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<< 外伝 John Winstonへの手紙 >>
6、good luck
しおりを挟む読みかけだった本の上にパサリ……と手紙を置き、老眼鏡を外す。
「くそっ!……」
デスクに両肘をついて指を組むと、そこに額を押し付けて目を閉じた。
「タイシ……」
人の生死に関わる職業に就いてるんだ。59年の人生では数え切れないくらい、何度も誰かの人生の終わりを告げ、沢山の別れを経験してきた。
人の死は日常茶飯事で、だから深く感情移入していちいち涙を流しているわけにもいかなかった。
ある意味人の死に慣れ、『仕方ないこと』と諦めてもいた。
ーーだけど今回は……。
心を揺さぶられずにはいられないんだ。
『私に出来るのはここまでだ。あとは君の生命力と運に期待するしかない。こういう時に医者の無力さをしみじみと感じてしまうね』
『あなたは無力じゃないですよ。現に俺はずいぶん救われた』
今でもハッキリ覚えている。
タイシが帰国するその朝にオフィスで交わした会話だ。
自分の無力さに項垂れていた私に、彼は優しく微笑み、感謝の言葉をくれた。
まだ31歳になったばかりだというのに、ベッドに腰掛ける彼からは人生を悟ったような威厳と覚悟が感じられて、自分が20歳以上も年上だということをついつい忘れてしまう。
死ぬことが怖くないはず無いだろうに、全身の痛みや吐き気に耐えながら、なおも穏やかな表情を浮かべる彼に尊いものを感じ、畏怖の念さえ抱いた。
彼と知り合ったたった数日の間に、私はこの青年に親愛の情を抱き、尊敬し、深く心を捕われていたのだ。
『サクラには結局病気のことを伝えないままで?』
『はい。アイツが苦しむのはもう少し後でいい』
ずっと心の隅に引っ掛かっている『タイシとサクラの関係』。
気になりながらもそれを彼に問うことは出来ずにいた。
だってどう考えても下衆の勘ぐりだ。興味本位な質問で、彼と培った信頼関係を失いたくはない。
それでも彼がサクラに病気のことを告げずに帰国するというのには異論を唱えたくなった。
だって彼の病状が悪化して、桜子を待たずして命を落とすことになったら……口にするのも憚られるけれど、末期癌なんだ、いつどうなったっておかしくはない。最悪、帰りの機内でだって……。
『but(だけど……)』
賢い彼は、私の漏らした一言だけで、こちらの逡巡を感じ取ったのだろう。
『俺は生きますよ』
フッと目を細めて、だけど瞳の奥に強い意志を漲らせて私を見上げた。
『俺は桜子が日本に帰ってくるまでは絶対に死なない。生き抜いて見せる……そう決めていますから』
ーーああ、やはり彼は……。
これが愛ではなくて何だと言うのだろう。
家族愛?兄妹愛? そんなものでは括れない。
タイシがサクラに向けているのは、彼の身も心も全て捧げる、正真正銘の『Love』だ。
ゆっくりベッドから立ち上がり、出発の気配を見せた彼に聞かずにはいられなかった。
今この機会を逃せば、未来永劫に答えを得るチャンスは訪れないから。
『タイシ、これは嫌なら答えなくてもいいんだが……』
『……なんですか?』
『もしかしたら、君はサクラを……』
そこまで言って、ハッと我に帰る。
これは医師として尋ねていい範疇を超えている。
それに親友だと思っているのは私だけで、彼にとってはただの旅先の恩人に過ぎないかも知れないのだ。
『いや、私が立ち入っていい部分では無かった。すまない、今のは忘れてくれ』
スッと右手を差し出すと、彼が黙って握り返す。
『タイシ、君に出会えて良かった。……また会えることを祈っている。……生きてくれ。good luck! 』
心からの祈りを籠めて、彼の瞳を真っ直ぐに見つめた。
『ジョン、本当にありがとう。死ぬ前に良い出会いがあって良かった』
『……私もだ。君の闘いを……ここでの君の勇姿は……私がずっと覚えている』
最後に力強くハグしながらお互いの背中をポンポンと叩き、身体を離す。
『それじゃあ行くよ』
タイシがドアを開け、出て行こうとして……何故か急に足を止めて振り向いた。
『ジョン』
『なんだい?』
『俺さ、桜子とは血が繋がっていないんだ』
ーーえっ?
今、なんて……?
茫然とする私を尻目に、タイシがフッと微笑んでドアを閉める。
その瞬間、考えるでもなく口をついて出たのは、
『good luck!』
たった一言だけだった。
タイシの背中がドアの向こうに消えてから、私は改めて彼の言葉を反芻していた。
ーーサクラとタイシは血が繋がっていない……。
それは即ち、私の質問を肯定した……と捉えていいのだろうか。
ハッキリと明言することは避けたものの、最後の最後に重大な事実を告げて貰えたことに、友情を感じていたのは自分だけではなかった、そこには確かに信頼関係が築けていたのだと、微かな喜びを感じる。
同時に、自分の想いをひた隠しにしたまま、あくまでもサクラの兄として残りの人生を全うしようとしている彼に、神の救いは無いのかと憐憫の情を抱かずにはいられなかった。
ーーもしも癌に侵されていなければ……彼はサクラに想いを伝えていたのだろうか……。
だけどそれももう、彼自身でさえ永遠に分からないことだ。
その後何度かサクラを家に招き、食事を共にする機会があった。
サクラから、『タイシと電話で話した』、『今日はメールをした』と聞くたびに、彼はまだ生きているのだと胸を撫で下ろした。
サクラが兄の秘書として働く夢を無邪気に語るたびに、帰国後の彼女を襲う悲しみを想い、胸を痛めていた。
それでも……。
彼はあれから更に半年以上も病と闘い続け、サクラとの再会を果たしたのだ。
それからの2ヶ月弱は、愛する女性と穏やかで満たされた時間を過ごせたのだと……そう思いたい。
『good luck』
ーーあの最後の言葉が彼に届いていたかも分からないけれど……。
最期のその瞬間に、彼の側にサクラがいてくれたなら、いいな……と思う。
愛するサクラに見守られ、満足げに微笑んで逝くような、そんな穏やかな最期であったことを祈りつつ、私は彼の手紙を引き出しの奥にそっとしまった。
*・゜゚・*:.。..。.:*・ .。.:*・・*:.。. .。.:*・゜゚・*
ジョンさん編、次で終わります。
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