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<< 君の初恋 side成瀬 >>
9、再会
しおりを挟む好きで好きで、ずっと追い掛けてきた。
だけど、ずっと君のことばかりを思い続けていたわけじゃない。
高校を卒業して6年目。
その間、それなりに女性と関係を持ってきたし、短いけれど彼女と呼べる人もいた。
好きだとか、可愛いよ……とか。
お約束の甘い言葉を囁いて他の女を抱ける程度には、君のことを忘れていたよ。
だけど、再び出会ってしまった。
その瞬間に、胸の奥深くに閉じ込めていたパンドラの箱が開いてしまった。
もう誰にも止められない。君にだって、そして僕自身でも……だ。
こんなのさ、絶対に運命だって思うだろ?
僕はそう思ったよ、彼女が僕の運命なんだって。
森口彩乃。
僕の運命は彼女だったけれど、残念ながら、彼女の運命は僕じゃ無かった。
*
芸術作品を作るには、感覚とかインスピレーションとか言うけれど、『仕事』となれば、それだけでは済まされない部分が往々にしてあるものだ。
写真だってそう。
個展用に撮るのなら好き勝手出来るけれど、そこにお金が絡んで来た時点で、スポンサーの意向が多かれ少なかれ反映されるのは避けられない。
『考えるな、感じろ』だって?
そんな甘っちょろい事を言ってられるのは素人が趣味で撮ってる間だけだ。
立体のものを四角い平面に収めて表現しようと思ったら、それなりの工夫が必要に決まってる。
見た目のインパクトや、見る相手に与える印象をイメージして、それを最大限に表現する方法を探る。
依頼主や媒体によって、作風を上手く使い分けることも必要だ。
相手の要求をある程度飲んで満足させつつ、さり気なく『らしさ』のエッセンスを散りばめる。
自分の主義主張を伝えることばかりに気を取られて独りよがりになっては、ただのオナニーで終わってしまう。
その匙加減を測るのが、自分は得意な方だと思う。
だからこその今だと僕は思っているし、ある程度の割り切りがないと、この業界で上にのし上がって行くことは出来ないだろう。
「CMのスチール撮影?」
「はい、新しい炭酸飲料のCMです」
ある日、外での仕事から帰って来た僕に事務員が告げたのが、新しい仕事の依頼についてだった。
アシスタントから独立し、個人事務所を構えて2年目の春。
その頃の僕は『新進気鋭のカメラマン』なんて言われていて、僕の撮った写真が雑誌の表紙だとかポスターなんかにも使われるようになっていた。
それでも事務所を支えるためには、好きな写真ばかりを撮っているわけに行かない。
自分で言うのも何だけど、昔から世渡り上手な方だったから、見栄えの良さと押しの強さを武器に大小関係なく仕事をゲットしては、右から左に次々とこなしている時期だった。
そんな時に飛び込んで来たCM撮影の依頼。スポンサーは業界大手の飲料会社。
今までで一番大きな仕事に、思わず身を乗り出して、パソコン画面の依頼内容を覗き込んだ。
若者をターゲットにした炭酸飲料のCM。
コンセプトは『弾ける泡、弾ける青春』。
イメージキャラクターはモデルでタレントの森口彩乃。
CM出演は彩乃と彼女の母校の高校ダンス部。
ドリンクに3種類のテイストがあることから、3種類のダンスで3種類のCMを製作する。
今回はCMのメイキングスチールとポスターのメインビジュアルとなるスチール、両方をお願いしたい。
「マジか……」
思わず片手で口元を覆った。
彩乃がモデル事務所に入った事は知っていた。
その後テレビでも姿を見かけるようになって、お互い関わりのある業界にいる事を嬉しく思っていた。
ただの青春の思い出の1ページだった筈なのに、何処かで名前を聞けば耳を澄ませ、雑誌やテレビで笑顔を見れば、胸をときめかせた。
いつか一緒に仕事をする事もあるのかな……なんて期待しながらも、「いやいや、そんなに都合のいいことがあるわけ無いだろ」なんて自分を戒めてもいて。
ーーそれが本当に起こってしまった……。
驚き、戸惑い、喜び、期待、そして不安……。
僕と仕事をする事になったら、彩乃はどう思うだろう。
嫌がられはしないだろうか。
それとも懐かしいと喜んでくれるだろうか。
恋人は……いるのだろうか。
ーー木崎君とは今も続いているのか?
高校生の頃の幼い恋愛など、とっくに終わっているんじゃないだろうか。
いや、幼馴染みのあの2人だ。そのまま交際を続けている可能性も……。
だけど相手は芸能人だ。一般人とは上手く行かないだろう。
ーーだとしたら、僕にもチャンスがあるんじゃないか?
仕事を引き受けると返事してからは、1人であれこれ考えては浮かれたり悩んだりを繰り返した。
その当時、僕に恋人はいなかったけれど、それに近い関係の女性はいた。
3つ歳上の売れっ子メイクアップアーティストで、仕事の関係で知り合ってからは、彼女に誘われてたまに食事や飲みに行くようになっていた。
彼女の視線やボディタッチの多さから僕に好意を抱いてくれているのは明らかだったし、僕も満更では無かったから、そのうちこちらからデートに誘って、付き合おうと言ってみようか。その流れでホテルに行って……なんて考えてもいた。
だけどそんなのは『本物』じゃ無かったんだよな。
本当に惚れた時ってさ、気が付けばその人の事ばかり考えていて、何を見たってその人と結びつけちゃうんだよ。
モデルを撮影していれば、彼女にはこんなポーズをさせてみたいな。彼女にもこのドレスが似合うんじゃないか? って思うし、
時間が出来れば、今頃彼女は何してるのかな? お昼は何処で誰と何を食べてるんだろう? 相手は男なのかな? って、知らない相手を思い浮かべて勝手に嫉妬までして。
『満更でもない』とか、『そのうちに』、『言ってみようか』……なんて悠長に構えていられる時点で恋じゃなかった。
そう思った時に、高校時代のあの暑い夏が蘇って来た。
夢中でカメラを構えていた瞬間や失恋の胸の痛み。2階の窓から2人を見下ろしていた時の切なさや苦しさ。
あれはまさしく恋だった。がむしゃらでカッコ悪い、僕の初恋だった。
当時の想いがそのまま再現される。胸がキュンとして甘くて苦くて、辛いのに目が逸らせなくて。
ーーああ、これだ。この感情だ。
僕は彼女への気持ちを閉じ込めていただけで、失ってはいなかったんだな……。
気付いてしまったら、もうどうしようも無かった。
メイクアップアーティストの女性に仕事先で会った時、飲みに行こうと誘われた。
「実は好きな女性がいてさ」って、さり気なさを装って言ったら、「あら、そうなんだ。友達なんだから、いつでも相談に乗るわよ」そう言いながら、二度と彼女から誘ってくる事は無かった。
「それでは皆さん、よろしくお願いしま~す!」
監督の掛け声に全員が挨拶を返し、持ち場に着く。
「森口さん、久し振り。よろしくね」
「先輩、よろしくお願いします!」
駆け寄って右手を差し出したら、懐かしい笑顔で手を握り返してくれた。
君が22歳、僕が25歳になったばかりの春の終わり。
思い出のグラウンドで、僕たちは再会した。
ーーこんなのもう、運命だ。
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