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<< ボストン旅行記 >>

11、冬馬

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『ランチのあと、1人で少し散歩して帰ります』

 桜子からメールが来たのは、俺とジョンが食後のコーヒーをオーダーした直後だった。
 彼女は今日、メアリーと一緒にランチ会に行っている。出掛けてから2時間程経ったから、ちょうどお開きになったのだろう。



 今俺がいるのは、ガイドブックにも載っている有名なシーフードレストランだ。

『明日のランチはシーフードレストランでどうだい?』

 昨夜ジョンのオフィスから帰るときに聞かれて、それが大志とジョンの出会った場所を指しているのだとすぐに気付いた。
 明日の昼は女性陣と別行動になるのが決まっているからちょうどいい。
 俺は迷うことなく頷いた。


 桜子には、思い出のレストランに行くのなら皆で一緒にディナーはどうかと提案された。
 だけど俺はジョンと2人だけで来る方を選んだ。

ーー大志の思い出の上書きはしない。

 それがジョンのオフィスで大志の話を聞いて俺が下した決断だ。


 今回のボストン行きは、もちろん桜子との新婚旅行ではあるけれど、それと同時に大志の足跡を辿たどる旅でもあった。
 ボストン滞在中にアイツが訪れた場所を桜子と歩いてみたいと思った。
 大志がここでどう過ごし、何を考え、何を語ったのかを知りたかったし、アイツの痛みや苦悩を少しでも共有したいという想いがあったのだ。

 だけどジョンの話を聞き、桜子や俺へのアイツの想いを知った時、自分がしようとしている事が酷く不遜ふそんで身勝手な行為だと気付いた。

 大志は桜子との時間を過ごすために病を抱えた身体でボストンまで来たんだ。その記憶が闘病中のアイツを励まし生きる力になっていたに違いない。
 アイツが胸に暖めていた大事な部分に土足で踏み込もうだなんて、俺の自己満足でしかないじゃないか。

 だから決めたんだ。
 大志が訪れた場所に桜子と一緒には行かない。
 桜子の中にある大志との思い出の場所を、俺が上書きなんてしない……と。

 つい今しがた、レストランでの大志の悲壮な様子を聞いて、俺はその想いを強くした。
 アイツが痛みと吐き気に苦しみながら必死に守った桜子との時間、それは全て大志のものだ。俺が汚していいわけがない。




『桜子の散歩が終わったら何処かで待ち合わせして、一緒にお土産を買わないか?』

 桜子のメールにそう送ったら、すぐにOKの返事が来た。
 わざわざメアリーと別れて1人でいるということは、大志との思い出に浸っているに違いない。
 邪魔はしたくない。待ち合わせを1時間後にして、ゆっくりコーヒーを飲んでからレストランを出た。


「それじゃあ、また後で、家で会おう」
「ええ、ありがとうございました。ディナーを食べてから帰ります」

 ジョンの車で最寄駅まで送ってもらい、正面の入り口で見送った。

 桜子と約束した時間には少し早いけれど、彼女を1人で待たせてナンパされるよりは、先に来て待っていた方がいい。

 艶やかな黒髪と陶磁のように滑らかで白い肌、切れ長の目を縁取る長い睫毛。
 日本人形みたいな桜子の容姿は、アメリカ人から見ても魅力的に違いない。

 お土産を買うのもいいけれど、その前に桜子に洋服をプレゼントしよう。日本ではあまり着ないような胸元の開いたドレスなんかがいいかも知れない。
 思い切り着飾らせていつもと違う化粧をして、アジアンビューティーを体現してみるのもいいな。
 俺がエスコートする絶世の美女を、皆が振り返り、見惚れてしまうんだ……。

 桜子はきっと躊躇する。どう説得するかを考えないと。
 想像したら楽しくて仕方がなくなってきた。
 

ーーそうだ。俺は俺でこうやって、桜子と思い出を作っていけばいい。

 俺はどう足掻いたって大志にはなれないんだ。
 アイツのトレースをしたって仕方がないし、俺は俺なりに桜子を愛して行くしかない。
 その上で桜子の中にある大志の思い出を壊さぬように、大事に大事に守って行く。

 それくらいの器がなきゃ、お前には認めてもらえないからな。
 そうだろ?……大志。

 近くの壁にもたれかかって腕を組み、ビルディングのそびえ立つ街並みをぼんやりと眺める。

 交差点の信号がグリーンに変わり、道の向こう側から人の波が横断歩道を渡って来ると、一際ひときわ輝く姿が目に飛び込んできた。

 慌てて身体を起こして手を振ると、桜子が小さく手を振り駆けて来る。

ーー抱き締めたいな……。

 桜子はきっと恥ずかしがって、そして拗ねるに違いない。
 どうしようかな……と迷ったのは一瞬で、俺は俺の好きなようにしようと決めた。

 旅の恥はかき捨てだ。新婚旅行中くらいはアメリカ人並みの愛情表現をするのを許して欲しい。

 すぐそこまで近付いている最愛の妻を見つめながら、俺は思い切り背中を抱き寄せるべく体勢を整えた。
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