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第5章 失踪編
21、母の秘密
しおりを挟む電話の向こう側で、母が「えっ」と息を呑んだ。
「お母さん、私ね、今、横須賀の市民病院にいる」
「えっ、病院?!」
それきり黙り込んだから、私も黙って反応を待つ。
「……どうして……どうして勝手にそんな事をするの。あなたは本当にいつも……」
絞り出すような声に、母の愛情と葛藤が現れているような気がした。
ーーああ、やっぱりお母さんは……。
『やっぱり』という気持ちが半分と、『どうして?』という気持ちが半分。
そこに、悔しさやら疑問やら、いろんな感情が絡まり合って、駄目だと分かっていても、つい責めるような言葉が口をついて出てしまう。
「お母さん、『どうして横須賀なんかにいるの?』とか、『病院って、怪我でもしたの?』とは聞かないんだね」
「えっ?」
「お母さん……たっくんが何処にいるか知ってたんじゃない?知っててずっと隠してたんでしょ。どうして? 私が会いたがってるのを知ってて、どうして教えてくれなかったの?!」
「どうしてって……そんな所にあなたが行って、何が出来るって言うの!他人が中途半端に関わったって、どうしようもないの!帰ってらっしゃい!」
ーーほら、やっぱり!
やっぱりお母さんは、たっくんの居場所を知っていたんだ……。
「ねえ、たっくんは何処にいるの?」
「えっ……ちょっと待って! 小夏、あなた今、拓巳くんと一緒なんじゃ……」
「たっくんには会えてない!だから会えるまで帰らない!たっくんのお祖母様は寝ていて話を聞けてないの。だから私、起きるまで待って……」
「いいから帰ってらっしゃい!」
「嫌だ!」
私の大声が階段の踊り場に反響して、ここが病院だったと思い出す。慌てて周囲を見渡したけれど、幸い誰にも見咎められる事はなかった。
「……ねえお母さん、私ね、ずっと前から引っかかってる事があるんだ」
感情的になりがちな自分を落ち着かせ、今度は声を潜めながらゆっくりと語りかける。
「お母さんさ…… 私にもたっくんにも、 穂華さんのことを一度も聞いて来なかったよね」
「……。」
「私がたっくんを家に連れて来るたびに、お母さんは『幸せなの?』って聞いてきた。だけど、穂華さんについては何一つ知ろうとしなかった。どうして?」
「……。」
たっくんといる時だけじゃない。まるでその話題を避けているかのように、母は私の前でも、一切穂華さんの名前を出していない。
数年間、ただの隣人と呼ぶには深過ぎる付き合いをしてきたのだ。普通ならまずは彼女の現状や、たっくんの家庭の事情を気にするんじゃないだろうか?
たっくんが何処かに行ってしまったと話した時でさえ、驚きはしたものの、ただそれだけだった。
ずっと違和感はあった。でもそれが何なのかが分からなかった。
だけど……ようやく気付いた。
「お母さん、穂華さんの居場所も知ってるんでしょ」
*
お風呂から出てホテルのバスローブを羽織ると、窓際の小さな丸テーブルに向かって腰掛けて、漸く一息ついた。
ペットボトルのアイスティーを一口飲んでから立ち上がり、カーテンを開けると、そこには黒い海が広がっている。
『高校生がフラリと飛び込みで行ったって、何処も泊めてくれないわよ。お母さんの会社が提携してるホテルを予約しておくから、そこに行きなさい』
そう言って母が指定した宿泊先は、窓から海が見えるビジネスホテルだった。
私は結局たっくんのお祖母様が起きるのを待つことなく、そのまま階段を下りると、病院の売店で飲み物やお弁当を買ってタクシーに乗り込み、ここに到着した。
母も明日の朝一番の新幹線でこちらに向かうそうだ。
ーーお母さんもここに泊まった事があるのかも知れない。
それは多分、穂華さんに会うために……。
気付いたきっかけは、幸夫くんの言葉だった。
『家に帰って来てから2人してあちこちに電話して、保険がどうとかお金の管理がどうとか大騒ぎしててさ、その時に、穂華さんの名前が出てたんだ。うちの父親が、『祖母さん、何を勝手なことしてんだ!』ってブツブツ文句言ってた』
それを聞いた時に、『あれっ?穂華さんって生命保険に入ってたんだ?』って思ったのが最初。
だってあんなにフワフワしていて後先の事を何も考えていないような人に、『保険』なんて言葉があまりにも似合わなかったから。
次に、『あれっ、穂華さんってあちこち住む処を変えてたのに、いつ保険に入ってたのかな?もしかしたら、うちのお母さんに勧められて?』って考えて……
そこから数珠つなぎで記憶を遡っていったら合点がいった。
ーーお母さんは全部知ってたんだ……だから私に聞く必要もなかった。いや、知ってる事を気付かれないために、敢えて話題にしなかったんだ。
多分、この私の推理は当たっているだろう。
だけど、もう深く考える必要はない。だって明日になりさえすれば、穂華さんの居場所も全部分かる事だから。
ーーそして、たぶん、きっと……たっくんもそこにいる。
きっと私は酷くつかれていたんだろう。
興奮と緊張で今夜は寝るどころではないと思っていたのに、ベッドに横になった途端、いつ眠りについたかの記憶もないうちに、泥のように眠ってしまっていた。
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