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<< 外伝 水口麻耶への手紙 >>

27、秘密の露呈 (4)

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「桜子さん……」

 能面のように固まった表情をして、桜子さんが立ち尽くしている。そしてその目がチラリと下へと動く。

ーーあっ!

 彼女の視線が私の手元にあるのに気付き、慌ててクリアファイルを背中に隠す。
 もう手遅れだと、そんなことは無駄だというのは彼女が泣きそうな顔をしたことですぐに気付いたけれど……それでもそうせずにはいられなかった。


「……私と冬馬さんの『婚姻届』を、どうして水口さんが持っているんですか?それは冬馬さんが区役所に提出したはずでしたよね?」

ーーああ……。

「桜子さん、これは違うの!」
「桜子、違うんだ!」

 私と日野先生が同時に口を開いたけれど、それを桜子さんの悲痛な声が遮った。

「何が違うんですか?! 私が同情の結婚を受け入れた事ですか? 冬馬さんに愛されていると勘違いしたことですか? 婚姻届も出されていなかったのに……冬馬さんの妻になったと信じ込んで浮かれてたことですか?!それとも……それとも、その全部……」

 そのままきびすを返して出口へと向かう。

「桜子っ、違うんだ!聞いてくれ!」
「触らないでっ!」

 追い縋る手を勢いよく振り払って桜子さんが出て行くと、日野先生もそれを追って廊下に出て行く。


 しばらくしてドアが開いて桜子さんの顔が見えたから、連れ戻すのに成功したのかとホッとしたのも束の間、すぐにクライアントが入って来た。

「1時でお約束いただいていた牧野様です、よろしくお願い致します」

 桜子さんが強張った表情のままでそう告げると、続いて日野先生も暗い表情で入って来る。

 クライアントを応接室に案内しながらチラリと振り返ると、悲痛な顔をした桜子さんがドアの向こうに消えて行くところだった。


 最悪な事実を最悪な形で知らせることになってしまった……。
 私はしばらくお茶を出すのも忘れて、茫然とその場に立ち尽くしていたけれど、ハッと気付いてデスクに向かう。
 スマホを握り締め、大急ぎで文字を打ち込む。

『桜子さん、私のせいでショックを与えることになってごめんなさい。婚姻届の件は、日野先生なりの考えがあってのことなの。彼からちゃんと話を聞いてあげて』

 桜子さんはこのメッセージを読んでくれるだろうか。

ーー大失敗だ。

 怒りのあまり時と場所を考えていなかった。
 もうすぐ桜子さんが事務所に来る時間だというのは、ちょっと考えれば分かったことなのに……。

 自分の迂闊さに腹が立つ。

 30分ほどしてクライアントと日野先生が出て来た。
 先生はドアの所でクライアントを見送ると、途端に笑顔を引っ込めてデスクに戻り、鞄を抱えて出口に向かう。

「悪い、行って来る!」
「頑張って! 次の予約は3時です!」
「分かってる!」

 勢い良く飛び出して行く背中を見送りながら、そう言えば、事務所の中で日野先生がダッシュする姿なんて初めて見たな……と思った。


 先生は3時7分前に息を切らして戻って来ると、少し早く着いて応接室で待っていたクライアントの元に向かい、その後も凄い勢いで黙々と仕事をこなした。

 桜子さんとの話し合いがどうなったのか聞きたかったけれど、鬼気迫る勢いでパソコンに文字を打ち込んでいるのを見ると、話しかけるのも憚られる。

 午後5時になり、このまま帰っていいものかと私が悩んでいると、日野先生が電話の受話器に手を掛けながら顔を上げ、私を見た。

「水口さん、心配を掛けました。帰ったら桜子に全部話します。彼女が待っていてくれたら……だけど」

「私のせいで……申し訳ありませんでした」

「いや……元々は俺の嘘から始まったんだ、自業自得だよ。彼女が許してくれるまで、何度でも頭を下げるつもりでいる。水口さんの事も全部話すことになると思うけど……構わないだろうか」

「勿論です。 桜子さんには辛い話かも知れないけれど……」

「俺が全力で支えます」

 私が頷くと、日野先生も笑顔で頷いて、電話の向こうのクライアントと会話を始めた。

ーー桜子さん、お願いだから、日野先生を待っていてあげて! そして彼の話を聞いてあげて!

 彼女は私の過去を聞いてどう思うだろう、受け入れられるのだろうか。トラウマは大丈夫だろうか……。

 だけど、桜子さんは確実に成長しているし、前を向いて進んでいたはずだ。

 きっと大丈夫……。
 だって彼女はあの八神先生の妹で……日野先生の愛する人だから。

ーーそうですよね、日野先生。
 これからはあなたがしっかりと桜子さんを守り、支えてくれるんですよね?

 八神先生の意志を引き継いで……。






*・゜゚・*:.。..。.:*・ .。.:*・゜゚・**・*:.。.. .。.:*・゜゚・*

 次で水口編終わりです。
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