仮初めの花嫁 義理で娶られた妻は夫に溺愛されてます!?

田沢みん

文字の大きさ
上 下
153 / 177
<< ボストン旅行記 >>

12、桜子 (1)

しおりを挟む
 
 夢を見た。

 秋のボストン。
 お姫様抱っこ。
 アパートの寝室。
 髪を撫でる優しい手。
 唇の輪郭をなぞる細い指先。
 唇にそっと触れた……柔らかい唇。

『愛してる』

 ひそやかに耳元で囁いたのは、大好きで大切な人の声だった。





 今回の新婚旅行は4泊5日の強行軍で、最初の2泊をメアリーの家、3泊目をボストンのホテル、そして最後の夜はニューヨークで過ごして翌日の午後に飛行機に乗るという、なかなか慌ただしい日程になっている。

 せっかく遠路はるばるアメリカ東海岸まで来たのだから、せめて1週間はゆっくり過ごしたいところだけれど、夫が法律事務所の経営者で現役弁護士ともなると、そうはいかないのだ。

 冬馬さんの留守中は、水口さんと弁護士の北川さんが事務所を守ってくれている。

 北川さんは、以前冬馬さんが働いていた事務所で先輩だった56歳のベテラン弁護士で、8月から一緒に働いている。
『日野法律事務所』が弁護士を探していると知り、冬馬さんに連絡をくれたのだ。

 なんでも、定年を迎える歳が近くなり、お金儲けを考えずにクライアントとじっくり向き合える仕事がしたくなったのだという。
 もちろん彼は60歳を過ぎても現役で働くつもりだ。
 弁護士には定年が無いから、やる気と体力さえあれば一生続けられる仕事なのだ。

 経験豊富で信用できる弁護士を迎え、冬馬さんはとても嬉しそうだった。
 やはり1人で事務所を切り盛りするのは大変な重圧だったのだろう。

 北川さんが来てくれたお陰で引き受けられる依頼の幅が広がり、気持ち的にも余裕が出来た。
 そこで冬馬さんから新婚旅行に行こうと提案され、どうにかスケジュールをやり繰りして6日間の休みを作ったのだ。

 帰国翌日に1日お休みの日を設けてあるけれど、冬馬さんはきっと事務所に行くに違いない……と思う。真面目で責任感の強い人だから。

 彼のそんなところを尊敬しているし、素敵だな……と思う。
 
 

 ボストン3泊目となる昨晩は、海沿いの高級ホテルに宿泊した。

 メアリーの家で朝食をいただいてからジョンの車でホテルまで送ってもらい、2人とハグをしてお別れをした。

 彼らには本当に良くしてもらったし、素敵な思い出が沢山出来た。
 なかなか会う機会は無いけれど、彼らとは国籍を越えた親友として一生お付き合いが続いていくのだと思う。
 冬馬さんも私の想像以上にジョンと親しくなっていた。出会ったその夜に2人で飲み明かし、翌日も2人だけで食事に行くほどだ。よほど相性が良かったのだろう。

 
 ホテルの部屋は海と街の両方が見える角部屋のスイートルームで、海側の窓からは遠く対岸を見渡すことが出来た。
 空港から離発着する飛行機が、真っ青な空に白い線を描いて行く。


 その夜、冬馬さんは私を抱かなかった。
と言うか、その夜……だ。

 ボストンに来てから3日間、私たちはそういう行為をしていない。
 そして私もそれを不満に思っていないし、むしろそれで良かったとさえ思っている。

 メアリーの家ではなんとなくそう言う気にならなかったのは分かる。
 だけどホテルに入っても、不思議とそうしたいと思わなかったのは何故だろう……。

 たぶんボストンが兄との思い出の場所だからじゃないかと思う。

 兄との思い出が沢山詰まったこの地では、性欲よりも感傷の方が強くなるのだろう。
 兄との美しく楽しかった時間を懐かしみ、その思い出に浸りたい。
 そのためにはセックスはむしろ邪魔でさえあった。
 そしてきっと……冬馬さんも私と同じように感じていたんじゃないかな……と思う。

 だから私たちはキスをしてから手を繋いで眠った。
 愛情表現はそれだけでも十分に出来るし、それで満足だった。



 朝の微睡まどろみの中、夢を見た。

『夢を思い出した』と言った方が正しいのかも知れない。

 昔一度見た事がある夢。
 誰にも語った事がない、秘めやかでみだらな幻想。

 そう、あれは忘れもしない、1年前のボストンの夜だった。








*・゜゚・*:.。..。.・**・゜゚・*:. .。.:*・゜゚・*

1年前の『あの夜』の桜子サイド、前後編です。
ある意味、大志の救済話みたいな内容になっております。
しおりを挟む
感想 399

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。