96 / 177
<< 妹と親友への遺言 >> side 大志
71、毎日がご褒美
しおりを挟む「もう先生に付き添い許可をもらってきたから」
キャリーバッグを片手に病室に舞い戻って来た桜子は、驚く俺を尻目にその日から病院での寝泊まりを始めた。
ドアの前で朝の配膳を受け取ると、自分は床頭台から引き出した小さなスライドテーブルで付き添い食を食べる。
朝の検温や点滴が終わると車椅子で院内の散歩に連れ出してくれたり、部屋で一緒にテレビを見たりお喋りをして過ごした。
俺がウトウトしている間に近所のコンビニに買い物に出掛けたり、アパートに戻って入浴を済ませたりしていたけれど、基本的には殆ど病院から離れない生活。
ストレスを感じないわけが無いのに、一度の愚痴も溢さず、それが当然であるかのようにそこにいてくれた。
その頃の桜子は、バーガンディカラーの毛糸の帽子をいくつも編んでいた。
退屈な病院生活での暇つぶしでもあったんだろうけど、この場合は『願掛け』の意味合いも含んでいたんじゃないかと思う。
「また帽子を編んでるの?」
「今のが駄目になったらすぐに新しいのが必要でしょ?」
「あまり根を詰めるなよ。お前の方が倒れたら意味がないんだからな」
「うん、好きでやってるから大丈夫」
そんなにいくつも必要ないのに、俺がそう言うのも耳に入らないみたいにひたすら編み棒を動かし続ける。祈りを込めるみたいに、念を送るみたいに。
それを辞めたら俺の心臓も止まってしまうとでも思っていたのかも知れない。
いや、
「髪が生えてきたら必要なくなっちゃうかな。でも寒い季節になったらまた使えるよね」
なんて夢みたいなことを言っていたから、そう思い込みたくて必死だったのかも知れないな。
悲しい想いをさせちゃってごめんな。
不甲斐ない兄貴でごめんよ。
桜子の編み物中には沢山の話をした。
桜子が手元を見ているから、お互いの目を見なくて言い分、普段言えないことも口にしやすかったから。
「ボストンに来た時は……もう病気になってたの?」
「……うん、ごめん。病気のことを忘れて桜子と楽しい時間を過ごしたかったんだ」
「……私と……楽しく過ごせた? 」
「過ごせたよ」
「嘘だ……だってお兄ちゃん、食欲が無かった」
「あれは本当に時差ボケのせいだったんだって」
「身体がキツいのに無理して私に付き合って……私は何も気付かずにお兄ちゃんをあちこち連れ出して……馬鹿みたい」
「めちゃくちゃ楽しかったって。あの時間があったから、俺はその後の闘病生活も耐えられたんだぜ。桜子のお陰だよ」
そんな会話をする時は、桜子は絶対に顔を上げない。手元だけですいすい編み上げられるくせに、憑かれたように指を動かし編み目を追い続ける。
途中で顔を上げたらアイツも俺も泣き出してしまって先が話せなかっただろうから、桜子に編み物があって良かった。
そんな風にあの病室で過ごしたのは短い間だけだったけれど、あそこで語り合った時間や思い出はとても貴重で大切な宝物だ。
あの毎日毎日が俺へのご褒美だったんだな……って、今でも思っている。
腹膜播種の症状が表に強く出始めた。
癌細胞が胃の壁を通り抜けて広範囲に広がってしまうことで、腹水がたまり内臓が圧迫されて呼吸が苦しくなる。骨転位も見られ、身体の節々にも痛みが生じるようになってきた。
その頃から、桜子は急に立ち上がると、「ちょっと出て来る」と言って病室から出て行くことが増えていた。
「出てくる」は「泣いてくる」だ。
苦しむ俺の前で泣いてはいけないと思っていたんだろうけど、それは俺にとってもありがたかった。
苦しんでいる姿はなるべく見せたくなかったし、桜子がいない間に俺も泣くことが出来たから。
ーー流石にこれは……うん、もうアレだな。
俺がずっと点滴に繋がれ、いろんな薬物を注入されながらも日に日に弱っていく姿を間近で見ているだけでも辛いだろうに、こんな狭い病室で閉じ込められたままでは桜子のストレスも限界だろう。
俺は以前から調べてあって見学にも行ったことがある、ホスピス緩和ケア病棟に転院することを決めた。
10
お気に入りに追加
1,589
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話
水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。
相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。
義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。
陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。
しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。
拝啓 お顔もお名前も存じ上げない婚約者様
オケラ
恋愛
15歳のユアは上流貴族のお嬢様。自然とたわむれるのが大好きな女の子で、毎日山で植物を愛でている。しかし、こうして自由に過ごせるのもあと半年だけ。16歳になると正式に結婚することが決まっている。彼女には生まれた時から婚約者がいるが、まだ一度も会ったことがない。名前も知らないのは幼き日の彼女のわがままが原因で……。半年後に結婚を控える中、彼女は山の中でとある殿方と出会い……。
旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします
暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。
いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。
子を身ごもってからでは遅いのです。
あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」
伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。
女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。
妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。
だから恥じた。
「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。
本当に恥ずかしい…
私は潔く身を引くことにしますわ………」
そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。
「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
---------------------------------------------
※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている
と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている
と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。