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<< 妹と親友への遺言 >> side 大志

79、最後のキス

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ーーそう、俺が唯一認めた男……冬馬……。

 とうとう口に出してしまった。
 もう止められないぞ、覚悟を決めるんだ。

「えっ……冬馬さん?」

 これから何を言おうとしているんだというように戸惑う表情を浮かべて、それでも桜子は必死に俺の言葉を聞き取ろうとしている。

「ああ、冬馬だ」

 俺は桜子の手をポン、ポン、と軽く叩きながら言葉を続ける。

「俺が唯一負けたと思った相手……それが冬馬なんだ……」
「お兄ちゃんが負けるなんて……」
「負けたんだよ……俺は」

 男としても人間としても、アイツの器の大きさには敵うヤツなんていないよ。
 恋だって……笑っちゃうくらいに見事な完敗だ。
 冬馬は桜子の初恋の相手で、それからずっと桜子が恋していた相手は冬馬で……。

「でも……それでいいんだ……」

 負けた相手が冬馬で良かった……。
 アイツなら桜子を絶対に幸せにしてくれるって確信出来るから……。

「桜子……」

 ギュッと細い手を握りしめて目を見つめたら、桜子の表情が引き締まった。

「お前の側には俺がいてやりたかったけど……俺がいなくなった後で他にお前を守れる奴って考えたら……冬馬の顔しか浮かばなかったんだ。アイツになら安心してお前を任せられる……アイツと……幸せになれ」

 だけど桜子はフルフルと首を横に振る。

「お兄ちゃん、駄目だよ。あんなに素敵な人が私を好きになるはず無いでしょ!それに冬馬さんには……水口さんがいるし」

ーーああ、そうか……そうだったな。

 俺のせいで今でも冬馬と水口さんが付き合っていると思ってるんだな。

『違うんだよ、あの2人はただの同僚だ。冬馬が好きなのは桜子、お前なんだよ』

 そう言ってやればいいんだろうけど……。
 ごめんな、桜子。
 お前たちが上手くいって目の前で付き合い始めるのを見るのは流石に辛いかな。
 それに、俺が嘘をついてた卑怯者だってバラす勇気までは無いんだよ。

 俺はこんなになってもやっぱりお前を誰にも渡したくなくて……同時に最後まで優しくて尊敬されるお兄ちゃんでもいたいんだ。
 ハハッ、贅沢だな。

ーーその代わり、そっと背中だけは押してやる。

「大丈夫だ……」
「えっ?」

「大丈夫だよ……勇気を出してぶつかってごらん」
「お兄ちゃん、無理だよ!私は今のままでいいんだってば」

 俺の手の平の下で、桜子の手にグッと力が籠もる。

 怖いのか? 勇気がないのか? もう諦めてるのか? 
 本当はお前がちょっと手を伸ばすだけでそれは手に入るんだぜ。
 俺がいなくなったら……もう少ししたらお前は自由の身だ。そしたら俺の妨害工作なんて蹴散らして、とっととアイツと一緒になれよ。

「桜子は謙虚な所がいいんだけど……でも、本当に欲しい物のためには全力でぶつかることも時には必要なんだ」

ーーああ、言いたくないんだけどな……でも、言ってやらなきゃな。

 桜子のために、冬馬のために。
 そして……俺自身が後悔しないためにも。


「桜子は……冬馬のことが好きなんだろ?」

 桜子は俺の目をジッと見つめて……覚悟を決めたようにコクンと頷いた。

ーーああ……。

 喉がヒュッと鳴った。
 呼吸しているはずなのに、酸素が肺に入って来ないみたいだ。
 
 苦しいな……胸が痛いな……聞きたくなかったな……。

 だけど俺は桜子のお兄ちゃんだから……。

「桜子は、冬馬が人の気持ちを笑ったり馬鹿にしたりする奴だと思うか?」

 頭を撫でながらそう言うと、桜子が黙って首を横に振る。

「大丈夫だ、アイツはお前の気持ちをちゃんと受け止めてくれる。ほんのちょっとでいいから勇気を出してぶつかってごらん?」

 そしてウインクしながら、

「あっ、そうそう。冬馬は石橋を叩いても渡らないタイプだからな。慎重すぎてなかなか自分から動かないから、桜子からグイグイ行かなきゃ駄目だろうな。頑張れよ」

 そう言ってやると、困ったように眉尻を下げる。

「頑張れ……って……」

「うん、頑張れ。ただし、今俺が話した事は、冬馬には絶対に内緒だぞ。俺がアイツに負けたと認めたなんて悔しいし、アイツを調子に乗らせたくないからな」

ーー頑張れ……桜子、頑張って幸せを掴め。

 だけどごめん、もう少しだけ……あと少しだけ……俺の桜子でいてくれよ。

「ふふっ……分かった」

 これで導火線に火はついた。
 俺がいなくなったら両側から燃えだして、あっという間に真ん中で点火するだろう。

 そうしたらこの細い指も艶やかな髪も全て、アイツのものになる。

ーーくっそ……やりたくねぇな……。


「桜子……指切りしようか」
「指切り?いいよ」

 俺が小指を差し出せば、桜子は躊躇することなく自分のそれを絡めてくる。
 触れたそこから甘い痺れが全身に広がり、胸のあたりで痛みに変わる。

「桜子の指、綺麗だな……」
「そう?」

「うん、細くて白くて……とても綺麗だ……ずっとこうしてたいな」
「いいよ……ずっとこうしてようか」
「うん……そうだな……」

 このまま時間が止まってしまえばいいのに。
 ずっとこうしていられたらいいのに。

 だけど俺には分かる。サラサラと零れ落ちている砂時計の砂は、あと残り少しだ。

ーー砂が全部落ち尽くすその前に言ってやれてよかったな……言いたくなかったな……。
 でもやっぱり……言えて良かったな……。



 フッと意識が戻った。
 そうか、あのまま寝てしまったんだな。

 横を見ると、桜子が両手に頭を乗せて眠っていた。

ーーずっとここにいてくれたのか……。

 最近はこんな風にベッドサイドで寝ている事が多くなった。
 桜子も俺たちが一緒にいられる時間が残り少ないことを分かっているんだろう。

 俺は枕から頭を離すと、すぐそこにある綺麗な寝顔を覗き込み、顔にかかった髪をそっと掻き上げてやった。

 閉じた瞼を縁取る長い睫毛、スッと通った鼻筋と、その下にある薄くて整った唇。

ーー綺麗だよ、桜子……。

 ゆっくりと顔を近付けると、吸い寄せられるように唇を合わせた。
 柔らかい感触をほんの一瞬だけ感じてすぐに離す。喜びと緊張で胸が震えた。

「……ごめん、ありがとう」

 これが最後のキス。
 俺が愛する女と交わす2度目で最後の……俺しか知らない別れの口づけだ。
 
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