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最終章 2人の未来編
33、メリークリスマス
しおりを挟む「ここ数日が山だから、会わせたい人がいたら今のうちに連絡しておいて下さい……って言われたんだ」
クリスマスイブのその日、午後10時にバイトが終わってすぐに電話を掛けたら、たっくんの声がいつもより低く掠れていて、そして少しだけ震えていた。
ーーああ、とうとう……。
余命宣告から11日後。
穂華さんは殆ど寝たきりになり、言葉は発しないし、こちらの言葉かけにも無反応になっていた。
時々目を開けても焦点は合っていなくて、私たちの存在が目に入っているかどうかも判断がつかない。
尿量も目に見えて減っていて、主治医に言われるまでもなく、 死期が近いのだと嫌でも気付かざるを得なかった。
「私、今からそっちに行くよ」
「いいよ、小夏はバイトが終わったばかりで疲れてるんだし、今夜は無理しないで自分の部屋でゆっくり休んで」
「こんな時くらい無理させてよ!……とにかく行くから!」
荷物を取りに一旦アパートに帰ったところで、名古屋にいる母に電話を掛ける。
『そうなの……とうとう……』
電話の向こうで母は絶句してから、明日の夜にはこちらに向かうと言った。
『あなたの礼服とお数珠も持って行くから。黒いストッキングは持ってるわね?』
「そんな……まだ亡くなってないのに縁起でもない!そんなのいらない!」
『何を言ってるの、もうそんな段階じゃ無いでしょう。礼を失する方が問題だわ。しっかりなさい!』
「だって……お母さん……」
『気持ちは分かるけど……拓巳くんの方が辛いんだから、あなたが動揺してちゃいけないの。ちゃんと彼を支えてあげなさい、いいわね?』
「……うん」
お母さんの言う通りだ、こんな所で狼狽えてる場合じゃない。
早く準備をして、一刻も早くたっくんの側に行かなくちゃ……。
ボストンバッグを開いてから少し考えて、クローゼットに押し込んであった小振りのスーツケースを取り出して来た。
もしかしたら看病で何日も泊まり込むことになるかも知れない……そうであって欲しいという願いも込めて、5日分の洋服を畳んで入れ、最後に隅の方に黒いストッキングと黒いパンプスを忍ばせる。
22時39分発の電車に乗ると、窓に映った自分の顔が酷く 強張っていたから、両手でパンと頬を叩いて、『しっかりしろ』と気合を入れた。
電車の中で走り出したいような衝動に駆られながら、膝の上でグッと握り拳を作って長い長い1時間半を耐える。
タクシーを降りてから施設への坂道を駆け上がっていたら、降り始めたばかりの雪に足を滑らせ、見事に転んで膝を擦りむいた。
「痛った……」
だけど急ぐ気持ちが痛みに勝り、すぐに立ち上がると、再び全速力で走り出した。
「たっくん……穂華さんは、どう?」
私が部屋に入ると、ちょうど入れ違いにお医者様が出て行くところだった。
ペコリと頭を下げてから、私は部屋の隅から椅子を動かしてたっくんの隣に座る。
「うん……血圧が下がって来てるし尿も殆ど出てないから、覚悟しておいて下さいって。呼吸が止まった時に人工呼吸器とか延命措置はしないっていうのを、たった今、再確認されたとこ」
「そう……」
「……って、おい小夏、その膝、どうしたんだよっ!」
たっくんは私を見た途端、右膝が破れたタイツに目ざとく気付き、目を見開いた。
右だけじゃなく左側も見事に伝染してるから、そりゃあ気付いちゃうか……。
「うん、坂道を走ってきたら転んじゃって」
「血が出てるじゃん!」
「ああ、確かバッグにカットバンが入ってたような……」
バッグを開いて底を漁ってたら、
「馬鹿野郎!ちゃんと処置しなきゃ痕が残っちゃうだろっ!待ってろ!」
大声で言い捨てて出て行くと、しばらくして救急箱を片手に戻って来た。
「タイツを脱いで、こっちに来て」
手を引かれて黙って従うと、室内のシャワールームに連れて行かれた。
「ちょっとの間だけスカートを持ち上げてて」
腕まくりしたたっくんがシャワーで両膝の汚れを洗い落とし、タオルでポンポンと優しく水分を拭ってくれる。
そのあと再び手を引かれてベッドサイドに戻ると、今度は椅子に座らされた。
「こっち向いて、右足を俺の膝に乗せて」
ぶっきらぼうに言うと、救急箱からフィルム式の大きな絆創膏を取り出し、傷全体を覆うように被せてテープで留めていく。
ーーもしかして……たっくん、怒ってる?
不機嫌そうな表情に、急激に罪悪感が押し寄せて来る。
「ごめん、途中で雪が降り出すなんて思わなかったから、ミニスカにタイツのままで来ちゃった。ジーンズにでも履き替えて来れば良かった」
「いいから、今度は左足を出して」
「こんな時に迷惑かけちゃってごめんね。ホント私って要領が悪くて……」
「謝んなよ!」
急に大声を出されて、足先がビクッと跳ねた。
たっくんは手を止めると、困ったように眉根を下げて見上げて来る。
「ごめん、怒鳴ったりして……」
左膝にも同じように絆創膏を被せ、手を器用に動かしながら、話を続ける。
「でもさ、謝ったりしないで欲しいんだよ。小夏はそれだけ急いで走って来てくれたって事だろ? 感謝こそすれ、迷惑とか絶対に思わないから」
救急箱の蓋をパタリと閉じながら、今度は目を細めて優しい瞳で見つめて来た。
「小夏……今日は来てくれてありがとう。メリークリスマス」
「あっ!」
慌ててスマホを見ると、既に日付は変わり、クリスマス当日の午前1時を過ぎていた。
「たっくん、メリークリスマス。あっ、穂華さんも、メリークリスマス!」
ベッドを振り返りながらそう言ったけど、穂華さんは眠ったままだ。
「母さん、良かったな。クリスマスを迎えることが出来て」
たっくんも一緒に穂華さんの顔を覗き込んで、表情を和らげる。
「お正月も一緒に迎えられるといいね」
「……うん、そうだな」
多分それは難しいだろうと思いながらも、お互いそれは口に出さなかった。
窓の外にはチラチラと白い粉雪が舞っていて、それは朝まで降り続いた。
綺麗で静かで物悲しい、ホワイトクリスマスの夜だった。
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