235 / 237
<< 番外編>>
新婚旅行〜サンディエゴの夕陽〜 (2)
しおりを挟む翌日は昼近くにゆっくり起きて、周囲の海軍関係の施設を見て回った。
サンディエゴ周辺には、映画『トップガン』の舞台となったミラマー基地、ロマ岬や島周辺の海軍基地など、数多くの米軍基地があって、ホテルを出て港沿いを歩くと、海軍の大きな船が行き来するのが見えた。
「あの船にマイクさんが乗ってたのかな」
「どうだろうな」
今となってはそれを知る由も無い。
だけど私とたっくんは、海を渡る船を眺めながら、本物の航空母艦の内部を博物館にした施設を見学しながら、そしてただ街を歩くだけであっても、そこかしこにマイクさんの姿を当て嵌めてみる。
そしてあちこち指差しては、「マイクさんもこの場所を歩いてたのかな」、「こういう甲板で仕事してたのかな」なんて語り合った。
私たちが思い浮かべるマイクさんは写真の時の若いままで、今の姿は全く想像出来ない。
だけどそれでいい。
私たちは穂華さんの代わりにこの景色を見つめているのだから。
穂華さんの遺体とともに焼かれて灰になった愛しいマイクは、いつまでもあの写真の姿のままなのだ。
「どうする? 午後7時にはまだ少し早いけど」
「今日の予定の場所は全部回れたし、私はもう十分かな」
「そっか……」
今日の本番は夜7時からのディナークルーズ。
大型フェリーに乗って、豪華なディナーとカクテル、そしてライブ・エンターテインメントを楽しむことができる2.5時間の船の旅……という謳い文句のナイトクルーズで、今回の旅行が決まった時に真っ先に申し込んでおいたものだ。
何も船に乗って食事をしたかったわけではない。『夜の船に乗って』、『甲板に出れて』、『自由時間がある』というのが重要だった。
「時間まで座って待ってるか?」
「うん、そうしよ」
2人で海沿いのベンチに腰掛け、自然に手を繋ぐ。ぼんやりと青い海と空を見つめる。
「凄いな……本当にここまで来ちゃったんだもんな」
「うん、凄いね、来ちゃったね」
1人だったら絶対に来なかった……来る気にもなれなかった……キラキラ光る水面に目を細めながら、そうたっくんは呟く。
「今日さ、2人で海軍ゆかりの場所を歩いたり、博物館を見たりしただろ?」
「うん」
「あちこち指差して、ここでマイクさんもアイスクリームを食べたのかもよ……とか、マイクならこの辺りでナンパしてたに違いない……なんて言って大笑いしてさ」
「ふふっ、ナンパとか言い出したのはたっくんだからね! あの時たっくんがあまりにも爆笑するものだから、アメリカ人に振り返られちゃったんだから!」
「俺さ、あの時に、ああ、この子と結婚出来て良かったな……って心底思って、泣きそうになってた」
「……そっか」
本当ならここで、「どうしてそのポイントで泣く?!」とか、「泣き虫かっ!」って突っ込んでも良かったんだろうけど……私はそれが出来ずに、黙って海に目を向けた。
だって私もあの時は必死だった。
たっくんはマイクのいたであろう場所でいろいろ考えてるのかな、一度も会えなかった父親のいた場所で辛くないのかな?って思うと、なんだか胸がギュッとなって、目蓋の裏が熱くなって、何か言わずにいられなかったから。
ーーたっくんにはお見通しだったのかな……。
「俺、今回の旅行、普通に楽しんでるよ。確かに母さんの事やマイクの事は頭にあるけど、それとは別に、単純に楽しめてる。……だから小夏も、何も気にしなくていいんだ」
「……うん」
「……とは言っても小夏は優しいから色々考えちゃうんだろうけど……俺は大丈夫だから。今夜の散骨もさ、驚くくらい動揺してないし感傷もない」
「そっか……」
そう、今夜私たちは穂華さんの弔いを……彼女の散骨をするためにここにいる。
ディナークルーズは思っていた以上に豪華だった。
料理は本格的なディナーだったし、中にバーカウンターがあって各種飲み物も自由にオーダー出来た。
ショーが始まって皆の注目がそちらに集まったのを見計らって、私とたっくんは屋外の展望デッキに出た。
「凄い、夜景が綺麗!」
「ああ。高層ビルが多いから明かりがよく見えるな」
サンディエゴ湾越しに一望するダウンタウンの高層ビル群は、眩い光を放って遠くで輝いている。
カリフォルニアの素晴らしい海岸線を目に、涼しい海の風を浴びながら、頭に浮かぶのは穂華さんの最期の瞬間。
『ああ、 マイク……迎えに来てくれたのね』
『マイク……ずっと……待ってたのよ』
『マイク……愛してる……I love you……』
たっくんが生まれて育ってきた年月は、穂華さんにとってはそのままマイクを待っている年月でもあった。成長するにつれ、どんどんマイクに似ていくたっくんを、穂華さんはどんな想いで見つめていたんだろう。
ーー穂華さん、最期にマイクに会えて幸せでしたか?
それがたとえ幻でも、たっくんの演技であったとしても、微笑みながら流した雫は喜びの涙だったに違いない。
そうじゃなきゃ、最期の『I love you』をマイクとしてしか言わせて貰えなかったたっくんが報われない。
「たっくん……たっくんはああ言ってたけど……それでもやっぱり私はこの場所で……穂華さんのことを考えるよ」
穂華さんのことを想い、そしてたっくんの事を考えるよ。
たっくん、私はたっくんの支えになれているのかな。
たっくんは泣くのを我慢してるんじゃないかな。私はちゃんとたっくんが涙を見せられる存在になれてるのかな。
たっくんは涙ぐむ私の肩を抱き、夜の海に目を向ける。黒いコートがはためき、黒髪が後ろに流れる。
「小夏、ありがとうな。でも、湿っぽいのはもう終わりだ。それは今夜までにしよう」
「今夜……」
「うん、そう。今ここで母さんの弔いをしたら、残りの3泊4日は俺たちの時間を楽しまないか?」
「たっくんは、それでいいの?」
「ああ。ここに来れた事で母さんも満足してると思うんだ。俺はこれからだって母さんの事を忘れないし、これからだって思い出す。だけどそれはもう、辛い思い出とか悲しい思い出ばかりじゃないよ」
「……本当に?」
「ああ、本当に」
この辺りでいいかな……そう言ってたっくんは、カバンの中から小さな小瓶を取り出した。
穂華さんの遺言に従って、遺骨は横須賀の海に散骨したけれど、その時にほんの少しだけ小瓶に取り分けておいたのだ。
たっくんがコルクの栓を取り、手摺りから海に向かって右手を伸ばすと、そのまま下に向ける。
小さな瓶は、あっけない程すぐに空っぽになった。
白い粉はサラサラと風に乗って、あっという間に夜の海に消えて行く。
「これで母さんは、最期の瞬間に愛しいマイクにキスされて、死んだ後は愛しいマイクのいた海に眠れた幸せな女だ。そうだろ?」
「……うん」
「そして……俺がそれをした。最後は俺が母さんを……幸せにしてやれたんだ……」
「うん……」
たっくんの声が震え、涙が頬を伝う。
「たっくん……穂華さん、マイクに会えて良かったね」
「……ああ」
横からたっくんにギュッと抱きついたけど、私の短い腕ではたっくんの身体を丸ごと包み込めない。
それでも私は力をこめて、必死で腕を伸ばしてたっくんの服にしがみついた。
「穂華さん、きっと喜んでるよね。たっくんにありがとうって言ってるよね」
「……ん……そうかな」
「そうだよ……それでね、たっくんの事は私が……私が絶対に……絶対に……幸せにする……」
「は……何言ってんの……俺、もう小夏に……幸せにしてもらってるし」
「駄目だよ!もっと……もっと幸せにするんだから!……これからもっと……私が……」
必死でしがみつく私の腕をそっと離して、代わりにたっくんが私を抱きしめる。
痛いほど強く締め付けられて息が苦しいくらいだけど、今はそれさえ愛しい。
「分かったよ。……2人で幸せになろうな……奥さん」
「おっ、奥さん?!」
「ハハッ、奥さんだろ?」
2人で泣き笑いの顔で見つめ合って……それから夜の闇に紛れてキスをした。
船は黒い海を割ってどんどん進み、穂華さんの眠る場所から遠のいて行く。
『死んだ人間にお金をかけるなんて馬鹿らしい。私は神も仏も信じちゃいないし、お経もお墓もいらない。そうね……遺骨は海にでも流しちゃってよ。後には何も残らなくていいの、な~んにも』
何処かから穂華さんの声が聞こえたような気がしたけれど、それはすぐに波の音に紛れて消えて行った。
0
お気に入りに追加
262
あなたにおすすめの小説
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った
五色ひわ
恋愛
辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。アメリアは真実を確かめるため、3年ぶりに王都へと旅立った。
※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
報酬はその笑顔で
鏡野ゆう
ライト文芸
彼女がその人と初めて会ったのは夏休みのバイト先でのことだった。
自分に正直で真っ直ぐな女子大生さんと、にこにこスマイルのパイロットさんとのお話。
『貴方は翼を失くさない』で榎本さんの部下として登場した飛行教導群のパイロット、但馬一尉のお話です。
※小説家になろう、カクヨムでも公開中※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる