上 下
76 / 177
<< 妹と親友への遺言 >> side 大志

51、ボストンにて (6) / 落胆

しおりを挟む

「Excuse me...(ちょっと失礼します…)」

 慌てて席を立ち、口を押さえながら速足で洗面所へと向かう。個室に飛び込んで鍵を掛けると、すぐに便座を上げて顔を突っ込んだ。

「うっ……ウエッ!ゲッ……ウッ……」

 食べたものが全部出た。
 それはほぼほぼ食べた時のまま、消化されずにそのまま押し出されたといった状態で、少量の血液も混じっていた。吐く時に食道が傷付いたのかも知れない。

 吐き終わっても胃の痛みと喉の焼けるようなヒリヒリ感が残っている。
 胃の辺りをグッと押さえて、大きく深呼吸する。

「あ~あ……油断した……ヤバいな……」

ーー何が『調子がいい』だ。『癌の進行が止まっているのかも』……だ。馬鹿じゃねえのか。そんな事あるわけないのに。
 俺の中の癌細胞は絶賛活動中で、むしろ張り切って暴れてるじゃないか……。

「…行かなきゃ……」

 それでも早く席に戻らないと……このままここにいたらみんなが……桜子が心配する。
 トイレの壁に手をつきながらヨロヨロと立ち上がり、扉を開けて外に出たところで、ギョッとして足を止めた。

「ジョン……」

 何故かジョンがトイレの入口に立っている。
 そこから動かないからトイレに用があるわけではなさそうだ。その青い瞳は俺をジッと見つめている。心配そうに、辛そうに……。

 心臓がドクンとする。

ーーそう言えばドクターなんだっけな。

「Can I talk with you in English? (英語で話せるかな?)」

「It’s okay(いいですよ)」

 俺が頷くと、ジョンは俺に分かりやすいようゆっくりとした英語で話し始めた。

「君は身体の調子が悪いんじゃないか? 顔色が悪いし食欲も無さそうだ。今も吐いてたんだろう?」

「……ええ」

「それは良くないな。今日はこれで解散にしよう。無理をさせてすまなかったね。このまま病院に行くかい?

「いえ……このまま会食を続けさせて下さい」

 ジョンは怪訝そうに片方の眉を上げ、厳しい口調で言う。

「申し訳ないが、医者として病人を放置しておくわけにはいかないんだよ。額に脂汗も浮かんでるじゃないか。相当辛いんだろう?」

「……内緒にして欲しいんです」
「えっ?」

「妹にはバレたくないんです。せっかく会えたんです。日本からわざわざ会いに来たんです。どうか……楽しい時間を続けさせて下さい!」

 下手な英語で必死に訴えると、彼は何かを悟ったように目を伏せた。

「何処が悪いんだ。胃か? 肝臓か?」
「……胃です」

「そうか……痛み止めは?医師の紹介状は持っているのか?」
「ええ……」

 こっちでもしもの事があった時のために英文の紹介状を書いてもらってきた。それは今もコートの内ポケットにパスポートと共に入っている。

 これ以上隠し通すのは無理だと悟った俺が紹介状を差し出すと、それに目を通した途端、彼は片手で顔を拭い、「Oh...」と絶句した。

「申し訳なかった。辛いことを無理やり聞き出してしまったね。だけど……今の状態じゃ辛いだろう。帰って休んだ方がいい」

「いえ。桜子との時間の方が大切ですから」

 俺がハッキリ言い切ると、彼は涙ぐんで俺を抱き締めた。

「分かったよ。君の深い愛情のために今は見逃そう。だけど、その後で私のオフィスに来なさい」
「あなたの?」

「そうだ。そこで栄養補給と吐き気止めの点滴をしよう。可能であれば毎日通って来なさい」


 揃って席に戻ってからは、俺が食べないのを悟られないよう、ジョンが率先して場を盛り上げてくれた。
 それからしばらくすると、「俺と大志は意気投合したから、男だけで飲みに行くよ」と言って、タクシーで女性を家に送ってから、そのままジョンのオフィスに連れて行かれた。

「ジョン、迷惑をかけて済まない。それから桜子に内緒にしてくれて感謝する」

 ベッドに横になって点滴を受けながらそう言うと、ジョンは首を横に振って、

「私は旅先で弱っていた親友の手助けをしただけだよ」

 片目を瞑ってウインクするのを見て、やっぱりこういうキザなウインクは日本人よりアメリカ人の方が似合うな……なんて、どうでもいいことを考えたりした。

 タクシーで送ってもらい、アパートで降りる時、ジョンが俺の手を力強く握りしめる。

「God bless you (神の御加護を)」

 ジョンさんには申し訳ないけれど、最後に告げられたその言葉が、俺にはとても虚しいものに響いた。

 だって神の加護もハーバードの銅像の御利益もありはしないじゃないか。



「お帰りなさい。ジョンさんと何処に行ったの? 楽しかった?」

 ソファーから振り返った桜子の笑顔を見て、途端に荒んでいた心がジワッと暖かくなって解れていく。
 救いの手を差し伸べてくれる神も仏もいないけれど、俺には桜子がいる。


「何処か知らないけどジョンさんの行きつけの店に連れてかれた」

 桜子の隣にドサッと座り、ソファーに深く背中を沈める。点滴が効いたのか随分楽になった。

「今日は通訳をありがとうな。流暢に喋ってたから感心したよ」

「ううん、ビジネス英語にはまだまだだよ。だけど、お兄ちゃんに少しは私の成長を見せられたかな? お兄ちゃんのお陰でここまで出来るようになったよって見せたくて、張り切っちゃった」

「そうか……」

 ああ、ダメだな。最近涙腺が緩くて本当に参る。なんだかもう、いっぱいいっぱいだ。

「……お兄ちゃん?」

「ふっ……お前の成長が嬉しくて……感動した。父さんと母さんも、きっと……」

 もう涙を隠せそうにないから、涙の理由で誤魔化した。

「嫌だ……お兄ちゃんが泣いたら……私まで……」
 
 桜子が俺の肩に顔を埋めると、そこから濡れた感触が広がっていく。

「桜子……いつのまにか兄ちゃんに戻ってるな。メアリーさんの前では大志って呼んでくれてたのに」
 
「だってそれは!……英語で会話するときは名前呼びだから!」

 肩を抱き締めながら冗談めかして言うと、桜子が泣き笑いの顔で反論した。

「ハハッ……英語圏なんだから大志って呼べよ。言っとくけど恋人設定もまだ終了してないからな」

「ええっ!まだ続いてたの?」
「続いてるに決まってるだろ。キスをしたっていいぞ」

「そんなのしないよ!」
「ハハッ……」

ーーしろよ。

 キスしたい……と思った。

ーー抱いてしまおうか……。

 ふと湧き上がった衝動が、自分の中で一気に膨れ上がっていくのが分かった。
しおりを挟む
感想 399

あなたにおすすめの小説

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ヤクザと私と。~養子じゃなく嫁でした

瀬名。
恋愛
大学1年生の冬。母子家庭の私は、母に逃げられました。 家も取り押さえられ、帰る場所もない。 まず、借金返済をしてないから、私も逃げないとやばい。 …そんな時、借金取りにきた私を買ってくれたのは。 ヤクザの若頭でした。 *この話はフィクションです 現実ではあり得ませんが、物語の過程としてむちゃくちゃしてます ツッコミたくてイラつく人はお帰りください またこの話を鵜呑みにする読者がいたとしても私は一切の責任を負いませんのでご了承ください*

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

一年で死ぬなら

朝山みどり
恋愛
一族のお食事会の主な話題はクレアをばかにする事と同じ年のいとこを褒めることだった。 理不尽と思いながらもクレアはじっと下を向いていた。 そんなある日、体の不調が続いたクレアは医者に行った。 そこでクレアは心臓が弱っていて、余命一年とわかった。 一年、我慢しても一年。好きにしても一年。吹っ切れたクレアは・・・・・

あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~

けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。 ただ… トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。 誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。 いや…もう女子と言える年齢ではない。 キラキラドキドキした恋愛はしたい… 結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。 最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。 彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して… そんな人が、 『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』 だなんて、私を指名してくれて… そして… スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、 『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』 って、誘われた… いったい私に何が起こっているの? パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子… たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。 誰かを思いっきり好きになって… 甘えてみても…いいですか? ※after story別作品で公開中(同じタイトル)

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にエタニティの小説・漫画・アニメを1話以上レンタルしている と、エタニティのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。