思い出さなければ良かったのに

田沢みん

文字の大きさ
上 下
8 / 41

8、夢を挫折した思い出 (1)

しおりを挟む

「姉ちゃんが成瀬先輩と仕事する事になったよ」

 彩乃の弟、晴人はるとから衝撃的な事実を告げられたのは、俺が社会人3年目、22歳の4月下旬だった。

 その日、俺が仕事から帰って家で夕飯を食べていると、晴人が何の前触れもなくやって来た。

 当時晴人はK大の学生で、キャンパスが横浜の日吉にあったため、家から通っていた。
 お互い忙しくてゆっくり会う機会は減っていたけれど、顔を見れば立ち話をしたし、俺が知らない彩乃の仕事情報を教えてもらったりもしていた。

 彩乃は俺が彼女のグラビア仕事を快く思っていないのを知っているから、その手の撮影については語ろうとしない。
 だけどたまにタチの悪いカメラマンにお尻を触られたりもするらしく、弟の晴人を相手に電話で愚痴ったりしている。

 それを俺がこっそり晴人経由で聞いているという訳だ。

 そんな話は不快なだけだし聞きたくも無いけれど、彩乃の事ならちゃんと知っておきたい。
 頑張っているアイツにグラビア撮影を断れなんて言えないし、実は晴人から聞いて知ってるんだとも言いたくない。彩乃だって聞かれたくないだろう。

 だから俺は、そういう話を聞いてから彩乃と会う時には、思いっきり甘えさせてやる事にしているんだ。
 ホテルのベッドでアイツの全身余すことなくキスをして、指先で優しく触れてトロトロに蕩けさせて。

『彩乃、お前はよく頑張ってるよ。偉いな』

『彩乃は俺の自慢の彼女だよ』

『お前が人気者でもそうじゃなくても、雑誌で見せてるような笑顔じゃなくて膨れっ面でも、俺はお前のことを愛してるからな』

 普段は照れて言えないようなクサい台詞も、2人きりのベッドの上では口にする事が出来た。
 そんな時の彩乃は目尻をフニャリと下げて本当に嬉しそうで、その笑顔を見たら、俺もまた頑張ろうって思えたんだ。


 そしてその情報源である晴人が玄関に入って開口一番に告げたのが、冒頭のセリフだった。

ーー彩乃が成瀬先輩と仕事をする……。

「マジか……」
「うん、マジ。 姉ちゃんの母校でCM撮影だって。もう噂が広まってるよ」

 俺は晴人を家に招き入れ、詳しく話を聞くことにした。


「高校のダンス部とのコラボだってさ」

 若者をターゲットにした炭酸飲料のCMキャラクターに彩乃が抜擢された。
 コンセプトは『弾ける泡、弾ける青春』。
 ドリンクに3種類のテイストがあることから、3種類のダンスで3種類のCMを製作する。

 出演は彩乃とダンス部。
 そして宣伝用のスチール撮影を手掛けるのが、人物の美しい一瞬の表情を捉えることで定評のある、新進気鋭のカメラマン、成瀬駿、その人だった。




 CM撮影当日、俺たちの地元は大騒ぎだった。
 混乱を避けるために撮影を平日の昼間に行ったにも関わらず、何処から集まったのか大勢のギャラリーが詰めかけて、パトカーまで出動していた。

 そして、成瀬先輩は終始ニコニコと彩乃に話し掛けていて、どう見ても彼女にまだ未練がありそうだった……らしい。


『らしい』というのは俺がその場にいなかったからで、後で晴人から詳細を教えてもらったからで……。

 俺はその現場に行かなかった。
 行けなかった。
 地元の星の2人が仲睦まじくしている姿も、それをお似合いだと囃し立てるギャラリーも見たくなかった。


『今度、成瀬先輩と一緒に仕事をする事になったんだけど……雄大、嫌だよね……』

『何でだよ、仕事だろ? 頑張って来いよ。応援してるからな!』

 彩乃にはカッコつけてそう言ったけれど、そんなの嫌に決まってる。

 でもさ、俺が嫌だって言ったって、どうしようもないだろう?
 俺がそんな仕事を引き受けるなって言って、彩乃が言うこと聞いて断って……そんなの駄目に決まってるじゃないか。
 それこそ俺がアイツの足を引っ張る事になる。

 だから平気なフリして明るい声を張り上げた。

『成瀬先輩によろしくな!』
しおりを挟む
感想 108

あなたにおすすめの小説

じれったい夜の残像

ペコかな
恋愛
キャリアウーマンの美咲は、日々の忙しさに追われながらも、 ふとした瞬間に孤独を感じることが増えていた。 そんな彼女の前に、昔の恋人であり今は経営者として成功している涼介が突然現れる。 再会した涼介は、冷たく離れていったかつての面影とは違い、成熟しながらも情熱的な姿勢で美咲に接する。 再燃する恋心と、互いに抱える過去の傷が交錯する中で、 美咲は「じれったい」感情に翻弄される。

恋人契約

詩織
恋愛
美鈴には大きな秘密がある。 その秘密を隠し、叶えなかった夢を実現しようとする

犬猿の仲のあいつと熱愛するなんてありえない

鳴宮鶉子
恋愛
頭の回転が良くていわゆるイケメンな大学時代からの腐れ縁のいけすかないあいつ。あいつの事を好きになるなんて思ってなかった…

社長から逃げろっ

鳴宮鶉子
恋愛
社長から逃げろっ

甘い束縛

はるきりょう
恋愛
今日こそは言う。そう心に決め、伊達優菜は拳を握りしめた。私には時間がないのだと。もう、気づけば、歳は27を数えるほどになっていた。人並みに結婚し、子どもを産みたい。それを思えば、「若い」なんて言葉はもうすぐ使えなくなる。このあたりが潮時だった。 ※小説家なろうサイト様にも載せています。

傷痕~想い出に変わるまで~

櫻井音衣
恋愛
あの人との未来を手放したのはもうずっと前。 私たちは確かに愛し合っていたはずなのに いつの頃からか 視線の先にあるものが違い始めた。 だからさよなら。 私の愛した人。 今もまだ私は あなたと過ごした幸せだった日々と あなたを傷付け裏切られた日の 悲しみの狭間でさまよっている。 篠宮 瑞希は32歳バツイチ独身。 勝山 光との 5年間の結婚生活に終止符を打って5年。 同じくバツイチ独身の同期 門倉 凌平 32歳。 3年間の結婚生活に終止符を打って3年。 なぜ離婚したのか。 あの時どうすれば離婚を回避できたのか。 『禊』と称して 後悔と反省を繰り返す二人に 本当の幸せは訪れるのか? ~その傷痕が癒える頃には すべてが想い出に変わっているだろう~

終わりにできなかった恋

明日葉
恋愛
「なあ、結婚するか?」  男友達から不意にそう言われて。 「そうだね、しようか」  と。  恋を自覚する前にあまりに友達として大事になりすぎて。終わるかもしれない恋よりも、終わりのない友達をとっていただけ。ふとそう自覚したら、今を逃したら次はないと気づいたら、そう答えていた。

昔の恋心

詩織
恋愛
銀行に勤めて8年、勤務地が実家に近くなったことから実家通いを始める28歳の独身、彼氏なしの私。 まさか、再会するなんて

処理中です...