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<< ボストン旅行記 >>
9、桜子
しおりを挟む私は秋のボストンが好きだ。
この時期のボストンは本当に美しい……と思う。
四季それぞれに良いところはあるけれど、歴史を感じさせるボストンの街並みには秋の景色が一番似合うような気がするのだ。
赤黄茶色の鮮やかな暖色系の葉で彩られた木々に、道路脇の落ち葉の山。
赤レンガの敷き詰められた舗道には、秋のシックな装いがとても馴染んでいる。
そして秋のボストンには、兄と過ごした1週間の思い出がある。
そう、去年の今頃は、兄とこの場所を訪れて、笑顔で腕を組んで歩いていた……。
コミュニティカレッジ時代の友人やメアリーと別れた私は、1人で去年住んでいたアパートの前まで来ていた。
ボストン2日目の今日は元クラスメイト数人とのランチ会があって、そのあとで懐かしいこの場所に足を延ばしたくなったのだ。
冬馬さんは今頃はジョンと2人でシーフードレストランに行っているはずだ。
兄を連れて行った思い出のレストランだから、後でメアリーと合流して4人でディナーに行くのはどうかと提案してみたのだけれど、あそこにはジョンと2人で行くからディナーは他のお店にしようと言われてしまった。
昨夜はジョンの馴染みのバーで夜遅くまで語り合ったみたいだけど、まだまだ話し足りないらしい。
アパートは去年の佇まいそのままで目の前にあった。
煉瓦造りの4階建て。4階の角部屋を見上げると、窓に白いカーテンがかけられているのが見える。当然だけど、もう新しい住人がいるのだ。なんだか寂しく感じた。
後ろでカサリと音がして振り向くと、2匹のリスが色とりどりの枯れ葉の上で追いかけっこをしていた。
すぐ近くではもう1匹のリスが道端に落ちている木の実を両手に持って齧っている。
こちらに住んでいる人には馴染みの風景なのだけど、去年兄が来た時は、初めて近くで見たリスに大喜びして、「可愛い」を連呼して写真を撮りまくっていた記憶がある。
『おい桜子、見てみろよ、リスがいるぞ』
少年のようにはしゃいでいた姿が目に浮かぶ。
ーーお兄ちゃん、私はまたボストンに来ているよ。今度は冬馬さんと一緒に……。
*
「おい桜子、リスがいるぞ、見てみろよ」
ボストン訪問初日、アパートでお昼を食べた兄は、少し目をトロンとさせて何度もあくびを繰り返していた。
だからそのまま休んでもらおうと思ったけれど、兄は『それだと時差ぼけが治らない』、『時間が勿体ない』と言い張り、近所の散策に出掛ける事となった。
アパートの目の前には、小道を挟んだ向かい側に大きな木が何本も植えられている。これが上手い具合に周囲の建物からの目隠しの役目を果たしているのだ。
そこにリスを発見して、兄が目を輝かせた。
「ワオ!凄いな、こんな近くで本物のリスを見たのは初めてだ」
デジカメを構えてカシャカシャ撮りまくっている。
「桜子、そこに立ってみてよ。リスと一緒にフレームにおさまる感じで」
「ええっ」
だけど私の気配で、近付く前にリスが逃げて行ってしまった。
「くそっ、可愛いツーショットを撮り損ねた」
「何よ、可愛いツーショットって」
「リスとの桜子の可愛いツーショットだよ。可愛いと可愛いの遭遇だ」
「相変わらず兄馬鹿だね」
「俺は馬鹿だけど桜子が可愛いのは兄馬鹿とは関係ない。本当だよ」
「ふふっ、やっぱり兄馬鹿だ」
「あっ、あっちにもリスがいる!桜子、今度はゆっくり接近だ。絶対に可愛いツーショットを撮るぞ」
初めてのボストンがよっぽど嬉しかったのか、久し振りに会えたからなのか、この時の兄は異常にテンションが高くて浮かれていた。
長旅で疲れているだろうから私のために無理はして欲しくないけれど、本人が楽しんでいるのなら、好きなようにさせておこう。
デジカメを構える腕を見ながら、それにしても、ずいぶん痩せたな……と思う。
コートの袖からのぞく手首が細っそりしていて、着ているコートも心なしか布が余ってダブついている。
このイタリアブランドのチェスターコートは日本でも良く着ていたお気に入りで、細身のデザインが中性的な兄に良く似合っていたのだけれど……。
ーーうん、やっぱり痩せた。
何というか、全体的に薄くなった印象。
目の下の隈が凄いしお兄ちゃんらしい溌剌さがない。
本人は夏バテと仕事の疲れが溜まっていると言っていたけれど、1人暮らしでちゃんとした物を食べてないんじゃないだろうか。
コンビニのお弁当やレトルト食品ばかりではどうしても栄養が偏ってしまう。
ーーせめてボストンにいる間だけは、私の手料理で栄養を摂ってもらおう。
そんな事をぼんやり考えていたら、
「リスが可愛いなぁ~、この写真を冬馬に送ってやろっと」
なんて恋人相手みたいなセリフが聞こえてきた。相変わらず2人は仲が良くて微笑ましい。
そう言えば冬馬さんとは空港でお見送りしてもらって以来だ。
動揺を抑えて出来るだけ自然な感じで彼の近況を聞いたら、水口さんの名前が出てきて墓穴を掘ってしまった。
聞くんじゃなかった……。
冬馬さんと水口さんの関係なんてとっくに知っているんだから、今更傷つく事なんてない筈なのに……。
沈んだ気持ちを悟られないようにしたつもりだったけれど、その変化が兄にはなんとなく分かってしまったらしい。
「なあ桜子、もう一度……恋人ごっこをしようか」
私を励まそうとしたのか、兄がおどけた表情で目の前に肘を突き出して来た。
「彼氏の大志さんに思いっきり甘えろよ」
差し出された腕につかまってぴったり寄り添うと、秋の冷たい風が吹いていても暖かく感じた。
「2人でいるとあったかいね」
「……そうだな」
1週間だけの恋人設定。
秋のボストンの思い出は、兄との恋人ごっこと共にある。
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