思い出さなければ良かったのに

田沢みん

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8、夢を挫折した思い出 (1)

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「姉ちゃんが成瀬先輩と仕事する事になったよ」

 彩乃の弟、晴人はるとから衝撃的な事実を告げられたのは、俺が社会人3年目、22歳の4月下旬だった。

 その日、俺が仕事から帰って家で夕飯を食べていると、晴人が何の前触れもなくやって来た。

 当時晴人はK大の学生で、キャンパスが横浜の日吉にあったため、家から通っていた。
 お互い忙しくてゆっくり会う機会は減っていたけれど、顔を見れば立ち話をしたし、俺が知らない彩乃の仕事情報を教えてもらったりもしていた。

 彩乃は俺が彼女のグラビア仕事を快く思っていないのを知っているから、その手の撮影については語ろうとしない。
 だけどたまにタチの悪いカメラマンにお尻を触られたりもするらしく、弟の晴人を相手に電話で愚痴ったりしている。

 それを俺がこっそり晴人経由で聞いているという訳だ。

 そんな話は不快なだけだし聞きたくも無いけれど、彩乃の事ならちゃんと知っておきたい。
 頑張っているアイツにグラビア撮影を断れなんて言えないし、実は晴人から聞いて知ってるんだとも言いたくない。彩乃だって聞かれたくないだろう。

 だから俺は、そういう話を聞いてから彩乃と会う時には、思いっきり甘えさせてやる事にしているんだ。
 ホテルのベッドでアイツの全身余すことなくキスをして、指先で優しく触れてトロトロに蕩けさせて。

『彩乃、お前はよく頑張ってるよ。偉いな』

『彩乃は俺の自慢の彼女だよ』

『お前が人気者でもそうじゃなくても、雑誌で見せてるような笑顔じゃなくて膨れっ面でも、俺はお前のことを愛してるからな』

 普段は照れて言えないようなクサい台詞も、2人きりのベッドの上では口にする事が出来た。
 そんな時の彩乃は目尻をフニャリと下げて本当に嬉しそうで、その笑顔を見たら、俺もまた頑張ろうって思えたんだ。


 そしてその情報源である晴人が玄関に入って開口一番に告げたのが、冒頭のセリフだった。

ーー彩乃が成瀬先輩と仕事をする……。

「マジか……」
「うん、マジ。 姉ちゃんの母校でCM撮影だって。もう噂が広まってるよ」

 俺は晴人を家に招き入れ、詳しく話を聞くことにした。


「高校のダンス部とのコラボだってさ」

 若者をターゲットにした炭酸飲料のCMキャラクターに彩乃が抜擢された。
 コンセプトは『弾ける泡、弾ける青春』。
 ドリンクに3種類のテイストがあることから、3種類のダンスで3種類のCMを製作する。

 出演は彩乃とダンス部。
 そして宣伝用のスチール撮影を手掛けるのが、人物の美しい一瞬の表情を捉えることで定評のある、新進気鋭のカメラマン、成瀬駿、その人だった。




 CM撮影当日、俺たちの地元は大騒ぎだった。
 混乱を避けるために撮影を平日の昼間に行ったにも関わらず、何処から集まったのか大勢のギャラリーが詰めかけて、パトカーまで出動していた。

 そして、成瀬先輩は終始ニコニコと彩乃に話し掛けていて、どう見ても彼女にまだ未練がありそうだった……らしい。


『らしい』というのは俺がその場にいなかったからで、後で晴人から詳細を教えてもらったからで……。

 俺はその現場に行かなかった。
 行けなかった。
 地元の星の2人が仲睦まじくしている姿も、それをお似合いだと囃し立てるギャラリーも見たくなかった。


『今度、成瀬先輩と一緒に仕事をする事になったんだけど……雄大、嫌だよね……』

『何でだよ、仕事だろ? 頑張って来いよ。応援してるからな!』

 彩乃にはカッコつけてそう言ったけれど、そんなの嫌に決まってる。

 でもさ、俺が嫌だって言ったって、どうしようもないだろう?
 俺がそんな仕事を引き受けるなって言って、彩乃が言うこと聞いて断って……そんなの駄目に決まってるじゃないか。
 それこそ俺がアイツの足を引っ張る事になる。

 だから平気なフリして明るい声を張り上げた。

『成瀬先輩によろしくな!』
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