たっくんは疑問形 〜あなたと私の長い長い恋のお話〜

田沢みん

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最終章 2人の未来編

35、I love you…… 愛してる

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 ふと空気が動く気配を感じて目が覚めた。

ーー今、何時だっけ……?

 私がここに着いてからたっくんに怪我の手当てをしてもらって、それからちょっとは仮眠を取ろうということになって……。

 2人で簡易ベッドの譲り合いをした挙句、結局は椅子に座ったまま、ベッドにうつ伏せて少しだけ眠ろうということになった所までは覚えている。


「あれっ、たっくん?」

 一緒に隣でうつ伏せていたはずのたっくんが見当たらなくて、バッと顔を上げてキョロキョロと見回した。
 不安になって探しに行こうと立ち上がったところで、たっくんがマグカップを持って部屋に入って来た。

「たっくん!」

 たっくんはベッドサイドの枕頭しょうとう台にコトリとマグカップを置いてからこちらを向き、「ごめん、起こしちゃったな」と申し訳なさそうな顔をして、

「母さんの唇が乾いてたから、ちょっと濡らしてあげようと思って、氷を取りに行ってた」

 そう言うとマグカップから氷を1つ取り出して、穂華さんの口に当てる。

 溶けた氷は穂華さんの口に入ることなく、口角を通り過ぎて横に流れて行く。
 たっくんはそれを素早くガーゼで拭き取りながら、氷を唇に当ててを繰り返していた。


「いい息子だね」
「えっ、俺が?」

 手に持った氷を洗面台にポイッと放り込んでから、たっくんが私の隣の元いた椅子に座る。

「だって、結局あれから寝てないんでしょ?」
「いや、さっきまでは俺も寝てたから」

ーー嘘だ……。

 今は午前4時過ぎ。
 穂華さんの身体の向きが変わっているから、3時の体位変換もオムツ交換も1人でやったんだ。

「こんなに献身的にお世話してもらって、穂華さんは幸せだと思う。言葉には出せなくても、きっとたっくんの想いは伝わってるよ」

「……そうだといいけどな」

 フッと唇の端を上げて皮肉げな表情をして、穂華さんを振り返る。

「母さんには迷惑を掛けられっ放しだったけど……元はと言えば、俺のせいでもあるからさ」
「えっ?」

ーー何を言って……。

「だってさ、俺が生まれてこなければ……生まれてきたとしても、せめて青い目じゃなかったらさ、母さんは家を出ることも無かっただろうし、普通のお嬢様の暮らしが出来てたわけだろ?」

「そんなの関係無いよ!それは穂華さんが選んだことで、たっくんの責任じゃ無いじゃない!」

「うん……そうだとしても、やっぱり俺がいなかったら水商売の仕事をしなくて良かったのかな……とか、酒を飲むような仕事じゃなければこんな病気にならずに済んだのかな……なんて事をさ、まあ、考えちゃうんだよな」

「そんな……」


 たっくんは昔から母親には従順で、あんなに酷い目に遭わされながらも逃げようともせず、穂華さんに黙って付き従ってきた。

 それはたっくんが、『自分が誰からも望まれずに生まれてきた』と思っているからだ。


『好きで母親になったんじゃない』
幼いあの日に穂華さんから投げつけられた言葉が、今もたっくんを苦しめている。

 自分が母親を不幸にした。
 自分のせいで母親が苦労している。
 だから自分が母親を守らなければ…… そう思っているんだろう。

 自分を捨てたと思っていた母親が、実は自分のためにひっそりと姿を消したのだと知ったとき、彼は自分の人生を捨てても母親に寄り添って生きると決めたんだ……。

 ただただ、 母親に愛されたくて、穂華さんに認めて欲しくて……今もその気持ちにとらわれている。


 違うよたっくん。
 穂華さんが望んでいるのはたっくんの幸せなんだよ。
 自分を犠牲にして欲しいだなんて、彼女はきっと、そんなことを思っていないよ。

 でも、そう私が言ったところで意味はないんだろう。
 たっくんを本当の意味で解き放つことが出来るのは、きっと穂華さんだけなんだ。


 そんな事をぼんやり考えていたら、カサリと衣擦きぬずれの音がしたような気がして、たっくんと2人同時に振り返った。

「母さん!」
「穂華さん!」

 勢いよく立ち上がってベッドに駆け寄ると、穂華さんは天井を向いたまま右手を微かに持ち上げている。


「母さん、何?」

 プルプルと震えている唇にたっくんが耳を近付けると、しゃがれた声で「マイク……」と言うのが聞こえた。

「えっ、マイク?」

 私が思わず漏らすと、たっくんが穂華さんに目を向けたまま、「俺の父親だ」と呟く。

ーー父親……たっくんのお父さん?!

「俺が母さんのお腹にいることも知らずにアメリカに帰って行った男だ。俺も名前しか知らないけど、確か母さんがマイクって言ってた」

 私達がそんな会話をしている間に穂華さんの右手は更に上がっていき、最後にそれはたっくんの頬に触れた。

「マイク……」

ーーあっ!

 穂華さんが微笑んでいる。
 目の焦点が合い、その視線は目の前のたっくんに真っ直ぐ注がれている。


「ああ、 マイク……迎えに来てくれたのね」

 いつの間にか両手でたっくんの顔を包み込み、愛おしげに頬を撫でている。

「マイク……ずっと……待ってたのよ」
「……うん」

「マイク……ほら、 私たちの息子を見てあげて。 拓巳……っていうのよ。 あなたにそっくりの……綺麗なアジュールブルーの瞳でしょ。 私の自慢の息子…… 」

「うん……」

「マイク……愛してる……I love you……」
「I love you……愛してるよ……」

 たっくんが穂華さんに口づけると、彼女は満足気な笑みを浮かべてから、ゆっくりと目を閉じた。

 涙の筋がスーッと彼女の頬を伝ったと同時に、両手がたっくんの顔を離れ、まるでスローモーションのようにパタリとシーツに落ちて行った。


「……母さん」


 穂華さんが亡くなったのは、雪が降り積もるクリスマスの白い朝。

 享年39歳の若さだった。
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