たっくんは疑問形 〜あなたと私の長い長い恋のお話〜

田沢みん

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第3章 過去編 side 拓巳

52、脱出成功

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『高校進学と同時に和倉の家を出て一人暮らしをする』
 そう決めてから、俺の日常がにわかに変わり始めた。


『やりたい事がある』なんて、いつぶりだろう。

 繁華街に遊びに行く代わりに図書館に通い、ショットバーに飲みに行くと見せかけて、店の裏で参考書を開く。
 それと同時進行で一人暮らしの準備もこっそりと始める。

 目標を決め、それを達成するまでに必要なハードルをいくつか設定し、1つづつクリアしていく。
 それはまるで、黒く立ち込めていた分厚い雲に切れ間が出来て、そこから差す光が徐々に眩しさを増していくみたいで、俺は本当に久し振りの高揚感を感じていたんだ。


 もちろん表向きは何も変わっていない。
 いや、出来るだけ変わらないように見せていた・・・・・

 朝美が部屋に来たら今まで通り相手をしたし、学校ではべったりくっついてくる取り巻きの女たちの話に適当に相槌を打って付き合っておく。
 中学生のくせに派手な連中と繁華街をウロついて、誘われれば女の部屋でもホテルにでもホイホイついて行く、酒とセックス好きの最低な男。

 あくまでも今までと同じ、夢も希望もないただれた生活。

 ……そう見えるよう、心掛けていた。


 今まで何度も期待しては裏切られてを繰り返して来たから、俺だってさすがに学習している。
 こう言うのは『上手くいった』って油断した途端に足元をすくわれるんだ。

 明るい日が差したと思った瞬間に暗闇に閉ざされる絶望を知っているから、ぬか喜びはしたくない。

 喜ぶのは全てが上手くいって、無事にあの家から脱出できた時。
 いや、脱出して、朝美からちゃんと逃げ切るまでがゴールだ。

 焦っちゃいけない。だけどのんびりしている訳にもいかない。
 静かに、ひそやかに、そして迅速に……

 そう、まるで『だるまさんが転んだ』の遊びをしているかのように、少しずつ、少しずつ……指先の動きひとつ、溜息ひとつにさえ細心の注意を払って、慎重に事を進めるんだ……。





「拓巳、合格おめでとう!」
「ありがとう。これもリュウさんやみんなの協力のお陰だよ。本当にありがとなっ!」

 桜咲く3月の終わり、開店前の『Shot Bar  escape』の店内で、俺はマスターのリュウさんとその弟のユウジ、そして紗良の3人に、ささやかな合格祝い&引っ越し祝いの会を開いてもらっていた。

「それにしても、本当に『陽向ひなた高校』の特進科に合格するとは……お前ってただの女たらしじゃなかったんだな」

「リュウさん、俺は別に女たらしじゃないですよ。来るもの拒まずなだけで」

「そう言うのを女たらしって言うんだよ!いいか、ちゃんと約束を守って、4月からこの店のカウンターに入れよ。お前がちょっと顔を出すだけで、女どもがのように集まって来るんだからな」

「ハハッ、分かってますって。リュウさんには本当にお世話になったから、マジで感謝してるんですよ。誘蛾灯ゆうがとうにでも何にでもなりますよ」

 リュウさんは、街で知り合った遊び仲間のユウジの11歳上の兄貴で、『Shot Bar  escape』のオーナーでバーテンダーでもある。

 リュウさんにはアパート探しや引越しの手伝いで随分お世話になった。

 朝美には、「勉強は嫌いだから高校に行く気はない」、「母さんが置いてった通帳があるし、中学を卒業したらしばらくはブラブラするよ」なんていい加減なことを言ってたから、表立って勉強するわけにもいかないし、もちろん受験するのも勘付かれたくない。
 その点、この店は去年の9月にオープンしたばかりで、繁華街の裏手の目立たない場所にあるから、隠れ場所にはもってこいだった。

 学校を出る時は紗良に迎えに来させて、一緒に街に繰り出すフリをして、この店に入る。
 店の裏にある休憩室を自習室がわりに、夜遅くまで勉強に集中することが出来た。


 アパートは去年の10月の時点で契約を済ませて、部屋を早々に確保しておいた。
 陽向高校には絶対に合格するつもりだったし、もしも受験に失敗して解約することになっても、十蔵さんが数か月分の家賃を損するだけのことだから構わないと思った。

 お陰で朝美の目を盗んで少しづつ荷物を運び出す事が出来たし、計画通り、合格発表のその日からアパートに移り住むことに成功した。


 あの日から既に10日経っている。
 和倉の家から持ち出したのは最低限の品だけで、パッと見には何も変わっていないはずだ。
 俺が2~3日帰らないのはザラだったから、数日はいつもの事だと気にしないだろう。

ーーけど、さすがにもう気付いてるよな。

 何日も帰らない俺を不審に思って部屋に入り、以前の部屋との『間違い探し』を始める姿が容易に想像できる。

 クローゼットからくしの歯が抜けたように消えているお気に入りの洋服。

 机の横から消えた紺色のリュック。

 そして……ナイトテーブルから持ち去られた写真立て。

 改めて見渡せば、小さなヒントがそこかしこに散らばっているはずだ。


『出て行ったんだ』……『逃げた』のだと気付いた時、アイツはどうしただろう……。

ーーいや、考えたって仕方ない。

 アイツが追いかけて来るなら、俺はひたすら逃げるだけだ。

 もう守りたいものも失うものも無い。
 今はただ、利用できるものを利用し、学べるだけ学んで、1人で生きていくための力を身につけるんだ……。


 この数日後に、世界一大切で、誰よりも会いたかった女の子に再会出来るなんてカケラほども思っていなかった俺は、リュウさんが作ってくれた自由の象徴のカクテル『キューバ・リブレ』を浴びるように飲んで、その後は脱出に協力してくれた御礼として、紗良と朝までホテルで過ごしてたんだ……。
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