仮初めの花嫁 義理で娶られた妻は夫に溺愛されてます!?

田沢みん

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19、最初で最後の手紙

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 5月6日の朝、八神先生は若くしてこの世を去った。
 享年31歳だった。

 私がそれを聞かされたのは慌ただしく出勤の準備をしていた時で、彬を急かして靴を履かせていたところに電話がかかって来た。

「今朝、大志が亡くなった」

ーーえ……。

 ドクン……と大きく心臓が跳ねて、一瞬で凍りついた。

「俺は今すぐ向こうに行くから、水口さんはこのまま事務所に行って電話の応対をしていて欲しい。昼で戸締りして帰ってくれていいから。仕事先には俺が連絡を入れて謝罪しておく」

 私もすぐにホスピスに行きたいと思ったけれど、留守番を頼まれてしまっては仕方がない。
 ジリジリした気持ちを抱えつつ、事務所で落ち着かない時間を過ごし、家へと帰った。


『葬儀場で一晩遺体を安置して、明日がお通夜になった。水口さんに渡したいものがあるので来ていただけますか』

 日野先生から連絡が来たのは午後になってからで、彼らは午前中に都内の葬儀場に移動していて、今日はそのまま遺体に付き添う予定だという。


 私が慌てて駆け付けると、八神先生の遺体は霊安室に安置されていて、日野先生と桜子さんは畳敷きの控え室で待機していた。
 桜子さんは朝からずっと泣き続けているのだろう。私が行った時にもハンカチで目を押さえていたけれど、私が挨拶をすると、「ありがとうございます」と言いながら肩を大きく震わせた。

 日野先生は桜子さんの肩を抱き、隣でピッタリ寄り添っている。
 彼自身も随分泣いたのだろう。目を真っ赤に泣き腫らしていて鼻も赤い。

 彼が部屋に置かれた 卓袱台ちゃぶだいの上に置かれた封筒をスッと私の目の前に押し出した。
 
「大志から預かっていた手紙です」
「えっ、私に……ですか?」

「ああ。大志があなた宛に書いた手紙だ。自分が死んだ後で渡すようにと言われていたんだ」

 震える両手で手に取ると、封筒に書かれた右肩上がりの文字が懐かしくて、視界が涙で滲んだ。

「……読んでもいいですか?」
「勿論。大志からあなたへの遺言です」


----------------------------------

 水口麻耶様

 お久しぶりです……って言うのも可笑しいかな。 あなたがこの手紙を読んでいる時には、既に僕はこの世にいないんだから。

 だけど、しばらく会っていないのは確かだろうから、やっぱりこの書き出して始めさせてもらいます。


 まず最初に。
 水口さん、八神法律事務所に来てくれて本当にありがとう。

 出会いのきっかけは決して好ましいものでは無かったけれど、あの日あなたと巡り逢えた事は、僕と事務所にとっては大きな僥倖ぎょうこうでした………

-------------------------------------


 文面から窺えるのは、日野先生と桜子さんへの想い。特に桜子さんのこれからを気にかけているのが言葉の端々から溢れている。

 そして……私への心の籠もった言葉。


「ふ……っ……私の方こそ……」

 手紙にポトリと水滴が落ちる。

ーー先生との出会いは、私の方こそ大きな僥倖ぎょうこうでした。

 出会いは私の離婚相談。

 第一印象は『ハズレ』。
 若くてカッコ良すぎて絶対に頼りにならないと思った。

 予想を覆す優秀さと弁舌のキレに驚いて、仕事の合間に見せる天真爛漫さと明るさに惹きつけられた。

ーーいつだって桜子さん中心で……。

 腹が立つくらい桜子さんの事しか頭に無くて、自分のことでさえ後回し。
 強引で積極的な性格のくせに、桜子さんのことだけはひたすら耐え忍んだままで……。

「最後まで……っ……」

 3年分の思い出が蘇り、今まで堪えていた感情が決壊して、とめどなく涙が溢れ出す。


 いつも心の何処かに疎外感を感じていた。
 常に桜子さんを中心に回っている3人の関係では私は部外者だった。
 何の相談もされない、頼ってもらえない自分が悲しかった。
 私はただのしがない臨時の事務員なのだと諦めていた。

ーーだけど……ちゃんと私も頼ってもらえていた。こんなにも気に掛けてもらえていた……。

 八神大志からの最初で最後の私への手紙が嬉しかった。
 嬉しくて、悲しかった……。

「ふっ……う……っ……先生……」


『駄目ンズ好きだなんて自分で枠を作らずに、選択の幅を広げてみてはどうだろうか』

『完璧で優秀に見える男にだって弱いところやだらしない部分は絶対にある』

ーー今なら私にも分かります。本当ですね。顔が良くてステータスも充分なくせに、好きな女性に想いを告げられず欝々と悩み続けているダメンズもいるんですよね。


『人生で1度の結婚さえ叶わなかった自分が語るような事ではないだろうけど、叶わなかったからこそ、まだまだこれからの可能性があるあなたには幸せになって欲しいと思うから』

ーー1度の結婚さえ叶わなかったあなたが、それでも他人の……私の幸福を望んで下さるんですね。


『水口さん、どうか幸せになってください』

「先生……ありがとうございました……」


 今付き合っている恋人とは別れよう……そう決めた。
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