210 / 237
最終章 2人の未来編
16、母の本音 (2)
しおりを挟む『普通』って、『普通の子』って何なんだろう。
親が育児放棄も失踪もしていなければ、それで『普通』?
母親が恋することを諦めて子供だけを見つめていれば『普通の家庭』?
だったら母子家庭や父子家庭はどうなんだ。
子供を育てるために毎日必死で働いて、休日だって、娘が病気の時でさえ殆ど構ってあげられない私は……『普通の母親』では無いんだろうか?
そしてこんな私に育てられた小夏は、『普通の子』じゃないと言うの? あの子は幸せではないのか?
たっくんを否定する事は、自分自身や自分の生き方までも否定する事になるような気がして…… だから必死で『良い人』であろうとしてきたのだと、母はそう言った。
「だからね、 あの事件があって、 穂華さんがアパートから逃げるって言い出した時、心配すると同時にすごくホッとしたの。『ああ、 コレでようやく隣人から解放される』って」
「嘘っ…… だってお母さんはお金まで渡して2人を手伝って……」
「それはただの私の自己満足。逃げる時に手伝いをしたのも、 穂華さんや拓巳くんにお金を渡したのも、 ホッとしている自分への罪悪感があったからで……単純に『助けたい』って親切心からだけでは無かったのよ」
『酷いでしょ?』と母さんが自嘲気味に唇の端を上げる。新幹線がトンネルに入る瞬間に、潤んだ母の瞳がキラリと光るのが見えた。
「こんなお母さんでごめんね…… お母さん、 自分がこんなに弱くて自分勝手な大人だなんて小夏に知られたくなくて…… 憎まれたくなくて…… ずっと言えなかったの。 だから穂華さんや拓巳くんだけを悪者にして…… ごめんなさいね」
ーー違う!……違うよ、お母さん。
どう言えば自分の気持ちがちゃんと届くだろう……。
今の私が母に伝えたい言葉を頭の中でめまぐるしく考えて、必死で選び抜いた。
「……ううん、 やっぱりお母さんは凄いよ」
「小夏……」
「お母さんは心の中で葛藤しながらも、 それでもいつだってたっくんに救いの手を差し伸べてくれたじゃない」
私もたっくんも、ズルい大人を沢山知っている。その人達は同情するような顔で近付いてくるくせに、自分に火の粉が及びそうになるとサッと顔を背けて逃げるのだ。
彼らはその事を疑問にも思わないし、悩んだりもしない。『あの子が可哀想だ』と誰かに笑顔で語り、そのことさえも一晩で忘れてしまうんだろう。
所詮他人事なのだから。
「お母さんはたっくんのために沢山泣いて怒って動いてくれた。迷ったり悩んだりしながらも寄り添ってくれた。お母さんはいつだって立派な大人で……人として正しい道を示してくれたよ。私はそんなお母さんを心から尊敬してる」
初めて会ったあの日から、たっくんを家に招き入れ、目の前に温かい料理を並べ、本当の息子みたいに接して来た。クリスマスには絵本を贈り、最後の夜にはサンダルまで買い与えて…… それは愛が無ければ出来ない行為だ。
「お母さん、ありがとう」
ーー伝わってるかな。
ちゃんと伝わったかな。私はお母さんが大好きだよ、尊敬してるよ。お母さんの娘で良かったって心から思ってるよ。
「小夏……私はね、ずっと怖かったの。 いつか拓巳くんがあなたを連れて行ってしまうんじゃないかって。 小夏がどこかに行ってしまうんじゃないかって」
「…… お母さん、 私はもう小さな子供じゃないよ。 こうやって自分の足でどこにでも旅立って行けるし、逆にどんなに遠くに行ったって、 自分の意志で戻って来る事も出来るんだよ」
「小夏……」
「私はいつでも何処にいても、お母さんの娘だよ。たとえどんな遠くに行ったとしても、お母さんに会いに戻ってくるよ。お母さんがお祖母ちゃんにそうしたように」
「ふふっ……これじゃまるで本当にお嫁に行っちゃうみたいだわね」
「おっ、お嫁さん?!それは早過ぎる!」
頬をポッと赤らめたら、母がクスッと笑う。
「やだわ、当たり前でしょ。学生はまだまだ勉強に励みなさい。大学に行ってバイトして……自分のお金で拓巳くんに会いに行くのよ」
「……いいの?たっくんに会いに行っても」
ーーだって、お母さんは嫌なんじゃないの?
「もう降参!ここまでされたら認めるしかないじゃない。それにお母さんね、あなた達の絆の深さにちょっと感動してるのよ。運命の出会いって本当にあるんだな……って」
「えっ、そんなの、恋をする相手はみんな運命の人なんじゃないの?お父さんとお母さんだって運命の出会いがあったから恋をして結婚したんでしょ?」
「……そう言われれば、そうなのかしら」
お父さんとの出会いでも思い出しているのか、ちょっと上目遣いになって考えている。
「そうだよ。お母さんの運命の相手がお父さんだったように、私の運命の相手がたっくんだったって事でしょ?」
「……そうね。私がお父さんと出会って小夏を授かって、小夏が拓巳くんと出会って……こうやって人の絆が続いて行くのよね」
この時ふと、母親にある事を聞いてみようと思った。それはなんとなく口にしてはいけないような気がしていて、今まで避けていた話題だけれど……死んだ父親の事だ。
「ねえ、お母さん」
「ん?なあに?」
「お母さんはお父さんと結婚したことを後悔してない? お母さんが今もしも過去に戻れるとしたら……お父さんが事故で死んじゃうって分かっていても、それでもやっぱりお父さんを選ぶ?」
「う~ん、そうね……」
『それでもやっぱりお父さんがいいわ』と、母は照れ笑いを浮かべながら答えた。
「過去に戻れるのなら、お父さんが事故に遭わないように全力で動くわね。結婚してすぐに禁酒させて、飲み会も絶対に参加させないで、夜道は歩かせない。門限は9時ね」
「ふふっ、鬼嫁だ」
「そう。鬼嫁になってギチギチに縛って……それでもあの事故が起こってしまうとしても……やっぱりお父さんと結婚して、もう一度小夏と3人で家族になりたい」
「……そっか」
座席の肘掛けの上で、どちらともなく自然に手を握り合う。
久し振りに触れた母の手は、記憶にあったそれよりも骨張って薄くなっていて、ちょっと切ない気持ちになった。
ポカポカと陽だまりが射すあの丘の上で、穂華さんの細くて白い手を引きながら、たっくんもきっと同じように感じたのだろう……と思った。
0
お気に入りに追加
261
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる