上 下
131 / 177
<< 外伝 水口麻耶への手紙 >>

26、秘密の露呈 (3)

しおりを挟む
 
 事務所で留守番をしていた私は、日野先生から頼まれていた内容証明を郵便局に持って行こうかと思い、辺りを見渡した。
 いつもの書類入れには入ってないし、日野先生のデスクの上にも見当たらない。

 壁の時計を見て、そろそろ裁判が終わって帰ってくる時間なのを確認すると、日野先生に電話をかけてみる。

「日野先生、先生に郵送を頼まれていた『内容証明』の書類ってどこでしょうか? 他の郵便物と一緒に郵便局に持って行きたいんですけど、見当たらないんです」

『ああ、悪かった。俺の机の引き出しに入ってるはずだから、見てみて下さい。よろしくお願いします』

 本人の許可が下りたので、日野先生のデスクに回り込み、センターの引き出しを躊躇なく開ける。

ーーえっ?

 いきなり目に飛び込んで来たのは、クリアファイルに挟まれた婚姻届。
 『日野冬馬』、『八神桜子』と2人の署名入りだ。

ーー書き損じ……なのかしら。

 だけど全ての欄の必要事項は記入済みで、ちゃんと実印まで押印してある。
 それに、記入ミスだったらわざわざクリアファイルに挟んで後生大事に取っておく必要もないだろう。

「これって……どういうこと?」

 あの2人は、まだ夫婦ではないの?!
 
 思わずしゃがみ込み、改めて婚姻届を見つめる。
 胸に湧いてきたのはとんでもないものを見つけてしまったというショックと、騙されていたことへの怒り。

 そして次に考えたのは桜子さんのこと。

ーー桜子さんは、このことを知っているの?

 もしも知らずに自分は結婚しているものと思い込んでいたら……。


 口に手をあてて愕然としていると、事務所のドアが開いて誰かが入って来た気配がした。
 足音はそのまま給湯室に入って行く。

ーーちゃんと確認しなきゃ……八神先生から桜子さんのことを頼まれたのは日野先生だけじゃない。私だって桜子さんのことを託されているんだから。

 すっくと立ち上がると、まっすぐ給湯室に向かう。大きく深呼吸してからバッと勢い良くドアを開けた。

 中でコーヒーを淹れていた先生は驚いた顔で振り向いたけれど、それが私だと分かるとニッコリ微笑む。

「水口さんか、いないのかと思った」

「……先生、郵便物を出して来ました」
「ああ、ありがとう」

「それで……これはどういう事なんですか?」
「えっ、何が……」

 クリアファイルに挟まれた婚姻届を目の前にかかげて見せると、一瞬で彼の顔色が変わった。目を見開き口を半開きにしたまま固まっている。

「それは……」

「すいません、内容証明を探していた時に、見つけてしまいました。どういう事なんですか?この事を桜子さんは知ってるんですか?」

「彼女には……近いうちに話すつもりだ」

ーーやっぱり桜子さんはこのことを……!

 頭にカッと血がのぼり、目の前にいる人への不信感が湧いてくる。

 酷い! 酷過ぎる!
 何も知らない桜子さんを騙して平気な顔で一緒に暮らして……。
 女を馬鹿にしている!

「近いうちって……桜子さん、絶対にショックを受けますよ!ホント、何やってるんですか!まさか愛のない契約結婚だとか、先生に愛人がいて揉めてるとかじゃないでしょうね?」

「それは……どうなんだろうな」
「どう……って、先生!」

 私が追求すると、日野先生は目を伏せて苦しそうな表情を浮かべ……そして何かを決意したように顔を上げ、今度は真っ直ぐに見つめてきた。

「水口さん……事務所にも関わることだから言っておくよ。この事を桜子に話したら、彼女は家を出て行くかも知れないし、事務所も辞めると言うかも知れないから」

「えっ、どういう事ですか?」

「……俺たちの結婚は、大志が認めたわけでも、桜子が望んでいたものでも無いんだ」
「えっ?」

ーーこの人は何を言っているの?

「俺が大志の遺志だと言って桜子を騙して結婚してもらった。兄の死で弱っていた彼女は、深く考えもせずにそれを受け入れたんだ」
「そんな……」

ーー望んでいない結婚? 騙した? 深く考えもせずに受け入れた?

 違う……!
 だって私は知っている。2人はずっと前から愛し合っていた。お互いに好きで、桜子さんは日野先生のことが大好きで、だから結ばれるのは当然のことで……。

「そんな事ないです!桜子さんは先生のことを愛していますよ!見ていれば分かります!今すぐ先生の気持ちを伝えてあげて下さいよ!」

「いや、今はまだ……」

「そんなの……そんなのあんまりじゃないですか!いつまで内緒にしておくつもりなんですか! こんなの最低ですよ!」

「分かっている。君の言うことはもっともだ。全部俺が悪い。だけど、もう少しだけ待って欲しい。桜子の兄である大志にゆるしを乞わなければ、俺は先に進めない」

ーーまただ。私たちは八神先生の遺言に囚われすぎている。彼の記憶があまりにも鮮やか過ぎて、忘れたくなくて、大切にしたくて……。

 だけど私たちは生きているんだ。目の前にいる桜子さんを悲しませてまで、八神先生の遺言を守ることに意味があるのだろうか?


「大志、大志……って、生きてる私達の気持ちよりも、そこまで八神先生の遺志が優先されなきゃいけないんですか? 私のことだって……」

 クリアファイルを持つ手に力が籠り、怒りでプルプルと震え出す。

「君にも隠し事をさせることになって申し訳ないとは思っている。桜子と仲良くなった今は、尚更辛いだろう」

「とにかく……当事者の桜子さんだけ蚊帳の外だなんておかしいですよ!彼女は小さな女の子じゃない、立派な大人の女性です。きっともう何を聞いたって大丈夫です。ちゃんと話しましょうよ」

「分かっている……だけど……」

ーーだけど、だけど……って、いつまでそんなことを言ってるの? 彼女は自分が結婚してると信じてるのに!

「往生際が悪いですよ!日野先生が言わないのなら、私が言います!」

「待ってくれ!彼女には俺からっ!」

 縋り付くような声を無視してスライドドアを開けた。
 追い掛けて来る日野先生を振り返りながら外に出て前を見ると……そこには顔面蒼白になった桜子さんが立ち尽くしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

イケメンエリート軍団の籠の中

便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC” 謎多き噂の飛び交う外資系一流企業 日本内外のイケメンエリートが 集まる男のみの会社 唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり 女子社員募集要項がネットを賑わした 1名の採用に300人以上が殺到する 松村舞衣(24歳) 友達につき合って応募しただけなのに 何故かその超難関を突破する 凪さん、映司さん、謙人さん、 トオルさん、ジャスティン イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々 でも、なんか、なんだか、息苦しい~~ イケメンエリート軍団の鳥かごの中に 私、飼われてしまったみたい… 「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる 他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。