思い出さなければ良かったのに

田沢みん

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おかえり、またね。 side彩乃

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 銀座1丁目にある有名ギャラリーは、開館直後から大勢の人で溢れ返っていた。

 美術館やギャラリーが多く集まる栄えたエリアにあり、地下鉄駅から徒歩1分。交通の便が良く、集客率抜群の好立地。


 ここは日本トップのフィルム会社が、『クオリティの高い様々なジャンルの作品を展示し、写真文化の向上と普及に貢献する』を謳い文句にして、全国5カ所に設置しているフォトサロンの1つだ。

 グレーを基調としたシックな空間。
 可動式の展示スペースを贅沢にも3部屋分ぶち抜きで使用している広い空間に、色とりどりの写真が飾られている。

 写真は風景だったり動物だったり様々だけど、1番多いのは子供の写真だ。
 ガリガリに痩せ細った赤ん坊を背負い、骨と皮だけの手を差し出して物乞いをするインドの少女。
 お供え物の果物が入った大きな籠を頭に乗せて運ぶバリ島の姉弟。

 全て、若くして亡くなった不世出の写真家、木崎雄大の作品である。


 会場の突き当たり。 メインの1番大きなパネルの前でフラッシュを浴びて微笑んでいる女性は、この展示会の主催者の1人であり、このパネルの写真のモデルであり……そして亡くなったカメラマンの恋人でもあった女性……森口彩乃、この私だ。


『森口さん、木崎さんの遺作であり、小説の表紙にも使用されたこの写真ですが、撮影された時の状況を教えていただけますか? 』

「これは彼が自分の一眼レフで撮ってくれた、最初で最後の私の写真です。2人で住んでいたアパートで撮ってもらいました」

『撮影者であり恋人であった木崎雄大さんと、撮影時にどのような会話をされたのか。この涙の理由は?』

「撮影時期や、何を話したかは……一生誰にも話すつもりはありません。申し訳ありませんが、私と彼だけの大切な思い出にさせて下さい」

『小説は幻想的な切ない別れのシーンでラストを迎えましたが、これは、もう一度彼に会いたかったという森口さんの願望を文章にしたのでしょうか?』

「それは……私の中では彼が本当に会いに来てくれていたのだと、そう思いながら書いたので……ごめんなさい、これ以上は、もう……」

 薄っすらと涙を浮かべながら微笑むと、「ああ……」とか「おおっ……」という同情と感嘆の声と共に、無数のフラッシュが浴びせられた。

 その後もインタビューに答えていると、遠くから波のようにざわめきが近づいて来る。
 言葉を途切れさせてそちらを見ると、ざわめきの発生源が微笑みを浮かべて立ち止まる。

「森口さん、展覧会の成功おめでとう」

 ブラックのカジュアルスーツにシルバータイ。
 大きな花束を持って現れたのは、成瀬駿なるせしゅん先輩。

 若手カメラマンの中では群を抜いた人気と知名度を誇る、今、注目度ナンバーワンの写真家。
 そして新人映画監督でもある。

「ありがとうございます」

 私が両手で花束を受け取ると、その瞬間を待ち構えていたように一層沢山のフラッシュが焚かれる。眩しくて思わず目を細めた。

ーー雄大、見てる? 雄大の作品がこんなに沢山の人に見てもらえてるよ。



 長く不遇な時代を過ごし、海外で大きな賞を受賞して、やっとこれからという時に事故で無くなった悲劇の写真家。
 恋人は人気モデルでタレントの森口彩乃。

 1年前、このニュースは瞬く間に日本中を駆け巡り、切ない悲恋話として大きく取り上げられた。

 私は長い間待っていた恋人を失った悲劇のヒロインとして注目を浴び、連日マスコミに追いかけられる事となった。

『幼馴染の恋人を襲った悲劇』
『不遇時代を支えた献身』
『写真にこめた恋人への想い』

 雄大が賞を取った作品は勿論だけど、その後で遺作として公開された写真が、日本では大きな脚光を浴びた。

『おかえり、またね』

 私がタイトルをつけたその作品は、朝焼けの空が見える窓を背景に、泣き笑いの表情を浮かべている女性。頬を伝う涙が光を反射して輝いている。

 私が自分たちを実名で使用した恋愛小説を執筆したのは、事故の2ヶ月後。

 雄大の死後、彼への使命感に追い立てられるかのようにすぐに仕事に復帰したものの、私は上手く笑顔が作れなくなっていた。
 社長に言われて休業した私は、持て余した時間を文章を書く事で紛らわせていた。

 彼との思い出を記録に残しておきたくて、思いつくままに書き綴った言葉。
 それがマネージャーの目にとまり、雄大の写真、『おかえり、またね』を表紙にして春に出版されると、たちまちベストセラーとなった。

『思い出さなければ良かったのに』
 10万部超えの大ヒットにして、今もなお重版を重ねている私の処女作。

 これほどの話題作を、芸能界も事務所も放っておくわけが無い。
 あちこちから映画化のオファーが舞い込むと、その中の1つに事務所が飛び付いた。

『テレビ局がスポンサーで半年後に上映。その後すぐにテレビドラマ化の予定。監督は人気写真家、成瀬駿』

 なんでも、テレビ局のプロデューサーに成瀬先輩自らが持ち込んだ企画だという。


ーー雄大がどう思うだろう……。

 大乗り気な事務所社長とマネージャーを横目に見ながら返事を出来ずにいると、なんと成瀬先輩本人が事務所に説得にやって来た。

『森口さんが戸惑うのも分かるよ。 君に長年恋心を抱いている僕が監督すると、木崎君が嫌がるかも知れないって思ってるんだろう?』

 事務所の応接室。
 社長とマネージャーのいる前で、堂々とそう言ってのけた事には驚いたけれど、その後の言葉は十分納得出来るものだった。

『映画を撮るのは初めてだけど、カメラで表現するという意味では同じだと思う。君の小説の世界を損なわずに映像化する自信はあるんだ』

『君たちの恋は、2人を長年見て来た僕だからこそ表現できると思う』

『自分で言うのも何だけど、僕の初監督作品となれば注目を浴びるし、ヒット間違いない。木崎君の作品を更に知ってもらう、いいチャンスだと思わないか?』

 説得力のある言葉の数々に、拒否する理由なんて無かった。
 何より、雄大の作品を、彼の名前を皆の記憶に残す事が出来るのだ。

『分かりました……よろしくお願いします』

 こうして映画化の話が進み、クランクインしたタイミングで雄大の写真展が開催されたのだった。




 パシャッ! パシャパシャッ! パシャッ!

「森口さん、成瀬さん、もう少し近付いていただけますか?」

「こっちに笑顔、お願いします!」

 パシャパシャパシャッ!

 次々と瞬くフラッシュの洪水の中、まるで婚約会見のように寄り添い見つめ合う2人。
 この記事も、明日の朝刊やワイドショーで大きく取り上げられ、話題になるに違いない。

『恋人の死を利用した売名行為』
『悲劇の主人公になった自分に酔っている』
『二股女』
『2人の男を手玉に取って成り上がる悪女』

 私が世間の同情を集めると同時に、心ない言葉も続々と聞こえて来るようになった。
 悲劇の主人公という肩書はまた、それを利用したしたたかな女という称号も私にもたらしたのだ。


 私は成瀬先輩の映画で、ヒロインの森口彩乃役……即ち本人役に抜擢され、上京してモデルになった18歳からラストの29歳までを演じることになっている。

 クランクインしてから監督である成瀬先輩と過ごす時間が増え、2人で食事に行ったりもするようになった。
 話題は撮影についての事が殆どだけど、たまに高校時代の思い出話になったりもする。
 写真部の部室から私を見ていた雄大の話を聞けるのが嬉しかった。


 そんな私たちを交際中だとか結婚間近だと報じる所もあって、成瀬先輩のファンから私のブログに辛辣な書き込みがされたりするし、雑誌で面白おかしく取り上げられているのも知っている。


 それでもいい。
 彼の作品が注目されるためなら悪女でも何にでもなってやる。

 どんな形でもいい。
 小説でも映画でも何でもいい。皆に雄大を、彼の作品を知って欲しい。覚えていて欲しい。

 私の顔を、名前を思い出す時に、一緒に雄大の名前も思い浮かべてもらいたい。
 今、私の隣に彼はいないけれど……せめて皆の記憶に残る私たちは、いつも一緒でいたいから。


ーーお願いだから、覚えていて……ずっと忘れないで……。

 そうしてずっと願い続けていれば、想いはいつか、天国の彼の元に届くのではないかと思っているのだ。

『仕方ないな。お前は言い出したら聞かないからな、また逢いに行ってやるよ』

 そう言ってひょっこり姿を現してくれるんじゃないかな、なんて……雄大、今も私はそう思っているんだよ。


 カメラに向かって悠然とした微笑みを作りながら、右手でそっと左の薬指に触れてみる。

 そこにはもう指輪も歯型も無くて、サラリとした皮膚が触れるだけだけど……。

 痕が消えても、私はずっと忘れない。
 29年間、2人で積み重ねた時間を、交わした言葉を、愛し合った日々を。

 私はあなたを忘れない。


ーー雄大、待ってるからね。

 2人で迎えたあの朝を覚えていてね。
 忘れても、ちゃんとまた思い出してね。

『おかえりなさい』

 もう一度、そう言いたいから……

 サヨナラの代わりに、こう言わせて。

『またね』

 雄大、また会おうね。 逢いに来てね、絶対ね。


『全く、しょうがないな……』

 カシャッ、カシャカシャッ!

 苦笑いしながら傷だらけのカメラを構える雄大の声が、何処かから聞こえてきたような気がした。





fin


*・゜゚・*:.。..。.:* .。.:*・゜゚・・*:.。..。.。.:*・゜゚・*

 番外編その1、『おかえり、またね。』でした。
雄大が亡くなってから1年後のお話です。

 1年後の彩乃は失意の中で書いた小説で成功し、女優としても活躍するマルチタレントとして、見事アイドルからの脱皮を果たしました。
 小説は世間的には実際の出来事にフィクションを混ぜたファンタジーみたいな扱いになっていますが、彩乃の中では嘘偽りのない私小説です。

 雄大は彼の死後にその作品の価値が認められ、世界各地での展示会の他にも、色々な雑誌やコマーシャルで使用されるようになりました。
 国内では海外で賞を取った写真よりも彩乃の小説の表紙になった写真の方が有名です。
『おかえり、またね』と彩乃が名付けた写真は、もちろんあの瞬間の最期の1枚です。

 成瀬先輩は今も彩乃に絶賛アプローチ中。
 彼の気持ちは、今回の彩乃のお話の対となる展覧会での話と、その後の彼の番外編で語ってもらいます。
 成瀬編では本編よりも仲睦まじい、高校時代の彩乃と雄大をお見せできると思います。

 そちらもお付き合いいただければ幸いです。
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