモヤッとした。
――冬馬さん、せっかくのおうちデートで、過去の女性とのデートを匂わせるような言動はNGですよ。切ないです……
「さっ、さすが冬馬さん、恋愛上級者ですね。女の子を落とすテクニックを熟知してる感じ」
「そんなことないよ」
「だって……」
私は膝に置いたクッションに視線を落とす。冬馬さんは前を向いたまま片手を伸ばしてきて、クッションの上の私の手を包み込んだ。
「桜子ちゃんが乙女の妄想を働かせてるのを邪魔して悪いけど……今話したのは一般論で、実際に実践したのは今日が初めてだ。一緒にホラー映画を見るのも、ベタな口説きテクを使ってみようと思う相手も桜子ちゃんだけだよ」
「えっ⁉」
私がバッと冬馬さんに顔を向けると、同じくこちらを向いた彼と視線が重なる。
「第一、女の子と二人きりでデートなんて高校の時以来だし……正直ちょっと緊張してる」
「嘘っ!」
「嘘じゃないよ」
それが本当だと伝えるかのように、上から握る手にギュッと力が加わった。
――大学の大人っぽい先輩は? 水口さんは? 付き合ってもデートしてないってこと?
冬馬さんの顔を見つめたまま考え込む私に、冬馬さんがテレビのほうへ顎をしゃくる。
「あっ、桜子ちゃん、見てみなよ」
「えっ?」
バタンッ! ヴガーーーーーーッ!
「イヤ~~っ!」
「ハハハッ」
思わず冬馬さんに抱きつくと、「ほらね、こうして自然にボディタッチ……」と言った彼の言葉が途切れ、急に沈黙が訪れた。
ドクン、ドクン、ドクン……
勢いで抱きついたものの引き際が分からなくて、大木にとまるセミの如く、冬馬さんの胸にしがみついて固まる。
――今、冬馬さんはどんな顔をしているの? 冬馬さん、私は吊り橋なんか渡らなくても、ホラー映画を見なくても、あなたといると常にドキドキしてますよ。
その時、グイッと両肩を掴んで胸から離され、次の瞬間には柔らかい唇を押し付けられる。
――あっ!
頬にサラリと触れる彼の黒髪から漂うのは、この六日間で覚えた、冬馬さんのシャンプーの香り。
外出の時にはオーストラリアブランドの香水を付けている彼の、このシトラスハーブの香りを嗅げるのは、一緒に家にいる私だけだ。
長めの口づけのせいなのか、ハーブの香りに酔ったのか……気持ち良くて頭がぼ~っとする。
唇から全身に伝わる快感に身を委ねていると、ゆっくり顔を離される。私はトロンと目を開けた。
「……ごめん」
「えっ?」
冬馬さんは気まずそうに顔を背ける。
「やっぱりホラーはやめておこうか。コメディーにする?」
そう言って別のDVDに入れ替え始めた。
――どうして謝るの? キスしたことは……間違いだっていう意味ですか?
ファンファーレと共に軽快な音楽が流れ始め、次の映画が始まる。
だけど、とても楽しめそうにない。
――駄目だ、なんだか泣きそう……
「私……夕食の準備をしてきますね」
「あっ、桜子ちゃん!」
冬馬さんは私の名前を呼んだものの、立ち上がりはしなかった。
私は顔を伏せたまま急いでキッチンに向かい、シンクに両手をつく。
――こんなのって……
始まりが同情からであっても、二人の時間を重ねていくうちに夫婦らしくなれると思っていた。
アパートでキスされて、少しは好意を持ってくれているんじゃ……なんて期待して、だけど寝室は別々でガッカリして……
――どうして、今またキスしたの?
どうしてそんなに辛そうな顔をするの?
さっきのは……ただの吊り橋効果による勢いですか?
私は大きく深呼吸して、涙が出るのをかろうじて堪えた。
その夜のディナーは、とても味気ないものだった。
プチトマトとクルトンを添えたシーザーサラダも、オードブルのサーモンマリネもエッグファルシも、午前中からコトコトと煮込んであった牛タンシチューも全部、腕によりをかけて作ったはずなのに、舌が麻痺したみたいに味が分からない。
冬馬さんが気を遣って料理を褒めてくれて、私が笑顔で返す。だけどその会話はぎこちなく、酷く上滑りしていた。
「あっ、後片付けは俺が」
私がお皿を持って立ち上がると、冬馬さんがそれを奪ってシンクへ運ぶ。
「でも、今日は冬馬さんに休んでもらうために……」
「十分休ませてもらったよ。料理も美味しかった。ありがとう。俺は洗い物を食洗機に放り込んだら少し書斎で調べ物をして寝るから、君もお風呂に入って休むといい」
「……はい、ありがとうございます」
袖まくりして食器を予洗いし始めた彼の後ろ姿を暫く眺めて、私は自分の部屋に着替えを取りに向かった。バスルームでシャワーを浴びつつ、自分がこれからどうすればいいのか、どうすべきかを考えてみる。
冬馬さんは優しいし義理堅い人だ。きっと自分からは、この結婚の解消を言い出せないだろう。
――だとしたら、私から言う以外、冬馬さんを自由にしてあげることはできない……
私はそれに耐えられるのだろうか。
兄の遺言で強制的とは言え、幼い頃からずっと好きだった相手と結婚することができた。
一緒に住んで、すぐ近くで声を聞き、見つめ合い……キスもした。
好きなのは自分だけで、そこに冬馬さんの気持ちはないのだと分かっていても、嬉しくなってしまっている。
……と同時に、虚しさも感じていて……
「せめて最後に……」
駄目元で、気持ちをぶつけてみようか?
それで拒否されたなら、いっそ諦めがつくというものだ。
――これは最後の賭けだ。
冬馬さんに受け入れられなかったその時は、潔くこの結婚生活も冬馬さんも諦めて、彼を自由にしてあげよう。
冬馬さんにはもう十分に救ってもらったのだから……
一度そう決心してしまうと何だか気持ちがスッキリして、勇気が湧いてくる。
私はいつもより念入りに隅々まで身体を洗うと、湯船に入ってお湯にバシャンと顔をつけた。
冬馬さんの寝室で彼を待つ。時計の針は午後十一時半。
ドアをゆっくり開けて部屋に入ってきた冬馬さんが、彼のベッドの上に正座している私を見つけて足を止めた。
そのギョッとした表情から、彼の困惑がありありと伝わってくる。
それはそうだろう。
女性から夜這いだなんて、はしたない女だと思ったに違いない。
だって、これは彼にとって、親友の遺言に従っただけの愛のない結婚。
独りぼっちになった親友の妹への同情……
だけど私は……
「冬馬さん……どうか私を、本当のあなたの妻にしてください」
――どうか私を……抱いてください。
3 初めての夜
白いバスローブ一枚だけを身につけ、ベッドの上で正座して三つ指をつきゆっくりと頭を下げると、部屋の中に沈黙が訪れた。
恥ずかしくて顔を上げられない。
息をするのも憚られるほど静かな空間に、パタンという音が響く。
たぶん冬馬さんが部屋のドアを閉めたんだろう。
続いて床を進む足音、そしてキッと椅子が軋む音。
「桜子ちゃん……顔を上げて」
静かに言われてゆっくり顔を上げると、目に飛び込んできたのは黒いガウンの背中だ。
冬馬さんは自分のデスクに向かって座り、パソコンの画面を開いていた。
――えっ? そんな……こっちを向いてもくれないなんて……
拒絶するように向けられた背中に、自分はそこまで嫌がられたのかといたたまれなくなり、今すぐここから逃げ出したくなった。
だけど、振り絞った勇気はもう残量ゼロだ。ここで諦めたらその次はない。
どうせ駄目になるのなら、何も言わずに逃げるよりも当たって砕けるほうがいい。
そう考えていると、冬馬さんが話しかけてきた。
その顔はパソコンの画面を見つめたままだ。
「桜子ちゃん、こんな時間に男の部屋の……それもベッドの上にいるって、どういう意味か分かってやってるの?」
「……はい、分かってここに来ました」
低い声音が微かに怒りを孕んでいて、答える私の声は思わず小さくなる。
――軽蔑……された?
カッと顔が熱くなる。
自分の声が力なく震えているのが分かった。
「自分の部屋に帰ったほうがいい。今ならまだなかったことにできるから」
「嫌です!」
思わず正座を崩して前に身を乗り出す。
「桜子ちゃん、だから……っ!」
バッと振り返った冬馬さんが、私を見てすぐに顔を逸らした。
えっ? と思って自分を見ると、ベッドに両手をついて前屈みになっていた私のバスローブがはだけて、胸元や太腿が露わになっている……
――わ~っ! 何やってるの、私!
慌ててバッと前を合わせ、着崩れを直す。
「あの……お見苦しいものをお見せしまして……失礼しました」
けれど、冬馬さんは私の言葉に目をキョトンとさせた後、「ハハッ、お見苦しいもの……って……ハハハッ!」と、背中をククッと震わせ椅子の背もたれに後頭部を乗せて大笑いする。
――わっ、笑われた! 胸を見られて笑われたっ!
一世一代の勝負をするはずが、自分の大失態のせいで空気が変わってしまった。
――最低……大失敗だ。
ガックリ肩を落としていると、冬馬さんが椅子をクルッと回して立ち上がり、こちらに歩いてくる。ギシッとベッドに腰掛け、私の頭を優しく撫でた。
「桜子ちゃん、無理しなくたっていいんだ。俺は君と結婚できただけで十分だし、そういう行為をしなくたって、君を嫌いになったりしない」
「違います!」
叫ぶように言うと、冬馬さんがビクッとして手を止めた。
「私はただ、冬馬さんともっと近付きたくて……。冬馬さんが兄に義理立てして結婚してくれたというのは分かっています。これ以上を望むのは贅沢だっていうことも……。でも、きっかけは遺言で仕方なくでも、結婚した以上は心を通わせて、本当の夫婦になれたらって……」
「義理立てって……俺はっ!」
「どうしても私じゃ駄目ですか? ほんの少しでも、私に愛情を持つことはできませんか? 今が駄目なら、今後その可能性は……あっ!」
最後まで言い切る前に、冬馬さんの胸にグイッと顔を押し付けられる。
息が苦しいのは、冬馬さんの厚い胸板に顔を押し付けられているせいだけじゃない。
とうとう気持ちをぶつけてしまった恥ずかしさと、それに対する冬馬さんの反応が怖くて不安で……物音一つ立ててはいけない気がして、私は彼の腕の中で縮こまり、浅い呼吸を繰り返す。
「……君はズルいよ」
「えっ?」
急に頭上から降ってきた声は少し掠れていて、そしてなんだか辛そうだ。
「湯上りの上気した肌でそんなことをするなんて……襲ってくれと言っているようなもんだ」
「……襲ってほしくて来たんです」
「…………っ!」
不意に両肩をグッと掴まれた。顔を上げると、冬馬さんの熱を帯びた瞳が思いのほか近くにあってドキッとする。
「嫌なら言ってくれ……今ならまだ理性で抑えられるから」
「そんなことは言いません。だって……私達は夫婦になったんですよね?」
私のその言葉に、冬馬さんの瞳の奥がユラッと揺れた気がした。
だけど私がその理由を確かめる前に、彼の手のひらが優しく頬を撫で……もう何も聞けなくなった。
「本当に……後悔しない?」
「しません! 絶対に!」
後悔なんてするはずがない。
目の前にいるのは私の初恋の人で恩人で、ずっとずっと大好きで……そして私の夫なのだから。
「あの……冬馬さん、何も知らないふつつかものですが……どうかよろしくお願いします!」
「……ったく、君はっ!」
勢い良く背中を抱き寄せられ、次の瞬間には唇が重なっていた。
ビックリしてギュッと目を閉じると、片手で後頭部をグイッと押し付けられて口づけがより深くなる。
「ふ……はっ……」
息継ぎができなくて、一瞬口が離れた隙に急いで息を吸う。そこに再びキスが降ってきた。
――あっ……
開いた唇から舌が入り込み、口の中を這い回る。
今までのキスとは全く違う、官能的で生々しい口づけ。
口蓋を舌先でなぞられ、ゾクゾクッとした感覚が全身を駆け巡って足先がビクッと跳ねた。
「ん……ふっ……」
冬馬さんの形のいい唇は、角度を変え執拗に私の口を喰み、覆い尽くして離れようとしない。
その動きに応えるように恐る恐る舌を絡めると、冬馬さんの手が一瞬ピクッと止まった。その後はますます力が入り、痛いほど強く抱き寄せられる。
キスが首筋へ移り、彼の右手が私の襟元をグイッとつかむ。次の瞬間にはバスローブが再びはだけ、私の肩と背中が露わになった。
肌が直接空気に触れ、自然と身体が強張る。
前の結び目を解かれると白い布地がスルッと落ち、とうとう私は一糸纏わぬ姿になった。
「あっ……」
思わず小さく声を上げた私を、鎖骨のあたりから冬馬さんがチラッと見上げる。
その瞳はゾクッとするほど色っぽく、今まで見たどの冬馬さんの顔とも違っていて……
――怖い……だけど嫌ではない。むしろ……
未知なるものへの恐怖よりも、愛する人に身を委ねたい衝動のほうが勝った。
覚悟を決めてそっと目を閉じると、瞼に短いキスが落とされる。そのまま二人一緒にゆっくりとベッドに倒れ込んだ。
こんなに心臓の存在を意識したことなんて生まれて初めてだ。まるで全身が心臓そのものになったみたいに、ドクンドクンと激しく脈打っている。
痛くて苦しい。苦しくて、怖くて……期待している。
頭のてっぺんから足先までカッと熱い。たぶん今の私は真っ赤になっていることだろう。
恥ずかしさと緊張でギュッと固く目を閉じると、瞼の上に唇が一瞬だけ触れた。次に耳朶を軽く喰まれペロリと舐められる。
「あっ……ん……」
不意に漏れた自分の声の甘ったるさに驚く。慌てて両手で口を覆ったけれど、すぐに手首を掴んで口元から引き離される。
思わず目を開けたそこには、至近距離で私を見つめるアーモンド型の瞳。
薄くて形のいい唇が、「怖い?」と聞いてきた。
その表情には期待と不安と欲望の色がない混ぜになって浮かんでいて、私は慌てて首を横に振る。
「いいんです……冬馬さんだから、大丈夫……」
怖くないと言ったら嘘になるけれど、そんなことを言えば途端に冬馬さんが背を向けて部屋を出ていく気がした。
私は顔の両側に押さえ付けられている腕から力を抜き、精一杯微笑んでみせる。
「どうか……私を冬馬さんのモノにしてください」
「桜子ちゃん……君はっ……!」
何故か冬馬さんがグニャッと泣き笑いしたように見えたけれど、気のせいかもしれない。
彼がゆっくりと瞬きして長い睫毛をバサリと上げた時には、その瞳に男の色気と欲情が色濃く浮かんでいるだけだった。
チュッと短いキスが落とされたのと同時に、私の手首から彼の手が離れていく。
離れた大きな手のひらはそのまま私の腕を伝い、肩を丸く撫で、鎖骨のあたりで一旦止まる。
だけど躊躇したのはほんの一瞬で、すぐにスルリと胸へ滑り落ち、形を確かめるかのように膨らみを包み込み、揉みしだく。
「は……んっ……」
私が吐息を漏らすのを確認すると、左手はそのままに、右手は胸の先端を指で挟み込んでクリクリと弄り始めた。
「あっ……やっ!」
先端を指先でキュッと摘まれた時にはもう耐えきれなくて、鼻にかかった声が出る。
それを合図に冬馬さんが胸に顔を埋め、鼻先を擦り付けた。右手はずっと動き続けている。
彼は胸の膨らみの頂上にある小さな突起を口に含み、舌でレロレロと転がす。吸って、また舐められた。
次々と与えられる快感の波状攻撃に、胸だけでなく子宮のあたりもキュッとなる。思わずモゾリと両膝を擦り合わせた。
気づくと彼の右手が太腿をさわさわと撫でていて、そこから内股に滑り込んだと思うと、恥ずかしい場所を下から上へ中指でスッと擦り上げる。
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