思い出さなければ良かったのに

田沢みん

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15、俺の26歳の誕生日の思い出 (1)

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「えっ、俺がですか?」
「ああ、そのうちスタッフの人数も増やしていく予定だけど、まずは少数精鋭でって思ってる。一緒にやらないか?」


 先輩のチーフカメラマンが会社を辞めて独立する事になった。
 仕事内容は今の会社と同じで、webや雑誌に掲載する広告用の食べ物の写真を撮って仕上げる事。

 今のところ従業員は、先輩と先輩の奥さんと知人の3人。
 そこに俺もカメラマンとして参加しないかと誘われた。

 今の会社でフードフォトグラファーとして働き始めて約2年半。確かにそれなりに仕事は出来るようになって来ていたし、気心の知れた先輩となら、楽しく仕事が出来そうだけど……。

「ちょっと考えさせてもらってもいいですか?」
「うん、それは構わないけど、早目に返事が欲しいかな。駄目なら他を当たらなくちゃいけないから」


 喫茶店で先輩と別れてから考えた。

 今の職場にいるカメラマンは3名。アシスタントカメラマンを入れても6名。
 先輩が抜けたら2番手の俺がチーフカメラマンになるだろう。
 カメラマンは基本的に個人仕事だから、チーフと言っても他のカメラマンに仕事を割り振ったりアドバイスをする程度だ。
 それでも多少は給料が上がる。

ーー先輩について行くにしても、チーフになるにしても、一度引き受けたら簡単に辞められなくなるな……。

 いつか辞める前提で考えている。
 そう気付いた途端、俺は苦笑した。

ーー夢を諦めたなんて嘘だ。俺はいつまで経っても諦め切れずに引き摺って、前にも進めていないじゃないか。

 もう駄目だ、自分に嘘はつけない……。

 どうせこのままじゃ、仕事にのめり込む事も結婚に突き進む事も出来ないんだ。
 だったら未練を完全燃焼させて、全てをリセットしてから新しく始めるしか無いだろ……。

ーー今度こそ愛想を尽かされるかも知れないな。

 だけど不思議と心は凪いでいた。

 もういろんな事から逃げるのはお終いだ……そう決めた。

 ツクツクボウシが鳴いている、夏の終わりの暑い日だった。





 俺の26歳の誕生日は金曜日で、彩乃は朝から仕事が入っていた。
 少し前からプレゼントは何がいいかと聞かれたけれど、『どうしても欲しい物があるけれど、それは当日に言うから何も買わなくていい』と言っておいた。

 彩乃は怪訝そうな顔をしたけど、それ以上何も聞いて来なかった。


 当日、俺は仕事帰りにコンビニでダッツの抹茶アイスとガリガリ君ソーダ味を買って帰り、オムライスを作って彩乃を待った。

 何時になろうが起きて待っているつもりだ。


「ごめんね~、遅くなって」

 この日は夜遅くの仕事を入れないで欲しいと事務所にお願いしてあったらしく、彩乃は夜8時過ぎに帰って来た。

 急いでシャワーを浴びて出てくると、ソファーで俺の隣に座る。
 ガラステーブルに置かれたオムライスを目にするとパアッと顔を輝かせたけれど、すぐに不思議そうに俺を見た。

「オムライスって……私の好物じゃん」
「うん……お前に喜んでもらおうと思って」

 俺が真顔でそう言うと、彩乃が唇をキュッと引き結んで黙り込んだ。
 俺も黙ったものだから部屋の中がシンとして、息をするのも苦しくなった。

「プレゼント……欲しい物って何?」
「……うん……食べてから言う」
「今言って」
「うん……」

 俺はローソファーから降りて、カーペットに正座した。彩乃も俺の前に正座して向き合った。


「俺……やっぱり自分の写真を撮りたいんだ」
「……うん」

「就職してからも、アートカメラマンになりたいって気持ちがずっとあって……」
「うん……」

 ゴクリと唾を飲み込んだ。

「今の会社を辞めて、海外に行ってみようかと思ってる」
「海外?!」

 黙って聞いていた彩乃の目が大きく見開かれた。
 俺の膝に手を置いて、縋るような目で見つめて来る。

「嘘っ、海外って……どういう事? 写真なら日本でだって……」
「駄目なんだ……俺さ、どうしても成瀬先輩を意識しちゃうんだ」

「どうして? 私、成瀬先輩とは本当に何も無いよ? 私が好きなのは雄大だけで……」
「分かってる。それは疑ってないし、そういう事じゃないんだ。俺が勝手にライバル視してるだけ」

 先輩から見れば、ライバルでも何でも無いのに。向こうは遥か先を行っているのに。


「高1の夏……あの時に先輩が撮った彩乃が、頭から離れないんだ」

 彩乃の一番の笑顔を知っているのは俺のはずなのに。
 俺なら彩乃をもっと自然に、もっと綺麗に撮れるはずなのに。
 アイツの本当の最高の笑顔を写真に残したいのに。

「馬鹿だろ? 同じ土俵に立ててもいないのにな」

「……同じ土俵に立たなきゃいけないの? 私の一番の笑顔は雄大のものだよ。 いくらでも写真を撮ればいいじゃない」
「……駄目なんだ」

「だったら……私が雄大以外の人の前で笑わなければいい。 私、モデルを辞めたっていいんだよ! そうすれば……」
「だから駄目なんだって!」

 思わず声を荒げると、彩乃の肩がビクッと跳ねた。
 頬を震わせたと思うと、みるみるうちに瞳が潤みだす。

「知っている人が誰もいない場所で、自分が好きなように好きなものを撮ってみたいんだ」
「雄大……」

「ごめんな、勝手なこと言って。 3年欲しい……それが俺への誕生日プレゼント」

 彩乃が両手で顔を覆って俯いた。
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