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<< ボストン旅行記 >>

6、冬馬

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「そんな……大志はそこまでして……」

 ジョンから聞いた大志の話は、俺の想像を絶するものだった。

 シーフードレストランでの出来事を聞いた時点で既に込み上げてくるものがあったけれど、その先を知るにつれ、相槌を打つのも忘れて愕然とするしかなかった。

 話しているジョンにとっても忘れ難い思い出なんだろう。震える唇と眉間に寄ったシワが彼の悲しみを表している。

「タイシは毎朝サクラをカレッジまで送ってから電車でここに来ていた。電車の中で気分が悪くなって途中下車したと言って遅れて来た日もあった。それでも欠かさず通って来ていたよ」

「……アイツらしいです」

ーー本当に、アイツらしい……。

 そうだ。大志はいつだって、桜子のことを第一に考えていた。
 両親が亡くなったとき、事務所を継いだ時、病気が判明したとき……どんなに苦しかろうが桜子の前では平気な顔をしてやり過ごして、その陰では血の滲むような努力をし続けていたんだ。

 アイツがそういうヤツだって分かっていたのに……。

「俺は……ボストンから帰って来たアイツの『楽しかった』という言葉を鵜呑みにして、『良かったな』なんて胸を撫で下ろして……」

「それでいいんだよ」

 ジョンは鷹揚に頷いて、グラスに再びウイスキーを注ぐ。

「タイシはサクラとのボストンの思い出に、一点の曇りも残したくはないと手紙に書いていた。タイシと過ごした1週間を思い出すたびに、サクラには笑顔になって欲しいと願っていたんだ。そして……トウマ、君にも笑顔でいて欲しいと、彼はそう願っていたんだろう」

「俺にも……笑顔で……」

「ああ、彼との会話の大半は、サクラと……タイシ、君との思い出に溢れていた。そして君たちを語る時のタイシの表情はとても穏やかで嬉しそうだった」


『冬馬は俺が唯一涙を見せられる相手なんですよ。アイツは強くて優しいやつだから、俺の痛みや苦しみをどれだけぶつけても黙って受け止めてくれる……要は俺が甘えてるだけなんですけどね』

 アイツが点滴の合間に語ったという言葉は俺の感情を揺さぶり、心が震えるのを止めることが出来なかった。


ーー俺のことをそんな風に思ってくれていたのか……。

 だけど……大志、それは違うよ。

 甘えていたのは俺の方だった。
 最初から、そして最期までそうだった。

 大学に入学早々笑顔で話し掛けてくれたのは大志からだった。

 自分から積極的に人付き合いをしようとしない俺を皆の輪の中に引っ張り込んでくれたのはアイツだった。

 祖母を亡くし、天涯孤独になった俺を家に呼び、家庭の暖かさを教えてくれたのはアイツだった。

 桜子に出会わせてくれたのも、背中を押してくれたのも……気持ちを偽って側で親友づらしていた卑怯者の俺をゆるし、彼女を託してくれたのも……大志、いつだってお前だったんだ。

ーー俺はいつだって、お前に助けられていたのに……。

 込み上げる激情は瞼の裏を熱くし、視界を滲ませる。

「ふ……うっ………すいません、俺は……」

 ジョンはちびちびとウイスキーを口にしていたけれど、グラスを置いて、俺の肩に手を置いた。

「トウマ……君の荷物を私に預けてみないか?」
「えっ?」

 情けなくて片手で目元を覆っていた俺は、予期せぬ言葉に恥ずかしさも忘れ、涙で濡れた顔をバッと晒した。

「タイシは、いつの日か君がサクラと一緒にボストンに来るんじゃないかと思っていた」

ーーえっ、まさか……。

 思わず目をパチクリさせると、ジョンは「いや、確信は無かったのだろうが……」と視線を斜め上に動かす。

「タイシには、そういう予感があったんだろう。もしも君がここに来ることがあれば、ゆっくり話を聞いてやって欲しいと手紙に記してあった」

「手紙に……タイシが、そこまで……」


ーーどこまで用意周到なヤツなんだ……。

『立つ鳥跡を残さず』を徹底し、自分の死後の処理まで自ら準備して逝ったアイツは、桜子と事務所のことだけでなく、俺の精神的負担まで考えてくれていたのか……。

「彼は君に重たい荷物を背負わせてしまったことを申し訳なく思っていた。誰かに打ち明けて楽になって欲しい、出来るならその役目を私に引き受けて欲しい……と」

「そう……ですか……」

 ああ、もうダメだ。
 タイシ、お前がカッコ良すぎて泣けるじゃないか……。

「くっそ……すいません、俺は、もう……」
「いいんだ……私も君と同じだ」

 ジョンの頬にも涙が伝っているのに気付いた瞬間、俺の感情は決壊した。

 
 思い出が走馬灯のように浮かぶ……とはこういうことを言うのかも知れない。

『日野冬馬くんだよね、総代で挨拶した……』
 話し掛けて来たのはアイツから。
 まるで昔からの知り合いみたいに隣に座って来て、あの甘い笑顔を浮かべて……。
 馴れ馴れしいな……と思いながらも、いつの間にかアイツのペースに引き込まれていた。

『俺んちでご飯を食べて行けよ』
 祖母が亡くなりアパートで1人暮らしを始めた俺を家に誘ってくれた。

『お前だから打ち明けるけどさ……俺んち、連れ子同士の再婚なんだよ』
 桜子のことを知らされたのは初めて八神家に向かう途中。あの時にはまだアイツも俺も恋のライバルになる未来なんて予想もしていなくて……。

 大志から桜子への恋心を知らされた成人式の帰り道。仕事のパートナーとして握手を交わした事務所の部屋。
 アメリカに旅立つ桜子を見送った帰りは2人とも口数が少なく気まずく感じた。
 
 大志から末期癌だと知らされた応接室。
 絶望的になりながら引っ越しを手伝ったホスピスへの転院。
 
『あいつを支えてやってくれ。桜子が幸せになれるよう……そばで見守ってやって欲しい』
『冬馬……ありがとうな』
 俺に桜子を託し、痛み止めで朦朧としながら呟いた御礼の言葉。
 アイツが眠ったあとで俺が手を握り締めながら流した涙をアイツは知らない。


ーー大志……俺はお前に会いたいよ……。


「くそっ……大志……死んでんじゃねえよ……」

 賢いジョンは日本語の呟きをわざわざ聞き返そうとはしなかった。

「バカヤロー、こんなとこでまで俺のことなんか心配してんなよ……」


 俺は嗚咽を漏らしながら、男泣きに泣いた。
 こんなに泣いたのは、大志が死んで1人でアパートに戻った夜以来だった。
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