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<< 妹と親友への遺言 >> side 大志
70、心から愛してる
しおりを挟む桜子を泣かせたくはないと思っていたけれど、そんなのは到底無理なことだった。
医師の説明を聞きに行った桜子は、目を真っ赤にして戻って来た。
「うん、大丈夫。『一緒に頑張りましょう』って」
ーー何が大丈夫だ。そんなに泣き腫らした目をして。
ベッドの横で立ち尽くす桜子に、かける言葉を必死で探す。
情けないな。こんな姿で俺が何を言ったって、悲しませる以外に何も出来やしない。
「……なあ、勉強の成果を見せてくれよ」
「えっ?」
「なんだよ。せっかく帰ってきたのに本番仕込みの流暢な英語を聞かせてくれないの?」
「お兄ちゃん……」
「ほら、何か英語で喋ってみてよ」
桜子は顔をくしゃくしゃにしながらも、ベッドサイドの椅子に腰を下ろし、俺をジッと見つめて口を開いた。
「You’re a liar. (お兄ちゃんは嘘つきだよね)」
「……うん」
「Big liar. (大嘘つき)」
「……うん」
「I can’t believe you’ve been lying to me all this time. (ずっと騙してたなんて酷いよ)」
「……うん、ごめん」
「I’m sorry I didn’t know about your illness. (ずっと気付かなくてごめんね)」
「そんなことないよ」
桜子は両手を伸ばし、シーツの上の俺の手にそっと触れた。干からびた木の枝みたいなカサカサの腕を、愛おしそうにゆっくりと撫であげる。
「I love you so much. (お兄ちゃん、大好き)」
「うん、俺も」
「I love you......from the bottom of my heart. (愛してる……心から)」
「うん……愛してるよ」
「英語全然出来るじゃない……やっぱり嘘つきだ」
泣き笑いの顔で下から覗き込んで来る。
ハハッ、やった。俺でもちょっとは桜子を笑わせることが出来た。
「お前には敵わないよ。お前の英語力があれば事務所は安泰だな」
「でも……」
うん、そうだな。お前が事務所に来ても俺はもういないんだもんな。
ごめんな、お前の夢を叶えてやれなくて。
そのために大学時代から頑張って来たのにな。
ーー俺だって……桜子と働ける日を夢見てたんだぜ。本当に……本当に残念だよ。悔しいよ。
「これからは私が側に付いてるからね。ずっと一緒にいるからね。今度は私が頑張るから……」
無理するなよ。お前は頑張らなくたっていいんだ。
俺が頑張るからさ、桜子はただ笑って側にいてくれよ。
そう言おうと思ったけれど、今の桜子にとってその言葉は、ただ傷つけるだけのような気がして引っ込めた。
きっと桜子は俺から離れていた1年間を後悔している。その時間を埋めるために頑張ろうと思っているに違いない。
案の定、桜子はそのままアパートには帰らず病院に泊まり込むと言い出した。
「ここは完全看護だし、お前がそんな事をする必要はない」
アメリカから何時間もかけて帰って来たばかりの桜子にそんな事はさせられない。
それでも残ると言い張るのを俺が懇々と言い聞かせて、その日は冬馬に頼んでアパートまで送って行ってもらった。
1人取り残された病室は静かで無機質で、さっきまでの出来事が夢だったんじゃないかと思わされる。
それでも桜子を抱きしめたときの重みと柔らかさ、腕を撫でられた時の心地よさはしっかり感触として残っていて、改めてその喜びを噛みしめた。
ーー本当に会えたんだな……。
病名を告知されたときには二度と会えないかも知れないと思ったし、実際そうなってもおかしくない状態だった。
桜子と生きて再び会うことだけを目標に、辛い化学療法や入退院、手術にも耐え抜いて……年を越すことが出来たばかりか、本当に桜子に再会出来てしまった。
「ふっ……人間って欲深いな」
もっと桜子と一緒にいたいな……
既にそう思ってしまっている自分がいる。
さっきまではどうにかして一目会いたいと思っていた筈なのに、今はまた桜子に触れたい、抱きしめてあの髪を撫でたいと思っている。
ーーだけどきっと、明日になったら桜子は会いに来てくれる。
少しくらいは期待してもいいのだろうか。
桜子に一目会うことだけを願って生きながらえてきた俺が、今度は明日もまた桜子に会える楽しみを持っても許されるだろうか。
ーー許してもらえる……よな。
この半年間、歯を食いしばって耐えてきたんだ。少しくらいは自分へのご褒美を貰ったって罰は当たらないはずだ。
これからは1日1日が自分へのご褒美……。
そう考えたら、毎日が前向きに生きられるような気がした。
『あっ、今日も生きられた』
『明日も桜子が会いに来てくれる』
『今日も生きて桜子に会えている』
そうやって日々を過ごしていれば、どん詰まりの俺の人生にも、『楽しみ』な明日が訪れてくれるはずだ。
ーーうん、楽しみだな。
今日は嬉しかったけど、見栄を張って身体を起こしていたから疲れてしまった。
ベッドを斜めに倒して身体を横たえる。ドッと疲労感が襲って来て、このまま起き上がれないんじゃないかと思うくらいだったけれど、不思議と気持ちは凪いでいた。
どれくらい経ったんだろう。人の気配で目が覚めた。
ナースが検温に来たのかと思って薄っすら目を開けたら、ぼんやりした視界の先に、さっき見たばかりの後ろ姿があった。
「……えっ?」
振り向いた桜子がニッコリ微笑んで……
「やっぱり来ちゃった。一緒にいようよ……いいでしょ?」
水色のキャリーバッグを片手に立っていた。
ーーああ、凄いな。1日経っていないのに、ご褒美を貰えてしまった。
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