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<< 外伝 John Winstonへの手紙 >>

4、秘密

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ーーやはり彼は身体の何処かが悪いに違いない!

 医者としての経験値と直感がそう告げていた。

「私もちょっと失礼するよ」

 そう言い残して彼を追うと、トイレの個室から呻き声のようなものと共に、ベチャッ、ピチャッと何かが水に跳ねるような音が聞こえて来た。

「うっ……ウエッ!ゲッ……ウッ……」

ーーこれは……食べたものを吐いてるんだ!

 愕然とした。
 こんなの時差ボケでも、ましてや病気が完治した後でも無い。

ーー現在進行中の……。


 その時扉の奥から、
「あ~あ……油断した……ヤバいな……」
 私の知らない日本語らしいものが聞こえ、カチャッと鍵の開く音がした。

ーーどうする……このまま気付かなかったフリをして席に戻るか……。

 いや、ダメだ……と思った。
 医師として、目の前にいる患者を見てみぬフリは出来ない!

 両手の拳をグッと握り締め、彼を待ち構える覚悟を決めた。
 
 個室から出て来たタイシは、入り口で立っている私に気付くとギョッとして足を止めた。

「ジョン……」

「英語で話せるかな?」

 先程までの様子で彼は英会話が出来るのではと疑っていた私は、一縷の望みにかけて英語で話し掛けた。

「……いいですよ」

 彼は諦めたように苦笑すると、『お手上げだ』とでも言うように肩を竦めてみせる。

「君は身体の調子が悪いんじゃないか? 顔色が悪いし食欲も無さそうだ。今も吐いてたんだろう?」

 食事会は解散にして、このまま病院に行くよう勧めた私に、彼はキッパリNOと答えた。
 更に、食事会を続けるだけではなく、サクラにこのことを内緒にして欲しいとまで言う。

「妹にはバレたくないんです。せっかく会えたんです。日本からわざわざ会いに来たんです。どうか……楽しい時間を続けさせて下さい!」

 その必死さに鬼気迫るものを感じ、嫌な予感が当たってしまったのだと確信する。


「何処が悪いんだ。胃か? 肝臓か?」
「……胃です」

「そうか……痛み止めは?医師の紹介状は持っているのか?」
「ええ……」

 彼が差し出した英文の紹介状。
 そこに書いてあった病名はスキルス胃癌、しかもステージIV。

「Oh...」

 嫌な予感が当たってしまった。
 私は言葉を失い黙り込むしかなかった。

 すぐに帰って休めばいいものを、彼はそのまま席に戻ることを選んだ。

「いえ。桜子との時間の方が大切ですから」

 ハッキリ言いきった彼の瞳は真剣で、そして少し潤んでいた。

ーーそうか……彼はただ単に妹に会いに来た訳ではなかったのだ。悲壮な覚悟で……。

 私は思わず彼を抱き寄せると、力付けるようにその背中を叩き、1人で頷いた。

「分かったよ」

 彼の気持ちを汲み、この場は何も知らなかったことにしておこう。
 だけどこのまま放置しておくわけには行かない。

 私は彼に、食事会の後でオフィスに来ることを約束させた。
 もちろん応急処置を施すためだ。

 それから一緒にテーブルに戻った私たちは、何事もなかったように会話を続け、「俺と大志は意気投合したから、男だけで飲みに行くよ」とタクシーで女性を先に家で降ろしてそのままオフィスに向かった。




「ジョン、迷惑をかけて済まない。それから桜子に内緒にしてくれて感謝する」

 タイシは額に脂汗を浮かべながら感謝の言葉を述べた。左腕には点滴が繋がっている。

 私は自分のオフィスを持つ開業医だから、大抵のことは融通が効く。
 保険だ時間外診療だなどという面倒な手続きをすっ飛ばしてすぐに処置を施してあげられたのが幸いだった。

「私は旅先で弱っていた親友の手助けをしただけだよ」

 私が首を横に振りながらそう言い、最後におどけたようにウインクしてやると、漸く彼の顔にも笑顔が浮かんだ。

「ありがとうございます」

「君は英語が話せたんだね」

「それも……どうか桜子には内緒にして下さい。アイツがせっかく頑張ってくれてるんで」

 イタズラを見つかった子供のようにニッと口の端を上げ、

「それに俺、アイツに通訳してもらうのが嬉しいんです」

 最後に目を細めて微笑んだ。


 それからタイシは私の言いつけを守り、ボストン滞在の間、毎日私のオフィスに通い続けた。
 いや、言いつけを守ったと言うよりは、そうせざるを得なかったのだろう。
 彼はサクラの前で痛みにのたうち回り弱音を吐く姿を絶対に見せたく無かったのだ。

「アイツにそんな醜態を晒すくらいなら、舌を噛み切って死ぬ方を選びますよ」

 ベッドに横たわりながらそう枯れた声で呟く姿を見て、なんだか違和感を感じた。

 だけど私がその違和感の正体に思い至るのは、彼が帰国する前日になってからのことだ。
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