仮初めの花嫁 義理で娶られた妻は夫に溺愛されてます!?

田沢みん

文字の大きさ
上 下
83 / 177
<< 妹と親友への遺言 >> side 大志

58、無念の境地

しおりを挟む

「左様でございましたか……それはご愁傷様でございます。妹様のことを思うと、さぞかしご心痛しんつうなことでしょう……」

 寺の奥座敷で立派な黒檀こくたんの座卓を挟んでお茶をいただきながら、俺が自分が抱えている病気について伝えると、住職は目尻に皺の寄った温和な目を潤ませながら同情の言葉を口にした。

「それで生前に全ての手配をされたいと?」

「はい。両親の時に分かったんですが、身内が亡くなった後にやらなくてはいけない事は、想像以上に雑多です。全部やったと思っていても必ず抜けは出てくるだろうから、今気付いているだけでも完璧に済ませておきたいんです」


 俺が考えた、桜子のために済ませておけることの一つ、それは死後の葬儀と法要の手配だった。
 両親の墓がある菩提寺ぼだいじに足を運び、住職と四十九日法要までの打ち合わせをし、かかる費用は法要ごとに封筒に入れて準備しておく。
 そして『生前戒名かいみょう』もさずけてもらう事にした。
 
 俺の経験上、身内の死後1ヶ月までが一番やる事が多くパニックになる。四十九日法要まで手配されていれば、かなり精神的負担が軽くなるだろう。
 その後のことは桜子の好きなように、ゆっくり落ち着いて考えればいい。


「『立つ鳥跡を濁さず』……です。妹に立派な兄だったと後々振り返ってもらえるよう、身辺整理をちゃんとしておきたいんです」

「『不惜身命ふしゃくしんみょう』……の精神ですね」

「『不惜身命』……ですか?」

 何処かで聞いたことがあるような言葉だけど、意味が良く分かっていなかった俺は、瞬きしながら聞き返した。

「はい。これは仏教用語で『仏道を極めるために身体も命も惜しまない』という意味があります。私ども仏門に身を置くものにはそのままの意味となりますが、一般の方々には『身体も命も惜しまない』という意味になります」

「身体も命も惜しまない……ですか」

「はい。残された妹さんに負担をかけまいと、病に侵された身体に鞭打ちここまで足を運ばれたお心、それはまさしく『不惜身命』の精神です。恐れ入ります」

「ありがとうございます。そう言っていただけると、自分のやっている事が正しいのだと思えてきます。ただ……妹を1人残して行くのは……やはり無念です」

 俺がそう言うと、住職はゆっくり頷きながら、

「無念とは本来、『念がない』、即ち妄念のないこと、無我の境地……という意味なのですよ」
 と仰った。

「……無我の境地」

「ええ、『無我の境地』です。どなたかが『残念無念』という使い方をされてから、無念とは残念なことのように捉えられがちですが、本来の『無念』とは、迷いも執着もなく、心が鎮まっている状態を指すのです。私たち仏教の理想は、まさしく『無念』、『無念無想』の状態なのですよ」

ーー無念無想……か。

「私も死ぬ時にはそんな境地になれるんでしょうか」

「さぁ、如何でしょうか。私自身もまだまだ修行の身。その境地には達しておりません」
「それじゃあ私には到底無理ですね」

「どうでしょうか……ただ、先程からあなた様のお姿を拝見していて、私にはとても尊く神々しく写っておりますよ。ご立派です」

「ありがとうございます」

 俺は改めて住職に礼を言うと、両親の墓に花を手向けた後、手を合わせて話しかけた。

「父さん、母さん、ごめんな」

 俺は桜子の幸せを最後まで見届けることが出来ないよ。
 約束を守れなくてごめんな。
 だけど、俺に出来る精一杯で、俺の命ギリギリまでは、桜子のために生きるから……。
 俺の残された命全部を桜子のために燃やし尽くすから……それで勘弁してくれよ。

「俺の代わりに……」

 俺がいなくても桜子を支えてくれる奴を見付けたんだ。
 アイツならきっと桜子を心から愛し、守ってくれる。
 俺がいなくなっても……桜子は幸せになれる。

「冬馬。……父さんたちも知ってるだろ?」

 その名前を墓前で口にした途端、自分の中で漸くそのことが受け入れられたような気がした。
 胸が痛くて苦しくて切なくなった。
 切ないけれど、ホッとしている自分がいる。

 桜子を幸せにするのは冬馬だ……俺じゃない。
 認めたくないけど……認めるしかないよな?
 俺がいなくなっても桜子は1人ぼっちじゃない……だから……これでいいんだよな?

 顔を上げてゆっくり立ち上がると、頬を流れる涙を拭ってお墓を撫でた。

「ここに来るのはこれが最後だ。それじゃあ行くよ。さよなら」

 そう言ってから、

「……違うな。あの世で会えるから、『またね』だよな。父さん、母さん、またな」


 上へ上へとくゆっていく線香の煙に乗って、俺の未練も雑念も空に飛んでいってしまえばいい……と思った。

ーーフッ……俺には無念の境地は無理だな。

 墓石の並ぶ小道をゆっくり歩きながら、俺が死んだ後は桜子と冬馬が2人でここを歩くんだろうな……悔しいな……と思った。
しおりを挟む
感想 399

あなたにおすすめの小説

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】記憶を失くした旦那さま

山葵
恋愛
副騎士団長として働く旦那さまが部下を庇い頭を打ってしまう。 目が覚めた時には、私との結婚生活も全て忘れていた。 彼は愛しているのはリターナだと言った。 そんな時、離縁したリターナさんが戻って来たと知らせが来る…。

【完】お義母様そんなに嫁がお嫌いですか?でも安心してください、もう会う事はありませんから

咲貴
恋愛
見初められ伯爵夫人となった元子爵令嬢のアニカは、夫のフィリベルトの義母に嫌われており、嫌がらせを受ける日々。 そんな中、義父の誕生日を祝うため、とびきりのプレゼントを用意する。 しかし、義母と二人きりになった時、事件は起こった……。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。